国際スポーツイベントと誹謗中傷
国際スポーツイベントと誹謗中傷
早稲田大学スポーツ科学学術院教授・博士(スポーツ科学)、弁護士
松本泰介
2026年は、ミラノコルティナオリンピックパラリンピックから始まり、3月の野球のWBC、6月にはサッカーW杯が開催されました。ミラノコルティナオリンピックで金メダルを獲得した、りくりゅうペアはその後の展開含めてたくさんのことがあり、オリンピックが遠い昔のように思われるかもしれませんが、2026年なのでまだ今年の初めにあったことだったりします。時間が経つのは早いです。
さて、最近の国際スポーツイベントでは誹謗中傷のニュースが多く出るようになりました。もちろん国際スポーツイベントのメディアバリューがあるために、ニュースが話題になりやすい、ということでもありますが、国際スポーツイベントでは、実際、出場する選手や監督・コーチ、審判などに対して、数えきれない膨大な誹謗中傷がなされることになり、大きな社会問題となっています。特に、現代の誹謗中傷は、インターネットやSNS上で行われるものがほとんどであるため、誰もが行うことができ、また簡単に解決することができないため、抜本的な解決策を見いだせていません。
こちらの連載で意外にも誹謗中傷のことは取り上げたことはありませんでした。そこで、今回は、国際スポーツイベントと誹謗中傷について整理していきたいと思います。
そもそも誹謗中傷って何?
誹謗中傷といわれると、皆さま、簡単にイメージできそうで、実はどれくらい具体的な表現が思い浮かばれるでしょうか。「死ね」「消えろ」などの人格非難がまず頭に思い浮かぶかもしれません。「下手」とか「ちゃんとやれよ」とか、スポーツのプレーに関する批判も含むのでしょうか。
誹謗中傷問題を考えるうえで実は大事になるのは、そもそも問題として検討している誹謗中傷とはどの範囲までの表現をいうのか、ということを明確にすることです。
中には、アスリートのプレーや結果に関するメディアの見出し表現まで、誹謗中傷の範囲として議論されていることもあります。 もちろんどの表現も選手や監督・コーチ、審判らにとって、客観的にあるいは主観的に酷い表現ではあるでしょう。ただ、これらの表現をすべて一緒に議論していると、なかなか解決に向かいません。誹謗中傷問題に取り組むにあたって、そもそも誹謗中傷がどの範囲までの表現をいうのかが、競技団体によって十分に議論されていないのも、この問題の解決を難しくしているところです。競技団体の方々と話していたり、あるいはモニタリングの中でピックアップしている表現を見てみると、担当の個人的感覚もあるからかもしれませんが、上記の表現がごっちゃに対象とされている場合もあります。違法な人格非難を対象にしているのか、それともプレーに関する批判、批評を対象にしているのか、はたまたメディアの見出し表現なのか、率直に対策は違うので、分けて考えていく必要があります。
法的にも、①人格非難の場合は、割合整理がしやすいです。名誉毀損行為は、本人の社会的評価を下げることが客観的な要件になり、人格非難の場合、社会的評価の低下を伴いますので、違法と判断しやすいです。裁判上も違法行為と認定されますので、削除請求の対象になったり、賠償の対象となります。②のプレー自体への批判、批評にとどまる場合は、なかなか裁判上も名誉毀損としては違法とはいえないので、①と同様に考えるわけにはいきません。仮に主観的な名誉(名誉感情)を侵害する場合は、侮辱に該当する場合に違法と認められるくらいでしょう。③のメディアの見出し表現については、さらに難しい問題があります。名誉毀損については、見出し単体ではなく、記事全体から判断されるというのが判例なのですが、一方書かれる選手や監督・コーチ、審判側からすると、見出しの表現内容が主観的には本人の考えとは異なる場合もあります。プレーしていた本人らからすれば重大な問題なのですが、客観的な名誉毀損や侮辱までには該当しないので、何らかの法的措置を講ずるのは難しくなります。
誹謗中傷に対する法的措置のハードル
かなりポピュラーになってきましたが、インターネット上の誹謗中傷に対する法的措置には大きなハードルがいくつもあります。
まず、インターネットやSNS上の誹謗中傷がなされた場合、行った本人を特定する必要があります。こちらはSNS事業者等に特定の書き込みに関する情報開示を求める手続きと、その開示された情報から接続に利用したアクセスプロバイダに契約者情報の開示を求める手続きの2段階の手続きが必要になります。これらの手続きも行ったからといってスムーズに情報開示がされるものではなく、SNS事業者等はいろいろな理屈で開示を否定しますので、基本的には法的措置が必要になります。
法改正がされた現在では2段階の手続きが一括処理できるようになりました(まだまだ課題は残っていますが)が、そうはいっても当然少なくない費用と数カ月程度の時間がかかることになります。また、法的措置をしたとしても、アクセスログの保存期間が終了しており、契約者情報の開示まで至らないケースもありました。
契約者情報がわかったとしても、任意に損害賠償に応じてくれるかはわかりません。もちろん我々弁護士が交渉したとしても、理解を示さず賠償交渉が難航することもありますので、賠償交渉にも時間と労力がかかる場合があります。
インターネット上の誹謗中傷は無数に行われており、特に同じ事案、同じ対象者に対して、複数のSNSで数限りない誹謗中傷がなされますので、これらすべてについて上記のような発信者情報開示や賠償手続きを行うことは現実的には不可能といってもいいでしょう。実際、特に酷い誹謗中傷の場合や法的措置のハードルが低い場合に集中して手続きを取るのが実際と思われます。
表現の自由だから何でも投稿していい?
誹謗中傷問題に取り組んでいるとよく出てくるのが、表現の自由という主張です。インターネットやSNS上での表現はやはり個人による表現が中心になりますので、特に個人が発信するメッセージの自由度を求めて、表現の自由という主張がなされます。発信者情報開示や削除請求、損害賠償の範囲などをめぐっても、様々な規制が検討されるたびに、表現の自由に対する制約、萎縮効果として検討されることになります。
よく理解できないのは、上記でいう①人格非難について対策を議論しているときにも、表現の自由の議論が出てくることです。表現の自由といっても、もちろん万能なわけではなく、公共の福祉による制約や、一方での対立利益である名誉権の保護からくる限界はあることは、法的には当たり前だったりします。多様な見解、思想があることは否定しませんが、さすがに人格非難する自由はありません。
誹謗中傷の対策の中で表現の自由の範囲を議論しているときにも、実はそもそもどのような誹謗中傷を対象にしているのかが明確になっていないことも多々あります。上記でいう②の表現、すなわちプレーに対する批判、批評などは、もちろん表現の自由として認められる余地も十分にあるでしょう。また③のようなメディアの見出し表現についても、違法でない場合は報道の自由という考えもあります。
やはり誹謗中傷の議論をしている際は、どのような誹謗中傷を対象として対策を検討しているのか、全員の目線を合わせながらの議論が必要になっています。
国際スポーツイベントと誹謗中傷
上記のように法的措置が抜本的な解決になっていない現状のインターネットやSNS上の誹謗中傷に対して、国際スポーツイベントでは、主催者であるスポーツ組織が、誹謗中傷に対する反対声明や法的措置を示唆する可能性をリリースすることも増えてきました。実際の国際スポーツイベントの誹謗中傷がどのくらいあるのかをモニタリングし、発表することも増えています。日本オリンピック委員会(JOC)が行ったミラノコルティナオリンピックでのモニタリングでは、日本選手団に対する1919件の誹謗中傷について削除要請を行い、371件が削除されたと報道されています。
ただ、2026年サッカーW杯では、日本人選手のメディア取材中の発言について、他国から、本人のSNSなどに膨大な誹謗中傷がなされた事案も発生しました。日本国内の誹謗中傷に関してでさえ、これに対して法的措置を講じたり、賠償を求めることはハードルが高いにも関わらず、海外からの誹謗中傷に対して法的対応を検討することはほぼ現実的ではありません。これは日本だけではなく、海外の選手などに対しても、世界中から誹謗中傷がなされるため、国際スポーツイベントでは法的措置による対策はなかなか難しいとも思われます。
昨今の国際スポーツイベントの記者会見などで、選手や監督・コーチなどの発言を聞いていると、むしろこのような世界中から誹謗中傷を防ぐために、極めて慎重にコメントをしているとも感じてしまいます。相手選手やチームに対して非難や攻撃と受け止められると大きな誹謗中傷につながりますので、敬意や賛辞を伝えるコメントが増えました。相手に対する敬意や賛辞が増えることは大変喜ばしいことですが、選手や監督らの表現の自由が極めて狭い範囲になっていると感じるのは私だけでしょうか。誹謗中傷問題はその意味でも非常にスポーツ界に大きな影響を与えていると思われます。
参考文献
松尾剛行・山田悠一郎「最新判例にみるインターネット上の名誉毀損の理論と実務(第2版)」(勁草書房、2019年)
商事法務研究会「インターネット上の誹謗中傷をめぐる 法的問題に関する有識者検討会 取りまとめ」(令和4年5月)
中澤佑一『インターネットにおける誹謗中傷法的対策マニュアル(第4版)』(中央経済社、2022年)

