連載スポーツと国家⑥ 最終回  日本の内地と外地のはざまで揺れ動くアスリートたち

連載スポーツと国家⑥最終回
日本の内地と外地のはざまで揺れ動くアスリートたち
早稲田ウエルネス研究所 木村俊太

国家とは何か? 自明と思われがちだが、スポーツにおける国代表を見ることで、私たちが当たり前だと思っていた「国家観」は大きく揺らぐ。最終回となる今回は日本。特に戦前、日本領とされた台湾、朝鮮半島、満洲(租借地)のアスリートたちから国家を考える。

学生スポーツで見る「日本」

ここまで5回にわたり、国家をスポーツの視点から見ることでこれまで持っていた国家への既成概念が揺らぐ例を見てきた。今回は日本について見てみたい。日本は海に囲まれた島国なので、大陸の国々と比べれば国境線ははっきりしているのではないかと思う方もおられるかもしれない。しかし、北方領土や尖閣諸島、竹島などを思い浮かべれば、話はそう簡単ではないとすぐにわかっていただけると思う。
歴史を振り返れば、さらに複雑になる。ここでは政治向きの話には深入りしないが、朝鮮半島や台湾が日本領であったことは歴史的事実である。そうした「外地」と呼ばれた地域と、もとからの日本領とされる「内地」との関わりをスポーツの面から見ていきたい。
まずは、歴史的に日本が外地を「獲得」していく流れを確認しておくと、右の表1のようになる。

表1.日本の外地「獲得」の流れ

さて、現在まで大人気の高校野球だが、夏の大会の第1回が開かれたのは1915(大正4)年(当時の名称は「全国中等学校優勝野球大会」)。その2年後の1917(大正6)年には、現在の全国高等学校ラグビーフットボール大会の前身「第1回日本フートボール優勝大会」(第2回からは名称が「日本フットボール優勝大会」となる)が開かれている(以下、実際は旧制中学ながら、便宜上、それぞれ「高校野球」「高校ラグビー」と呼ぶ)。
高校ラグビーでは1925(大正14)年の大会で南満洲工業が、夏の高校野球では1926(大正15)年の大会で大連商業が、それぞれ準優勝している。これらの大会は外地の学校もその地域の予選を経て、代表として日本の全国大会に出場していた。念のため述べておくが、ここに出てくる南満洲工業や大連商業は満洲国の代表ではない。南満洲や大連はいわゆる租借地である(そもそもこの時期は満洲国建国前。建国後も満洲国代表ではなく、租借地、つまり日本の一地方の代表として参加している)。それでも租借地の学校がその地域の代表として、日本国内のスポーツ大会に出場権を得て、準優勝しているというのは興味深い。
両大会で好成績を残している学校は、満洲だけではない。例えば高校ラグビーでは、1930(昭和5)年の第13回大会から3年連続で朝鮮の京城師範が優勝。1934(昭和9)年の第17回大会では台湾一中が優勝(満洲の鞍山中と引き分けで両校優勝)している。高校野球では、1931(昭和6)年の夏の大会で台湾の嘉義農林が準優勝している。
多くの学校が基本的には内地からの入植者の子どもたちで構成されたチームだったのに対して、高校野球準優勝の嘉義農林は、内地人・漢人・台湾現住民の混成チームだった。嘉義農林の監督は試合後の取材で「台北のチームは台湾に住む日本人の子弟ばかりだが、自分たちは三民族の混成チームだ」と自チームを誇るコメントをし、新聞も「異色の三民族混成」と銘打った記事を書いた。
つまり、少なくとも1931(昭和6)年時点では、のちに言われる「五族協和」のような考え方の方が「異色」と見なされていたことがわかる。

都市対抗野球で見る「日本」

外地のチームが日本の内地の大会に出場していたのは、学生スポーツだけではない。1927(昭和2)年に始まった都市対抗野球では、第1回と第3回で満洲倶楽部が、第2回では大連実業団が優勝、第7回では全京城が準優勝している。
初期の頃の出場チームは主催の東京日日新聞の推薦で決まっているが、租借地のチームが推薦されているという点は注目に値する。 満洲倶楽部や大連実業団、全京城など外地のチームも、基本的には内地から入植した人たちで構成されていた。当時の新聞は「初代黒獅子旗はいきなり海を渡ることとなった」と書いている。この書き方は、2022(令和4)年の夏の高校野球で仙台育英高校が東北勢として初優勝をした時、多くのメディアが「ついに優勝旗が白河の関を越えた」と表現したことを思い出させる。当時の新聞がどのような意図で「海を渡る」と書いたのかはわからないが、内地からの入植者中心のチームだったことを考えると、少なくとも差別的な意味で書いたとは考えづらい。新聞(メディアであると同時に主催者でもある)の立場としては、外地を内地の一地域と同様に扱っていたと考えられる。

オリンピック代表選手で見る「日本」

次に国際大会を通じて、戦前の日本の内地・外地の捉え方、扱われ方を見てみよう。国際大会で最も「国家」が意識されるのはやはりオリンピックだろう。日本がオリンピックに初参加したのは1912年のストックホルム大会だが、外地のアスリートが参加したのは1932年のロサンゼルス大会が最初である。
まずは、1932年のロサンゼルス大会および1936年のベルリン大会に日本代表として出場した台湾出身の張星賢選手に注目したい。 張は、1932年のロサンゼルス大会に400mと400mハードルで出場。1936年のベルリン大会では4×400mリレーで出場している(いずれも予選敗退)。
オリンピックでは華々しい結果を残しているわけではない張だが、注目したいのは1932年のロサンゼルス大会の代表に選ばれるまでの流れである。 張は1930年、極東選手権競技大会の台湾予選に三段跳びで出場し、14.49mで優勝している。しかし、同年、東京で行われた本大会の代表には選ばれなかった。代表選考を担った日本(内地)側の人物が意図的に台湾人を外したという。もし張が本大会に出場し、予選と同じ記録を出していたら、机上の計算ながら、優勝した織田幹雄に次いで銀メダルを獲得していたことになる。
張はこの恣意的な代表落選にも腐ることなく、むしろ「内地に負けてたまるか」という気概で練習を続け、競技を変えてオリンピック代表の座を勝ち取った。内地側が差別的に引いた国境線を、張は自らの鍛錬で引き直したと言えるだろう。

朝鮮半島出身のオリンピック代表選手

オリンピックを通じてはもう一人、注目したい選手がいる。朝鮮半島出身のマラソンランナー、孫基禎選手である。
孫は1936年のベルリン大会に日本代表として参加し、マラソンで当時のオリンピック記録となる2時間29分19秒で金メダルを獲得している。 問題はその後である。同競技で3位に入った朝鮮半島出身の南昇龍選手とともに表彰台に上がったが、両選手とも喜びを表現するどころか、沈痛な表情だった。二人は、オリンピックで優勝すると国旗が掲揚され、国家が流れることを知らなかった。
自身の走りによって、オリンピックの会場に日の丸が掲揚され、君が代が流れたことに対する複雑な思いが沈痛な表情となって表れたのだった。 さらに大問題となったのは、この孫の快挙を報じた朝鮮の新聞「東亜日報」に掲載された写真だった。孫のユニフォームの胸の部分に付いていた日の丸を塗りつぶした写真が掲載されていた。
これにより、「東亜日報」は発刊停止処分となり、記者と社会部長が日本の朝鮮総督府の警務局に逮捕されている(日章旗抹消事件)。 この事件は孫自身には関わりのないことだったが、表彰台での複雑な気持ちについては、のちに回想録として語られている。韓国の人が読むと想定される戦後の回想ながら、表彰台の上で、優勝者の副賞としての月桂樹の鉢植えで胸の日の丸を隠したことを明かしつつ、「優勝の表彰台で、ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることは耐えられない屈辱であった」と述べている。

一方、内地の側からは孫をどのように見ていたのか。NHKのラジオ放送ではアナウンサーが「ソンキテイ君が優勝しました。日本マラソンの四半世紀にわたる悲願が今達成されました」と述べている。また、「東京朝日新聞」は、「半島の新人によって、栄冠が日本の頭上に載せられた」と報じている。
内地側のメディアは明らかに朝鮮半島を日本の一部とみなし、孫の「日本代表」としての栄誉を讃えている。 また、開会式ではこんなエピソードがあった。入場行進時、女性選手や背の低い孫らが列の前方に並ぶと、ある馬術選手が「(自分のような)帝国陸軍軍人が、朝鮮人や女の後ろを行進できるか!」と怒鳴り、行進方法に異を唱えた。このひどい差別的な発言に対し、陸上選手団主将で旗手も務めた大島鎌吉選手は「ここはオリンピックの場である。陸軍軍人も朝鮮人もあるか! 選手団として決めたことを守ってきちっと並べ!」と一喝した。孫は朝鮮人差別にここまで真剣に怒ってくれる日本人がいるのかと驚き、以後、大島を人生の師として尊敬し、行動を共にしたという。
内地メディアと外地メディアが異なる国境線を引く中、そんな揺らぎに対して、孫は朝鮮半島の人としての立場を、大島は内地も外地も一つという立場を、それぞれ強い信念で貫きつつも、両者は心を通じ合わせ、互いをリスペクトし続けたのだった。
全6回にわたって、スポーツを通して「国家とは何か」を見てきた。「スポーツは国境を越える」「スポーツは世界の共通語だ」などと言われることがあるが、実際には政治が引いた国境線に翻弄されることも多かった。今、あちこちで戦争・紛争が相次ぎ、世界が混迷を深める中、今後も「スポーツと国家」という視点から世の中を注視していきたいと思う。

参考文献 『帝国日本と越境するアスリート』高嶋航 金誠[編](塙書房 2020) 『評伝 孫基禎』寺島善一(社会評論社 2019) 『スポーツからみる東アジア史』高島航(岩波新書 2021) 映画『KANO 1931海の向こうの甲子園』(2014) OPEN BOOKSホームページ「台湾初のオリンピアン・張星賢 彼の志と後悔」(2023年11月17日付)(https://www.openbook.org.tw/article/p-68363)(2026年8月28日閲覧) 明治大学ホームページ「金メダリストの留学生・孫基禎(留学生編)」(2023年2月)(https://www.meiji.ac.jp/history/meidai_sanmyaku/thema/article/mkmht00000021hzo.html)(2026年8月28日閲覧)

 

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