日本スポーツ産業学会第31回シンポジウム② デザインの力が変えるスポーツ

日本スポーツ産業学会第31回シンポジウム②
デザインの力が変えるスポーツ

2018 年に特許庁が経済産業省とともに発表した「『デザイン経営』宣言」ではデザインを有効な経営手段として活用することが推進された。デザインの力をブランドの構築やイノベーションの創出に活用する経営手法は、近年スポーツ界に多く見られるクラブやチームのリブランディングにおいても一端を垣間見ることができる。
しかしながらスポーツチームが地元住民から愛され、生活に深く根付いているほど、変革には困難が伴う。いかにして草の根からコミュニティを巻き込んでいくのか。本シンポジウムでは、デザインを基軸に活動を広げる多方面からの実践事例からディスカッションを深めていく。

【パネリスト】
熊本浩志 (amadana 株式会社/代表取締役社長&CEO)
山崎 亮 (関西学院大学/建築学部教授、株式会社 studio-L/代表)
吉池 淳(SPORTFIVE 日本支社/代表)
米原博章(筑波大学アスレチックデパートメント/スポーツアドミニストレーター)
【モデレーター】
片上千恵(帝京大学/実行委員会メンバー)

PART1 プレゼンテーション

伝え方も含め関係性をデザインする。

片上  今回の学会大会テーマは協働が1つのキーワードになっておりますが、帝京大学は様々な組織とパートナー提携してプロジェクトを進めています。
今年度から、アマダナスポーツエンタテインメント様とは、学生とともに大学のグッズを商品化するCOLLEGE MARKETという取組を行っています。デザインファームがスポーツ事業に参入した理由、そしてデザインが大学やチームというコミュニティにどう機能するのか。まずは、熊本様にお伺いします。

熊本 今から約20年前に東芝という会社を退職しまして、amadanaを創立いたしました。amadanaはデザインを初めて工業製品の世界に持ち込み、デザイン家電というカテゴリーを創ったと言われております。
私はもともと野球をずっとやってきて、アマチュア野球の監督として10年以上、実は全国優勝を4度成し遂げました。それがまさかこういう形で融合していくとは、そのときは全く想像もしなかったわけです。
2018年、東京ヴェルディが50周年を記念に総合スポーツ化とリブランディングに踏み切りました。私を野球チームのGMとして招聘したことがきっかけで、野球チームのGMがクリエイティブセンター長として大胆なリブランディングを進めていったという形です。今でも東京ヴェルディのクリエイティブセンター長兼野球チームのGMとして活動しております。
東京ヴェルディのきっかけで立ち上げたアマダナスポーツエンタテインメントがプロスポーツチームのクリエイティブ業務になります。ユニフォームのデザインからSNSの更新、様々なクリエイティブワークをやっております。今年からBリーグのチームや、ほかの競技にも参入しております。
ご紹介の合ったCOLLEGE MARKETという、コミュニティマーチャンダイジングプラットフォームや、今年からBEN GENERAL、YABANEという野球ブランドのメーカー事業にも参入しました。
デザインとスポーツはどちらかというと相反する価値観というか、キャラクターも全く違うものです。ここが融合していくことで、スポーツの産業化を図る上で新たな付加価値をつけるために、デザインが非常に有効な手段だという視点で運営をしております。
我々のトラックレコードとして、東京ヴェルディのリブランディングではプロスポーツチームとして初めて2020年にグッドデザイン賞を受賞いたしました。
これは単なるロゴを変更したということではありません。様々なステークホルダーの中にプロスポーツはあるので、関わる人たちを納得させながら、そしてファン、サポーターの方々も納得させながらリブランディングを行ってきました。スポーツというのは、デザインを理解している人、していない人を含めて様々な人が関わっていますが、様々な人が関わっても破綻しないようなデザインシステムをつくっております。ユニフォームの企画、デザインから、コミュニケーション戦略、どう見せるか、どう伝えるか、ここも含めて我々が一気通貫で担当しております。
ヴェルディでは色々なスポーツを同じデザインで統一していますが、これは簡単なようで難しい。同じ競技だと分かりやすくユニフォームをそろえることはできますが、競技や文化の違い、例えば、野球はアメリカ発祥の文化で、サッカーはヨーロッパが中心で、ヨーロッパで美しく見えるものと、アメリカで美しく見えるものは全く違う美学があります。これを同じ要素で統一デザインをしていくのは非常に難しいです。
もう一つ、今日の1つの大きなテーマ、マーチャンダイジングについて。スポーツ離れは結構深刻だと思っており、スポーツに興味のない人を緩くつなげていく、緩く関わらせていく、緩いエンゲージメントを生み出していくために、マーチャンダイジングがあります。これを徹底してヴェルディではやってきました。物販マーチャンダイジングの売上は、2018年に我々が関与してから2年間で倍になって、J1、J2の中ではナンバーワンということです。物自体はTシャツやキャップ、ユニフォームのレプリカなど、以前と大して変わっていません。物を改善するためにデザインを変えることは当然ありますが、むしろ関係性や伝え方をデザインすることで全く異なる化学反応が起こりマーケットを活性化させることができます。
例えば伝え方という点では、ヴェルディは我々が関与する前は、デザインだけでユニフォームを発表していました。我々が関与してからは選手を映す。ただ、これだけなんです。これだけで、売上は約3.7倍まで上昇しました。我々コンシューマープロダクトをいろいろやっている側からすると、そんなことは当たり前のことなんです。ところが、当たり前のことが意外とスポーツ業界はできていない。それをやったことによってヴェルディは、サッカーだけではなくて、様々なビジネス誌やデザイン誌、例えばファッション誌やライフスタイル誌、多方面で取り上げられることになって、どんどんブランディングが加速していきました。
そんな中、今手がけているのがCOLLEGE MARKETになります。
ヴェルディをやって気づいたことは、お客さんが増えたわけではないんです。ずっと変わらずJ2ですし、昇格争いもしていないし、なかなかトピックスがない中で、売上が倍になる要素はあまりなかったんです。それでも、伝える関係性を変えることによって売上を変えられました。眠っているコミュニティはもっともっとあるのではないかと考えたのが大学のコミュニティでした。それでこのCOLLEGE MARKETを思いついたわけです。
昨年の10月から中京大学さんとスタートしました。帝京、桜美林、名城とこの半年で4大学スタートしております。近く10校ぐらい増えていく予定です。
大学グッズは基本売れないと言われています。リーグのグッズもさほど売れないと言われていました。それを、物自体をデザインするわけではなくて、伝え方も含めて関係性をデザインする。もう一つ大事なことは、思い切りオフィシャルのロゴを貼り付けるのではなくて、抽象化したものを伝えて、いわゆるグッズからアパレルへ昇華させる。ここを徹底してやっています。
緩い関係性、緩いエンゲージメントと話しましたが、今はどんどんインターネットの普及によって、マイナー、メジャーの関係なく、大学の情報として外に発信されています。緩く関わる人たちをどのように大学コミュニティの中に入れて、グッズ展開しながら、それを買ってもらって、その収益を大学に還元するかというようなプラットフォームになっています。企画、デザイン、販売、在庫管理、SNS発信、企画して出荷までの一連のプラットフォームを我々で請け負っております。大学さんの負担はさほどないということです。
また、産学連携も積極的にやっております。今、帝京大学さんではショップ展開なども検討していますが、そういったところも学生主導で進めていく。もう既に名城大学ではポップアップなど学生さんと一緒に取り組みながら、リアルなビジネスマーケティングを学んでいく場としてCOLLEGE MARKETを展開しております。グッズからファッションへの昇華だったり、授業をプロジェクト化したり、体育会をスポーツクラブとして外に発信していくなど、そういった場面でデザインが果たす役割がもっともっとあるのではないかと思っています。

繋がったり、感動を得る、そのような経験を生み出したい

片上 2018年に日本の大学ではいち早くスポーツ部局を立ち上げた筑波大学の事例を伺います。企業や体育学部以外の組織との協働を経てアスレチックデパートメント発足に至った経緯と、そして発足後の変化にはどんなものがあったのでしょうか。米原様に発表していただきます。よろしくお願いいたします。

米原 筑波大学、大学院の両方を筑波で過ごし、メインの種目は棒高跳びをずっとやっており、棒高跳び漬けの6年間を過ごしました。競技者として、またコーチとして一流になりたいと思う一方で、学生時代はスポーツ環境デザインという研究リサーチユニットがあり、そちらでスポーツを活用した人づくり、場づくり、まちづくりといった事業をやってきた背景があります。
大学院では、アシスタントコーチとしてアメリカのディビジョン1に1年間、1シーズン過ごした期間がありました。ヒューストンという、MBL、NFL、NBAという、アメリカの4大スポーツの3つが1つの町で全ての試合が見られるような環境で1年間を過ごしました。週末になったらスタジアムに集まってばか騒ぎをする、そういう生活を1年やって、日本の大学スポーツはもっと面白くなるのではないかという思いが芽生えました。
ちょうど筑波大学にアスレチックデパートメントが設立されて、米国式のアスレチックデパートメントを取り入れ、大学スポーツを盛り上げていくといったタイミングだったので、ぜひ何か一つやってみたいということで、今の職に就きました。
スポーツアドミニストレーターという仕事を簡単に説明すると、スポーツチームに関することと、学校スポーツの最大化というところで、デザインに一番近い、ブランディングや地域との連携、コミュニティ創生といったところをやっています。
今日はスポーツとデザインというところで、筑波大学におけるスポーツ、デザインの話をしていきます。最初に筑波大学で始まったことは、カラーの統一です。来年50周年を迎える筑波大学は、各競技種目がそれぞれ異なったカラーのユニフォームを着ていました。
それが2010年IMAGINE THE FUTUREというスクールスローガンが設立され、筑波大学の伝統カラーは紫でしたが、新たにフューチャーブルーというブルーの定義をしました。過去の伝統を示す紫と、未来への意思を示すブルーというのが筑波大学のカラーとされ、それに合わせて2012年にチームのユニフォームカラーのメインカラーをブルーに統一していく動きが始まりました。
アスレチックデパートメントとして掲げたビジョンが、「最高の学校スポーツプログラムを創る」ということです。ここで言う学校スポーツプログラムの中に含まれていることとしては、競技スポーツの強化や、競技スポーツに関わる学生アスリートに対するプログラム提供だけでなく、学校にスポーツがあることによっていかに大きな価値を見いだせるか。学内の交流をいかに生み出せて、学内のエネルギーを高められるか、筑波大学が地域にどのようなスポーツの価値を提供できるかというところまで、オールインワンで含めた学校スポーツプログラムは何なのかというところを突き詰めています。
ミッションとしては健全化、最大化、そして横展開。健全化、最大化したテーマを、僕たちとしてはフロントランナーとして、筑波大学アスレチックデパートメントが示した事例を全国に展開していくことが、全国の大学スポーツ振興にとって有意義な内容になっていくと思います。
このビジョン、ミッションで掲げたものをどのように進めていくかというときに最初に着手したのが、ビジョン、ミッションを達成するためのデザインシステムの構築でした。
「筑波大学らしさとは」「筑波大学スポーツが示すべき姿勢とは」というところが一番最初に考えられ、IMAGINE THE FUTUREというスクールスローガンからも連想されるとおり、フロントランナー、変革者、そして挑戦者であれという、この3つのキーワードを示すブランドデザイン、デザインシステムを筑波大学の体育専門学部ないし芸術、そして関係する教職員の方々と設定をしていきました。
それで出来たのが、スポーツエンブレムとチームのロゴになります。これまで出てきていた校章は桐の葉、「五三の桐」だったんですけれども、スポーツとして提言するためのスポーツエンブレムを新設しました。また、筑波OWLS(アウルズ)というチーム統一の名前を決定、そして書体についてもこのためのフォントを決定して行きました。
こういったデザインシステムの下で様々な活動が行われたのが、2018年から今までの4年間。チームのユニフォームを変えていったり、ホームゲームを開催していく上で全て色の統一を行ったり、記者会見、発表のときも挑戦者、変革者としての姿勢を示すような演出を行いました。
私が筑波大学アスレチックデパートとして感じていることは、これが全学内、地域に浸透していたかと言われると、まだまだというところがあります。それはなぜかという僕の仮説としては、ロゴを作った、エンブレムを作った、カラーを統一したというのは、ほかの大学との区別だったり、大学の中でのスポーツとしての区別だけであると。一方、一番大事なことはそれを通じて行う経験や体験で、そこに存在する学生や教職員、または地域の方々がそのロゴの下で、本当にすばらしい、心を動かす体験ができたかどうかだと思っています。制度とロゴという機能的なものを作りましたが、今度はよりソフトの面で、人と人がスポーツを通じて繋がったり、感動を得る、そのような経験を生み出していくことが必要だと思います。
今までのプロジェクトはどちらかというと1チームと地域、1チームと学生というような連携だったところを、横串を刺した大きなイベントができないかと考えていて、企画したのが、筑波大学のホームゲームです。地域の方、チームも集めて、そしてその中に教職員と、またパフォーマーとしては様々なサークルの方々に参加してもらって、1つ、筑波大学スポーツというのを共通言語に様々な共通体験ができるような機会をつくりたいと考えております。
学生の中でもスポーツに関わる学生だけでなく、芸術や文系、理系の学生がみんな専門性を持って1つの場に集まって、IMAGINE THE FUTUREだったり、変革者としての姿勢をそれぞれのプロフェッショナルで突き詰めていってくれる。そのときに、今まで作っていたスポーツエンブレムやフィーチャーブルーがある。その経験こそが、卒業した後にまた、あのフィーチャーブルーを見て学生時代を思い出して、よりエネルギーのある大学になってほしいと思って母校を応援するという、そういう文化になっていくのかなと考えております。

熱狂と挑戦を表す4つの柱

片上 続いてプロサッカークラブの事例です。ドルトムントは、ブランディングによってクラブの経営危機を乗り越えた過去があります。クラブ再生の原動力となったブランディング戦略はどのようにデザインされたのか、ドルトムントの日本におけるマーケティングエージェンシーである吉池様にお話を伺います。

吉池 弊社SPORTFIVEはスポーツに特化した広告代理店のような会社で、外資系のスポーツマーケティングの会社です。ドイツのハンブルグという町に本社が、東京の新宿にオフィスがあります。事業領域は主にスポンサーシップだったり、ブランドパートナーシップを担当しています。
ドルトムントサッカークラブ専属のマーケティング代理店として、主にスポンサーを集めたり、コンテンツの企画や新規事業を創出しており、SPORTFIVEはドルトムント・ジャパンだとお考えいただければと思います。
ブランドはどのようにデザインしていくかというお話をさせていただきますが、結論というか、私は8年間くらいドルトムントと仕事をさせていただいておりますが、熱狂と挑戦の象徴だと思っています。
ドルトムントのスタジアムのゴール裏は立ち見席で2万5000人入ります。サポーターのみんなが基本的に黄色いユニフォームを着て来ます。川崎フロンターレの等々力競技場と同じくらいが、スタジアムのゴール裏に入ってしまいます。これが本当に熱狂の象徴です。来たことがない方が多いと思いますけれども、スポーツに関わる皆さんにぜひ一度来てもらいたいスタジアムの1つであります。全体としては8万1000人のスタジアムになります。一言でいうと「世界で最も熱いサッカークラブ」。これは彼ら自身、ドルトムント自身が言っています。
彼らはブラック・アンド・イエローと言うんですが、実際には黄色がメインでありますが、このチームカラーに非常にこだわりを持っているサッカークラブです。黄色のチームはあまりないと思います。青や赤で強いチームがあります。黄色で強いチームだと、一番有名なのはドルトムントだと、彼らは自負しています。
2000年代はブランドの焦点が定まっておらず、ロゴ自体は今も変わっていませんが、いろいろなデザイン、いろいろなフォントを使ってばらばらでした。ファンショップでは段ボールがあって、とてもプロのサッカーチーム、世界一を目指しているようなサッカーチームのファンショップのデザインでは決してなかったんです。
そこで彼らは考えたんです。ドルトムントらしさは何だと。経営陣から末端のスタッフまで考えたときに、出てきた言葉が、ビューティフルゲームだったり、パッション、情熱でした。
日本語で4つの柱と呼んでいますが、彼らは車のハンドルを表していると言っており、真ん中に来るのがIntensity。私はIntensityを熱狂と訳しています。Authenticityは本物。3番と4番は、他のサッカークラブも掲げているところが多いと思いますけれども、AmbitionとBonding Force、高い目標と結束力というのが入っています。それをやった結果、先ほどは取っ散らかっていた方向性が1つになっていきました。
ブランドが統一され、しっかりブランドアイデンティティを持った後のデザイン画は、黄色と黒で比較的統一されて、すっきりしたイメージができました。
一番見ていただきたいのは、右肩上がりのラインです。ドルトムントが右肩上がりに成長していくよというイメージがあって、ちゃんと角度も決まっています。これ自体はほかの球団さんもまねしようと思ったらすぐできるんですけれども、ドルトムントは本当に深く考えた上、この角度がいいんだというところにこだわりを持って、あらゆる装飾物、あるいはデザインが統一をされています。
ドルトムントが経営危機、倒産危機から復活する際に、まず、ドルトムントという町、それからクラブの100年以上の歴史、それからファンの特徴を考え抜いた上でブランドの再構築をした。ただデザインを変えただけではなく、そのブランドの核には4つの柱がありまして、その4つの柱に基づいた経営をしているということです。

主語が「私が」と語ってもらえるコミュニティデザイン

片上 コミュニティデザイナーの山崎様です。全国各地でコミュニティによって異なる課題を生活者自らが発見し、アイデアを生み出すために、参加・思考型のワークショップによってコミュニティデザインを実践していらっしゃいます。

山崎 僕は、一方的に自分から何かデザインを出したり、一方的に話し続けるというのが極めて不得意で、皆さんの話が聞きたい人間です。しかし、もともとは誰の話を聞かなくても、例えば、「帝京大学のロゴを理事長と一緒に決めたのがこのデザインだから、あとは、みんな、それに従って使ってくれ」というような、人の話を聞かなくても、何かデザインがつくれるという、そんな人間なはずでした。
ところが、だんだん変わってきたんです。米原さんがおっしゃったように、浸透させるのが難しい問題です。デザイナーは想いがあり、クライアントからすごくいろいろ聞いてデザインを創りますが、結果的に、別にそんな思い入れはないけれど、と使う人たちが思ってしまったら、広がらないし、愛してくれないです。
例えば、このホールを造るときに、このホールを使う人たちの話を聞かずに設計を進めてしまったら、出来たとき、9割方が文句を言うんです。何でこの色にしたのか、座りにくい、前が見にくい、寒い、暑い、いろいろ言われてしまう。それは何だろうと考えました。利用する方々自身が自分も作り手だと感じられれば、むしろ、「ああ、そこが足りなかったか。もう少し次はこうしよう」と自分たちが考え始めるのではないかと思いました。
現在、どのようにデザインをしているのと言えば、公共建築、公共の空間の設計では、まず地域の方々に集まっていただいて、グループに分けます。100人だったら5、6人ぐらいずつのチームで話し合っていただき、その話合いの結果をデザインに反映させていくという仕事をしています。
この仕事のスタイルにはいろいろと発見があります。まず、素人の意見を聞いても大したデザインにならないという発見があります。デザインのことなど昨日まで考えたことのない人たちがワークショップの会場に来て話し合うのだから、そこからもらう意見でデザインを考えても、大したデザインになりえません。1年、2年と時間をかけて対話をしながら一緒にデザインをするなら、地域の皆さんもデザインについて学んでもらわないと良い意見は出てこないということです。
世界中のスタジアムはどういうデザインになっているのか。ホールは一体どんな種類があるのか。そんなことを学びながら、使い手としての気持ちや、そこの地域に住む生活者としての気持ちと、それから、新しく出来上がるスタジアムや、公園や、ホールのデザインについて、頭の中で混ぜて発想できるようになる、そういう、学びの場が大事になるということが発見できました。
もう一つの発見は、完成した後の空間について、皆さんが自信を持って語り始めるということがあります。そのデザインについて、自分の知り合い、10人、20人に説明する。あるいはSNSで、あれはこういう意味があるんだよと語ってくれる人になってもらえます。
3つ目としては、参加してくれていた人たち自身がつながって、新しい活動をいろいろとつくり出してくれるということも分かってきました。
物事を参加型でデザインしていくのはかくも大切なことなのかというのは、もともと自分のデザインを「見ろ!」と言っていた人間からすると、すごく大きな反省でした。それ以来、コミュニティの方々と一緒にデザインを考えていくということで「コミュニティデザイン」と自分の仕事を名乗るようになりました。
例えば公園を造ってほしいと言われた場合の1段階目ではワークショップをやって、みんなの集まった意見をビジュアルにします。意見を構造化するとこういう感じなるよねというようなことを、1年ぐらい繰り返して行いデザインを提示します。
2段階目は、意見を出したら実際に公園予定地で皆さんがやると言ったことを1回実験してもらっています。ヨガ教室をやりたいと言っていた人には、何メートル×何メートル必要?ということを聞いたり、夜は怖くない?どこに照明があったほうがいい?など実験を繰り返します。公園が完成したら、その人たちが自分たちが楽しむだけではなくて、来園者の方々に楽しんでいただくようなプログラムをやってくださいとお願いをしています。
公園が工事中の間は、駅前広場で練習したり、空き地で練習したり、駐車場を借りて練習したりして、公園が完成したら活動をいろいろやるから、皆さん、来てくださいねというPR活動までやってくれるようになります。この方々が待ちに待った公園が完成すると、わっと人が来てくれるということになります。
コミュニティデザインで造った公園の特徴は、何か怪しげな人たちがいることです。この人たちが、コーヒーを振る舞ったり、ヨガ教室をやったりします。全部無料です。この人たちは、これをやるのが公園での楽しみ方なのです。
スタジアムやボールパークの周り、コミュニティの方々が何かやってくれたらいいのにと思うけれど、試合がないときはすごく閑散としているということは、実はデザインのプロセスが間違っていた可能性もあります。あるいは、VIやCIなど、いろいろとデザイナーに頼んで考えてもらったんだけれど、どうもいまいち、みんな乗ってくれないねというようなのも、デザインのプロセスがひょっとしたら違っていたのかもしれないということをよく考えます。
言うことを聞かせられる人が優秀なデザイナーだと20世紀は言われました。でも、今、僕らがやらなければいけないのは、地域の人たちが、あれができる、私たちはこれだったらできる、私たちはこういう貢献だったらできるというのを1個ずつ聞いて、聞いて、聞いて、なるほど、だったら、我々の未来のデザインはこういう形にしようかと、後から発想していかなければいけないです。
私たちが言ったもので出来上がったものだと実感してくれて、その後もずっと関わり続けたり、主語が「私が」というように語ってくれるものになったり、物語になったりしていくというようなことです。
だから、旧来、デザインと考えられてきた順番を大分変えないと、実はユーザーの方々が愛を持ってそのデザインを運用していくのは難しくなる。ここの切り替えをデザイナーの頭の中でどのようにしていくのかというのが、今回、このスポーツとデザインということを考えるときにも大切になってくるのではないかと思います。

PART2 ディスカッション

片上  熊本さん、対話のお話がありましたが、東京ヴェルディのリブランディングで、歴史、伝統を持つ人気クラブ、ロゴを変えることに拒否反応を示した方も多かったと思いますが、どんなコミュニケーションが必要だったのでしょうか。
熊本 ヴェルディというと、関わったOBの方を見るだけで結構すごい方がいて、1つの方針に絶対にならないし、基本的にコミュニティは、変えることをまず嫌がる、拒否するというところからスタートします。私が一番最初にやったのは、読売フットボールクラブの創業者であり、初代の東京ヴェルディの社長であった坂田さんに、3時間をかけてインタビューをさせていただきました。どういう思いでプロサッカーが日本の中に必要とされたのか。そして、どういう思いを持って読売フットボールクラブを設立して、ヴェルディになったのか。ヴェルディの語源や、「なぜ」というところをずっとインタビューさせていただいて、お話させていただきました。
いろいろなステークホルダーの方から説明をまず聞くというところからスタートして、そうしたら、人間というのは不思議なもので、全部聞いてもらえると「じゃ、いいよ」と言ってくれます。変えてもいいよと。
最終的には坂田さんは、ヴェルディというのは常にパイオニアスピリットを大事にしてきて、とにかく先進的にいろいろなことをやってきたチャレンジャーだったと。だから、変えていいんだと。もし何か言ったら、俺の名前を使っていいからというところがありました。
片上 米原さん、アメリカの学生は堂々と大学ロゴの入ったトレーナーなど、それをいつも身につけている印象があるんですけれども、あのように日本の大学でエンゲージメントを高めるためには何が必要でしょうね。
米原 これはすごく難しい問題です。僕自身、アメリカに行って、学生が自分の母校のTシャツを着ている一番の理由は、着る場所があるということだと思っています。週末になるとホームゲームが大学の中にあって、みんな、寮の中から着替えてそこのホームゲームに行きます。そのTシャツを着ていないほうがおかしいというようなことになっています。さらに、多くの試合に行くとTシャツをもらえます。気づかずに、大学のロゴの入ったTシャツがクローゼットに増えているというのも1つかなと思っています。
片上 吉池さんも、アメリカの大学の留学経験がおありですけれども。先ほどのロゴのトレーナーの件はどのようにお考えですか。
吉池  バークレーはスクールカラーが赤のスタンフォード大学がライバルです。で、我々バークレーは紺色と黄色、カリフォルニア州の色です。ビッグゲームの1週間は赤いものを身につけると脱げと言われるぐらい伝統となっていて。自分たちのスクールカラーを大切にし、みんな、その週はグッズを着るんだと。まさに着る場がありました。多分、アメリカの大学はどこの地方へ行っても特にスポーツにまつわってあると思っています。
片上  御紹介いただいたドルトムントの、あの観客席が染まるのはまさに御説明いただいたアイデンティティの現れということでしょうか。
吉池 そうですね。特にドルトムントは、ホームゲームがある日は黄色で町が染まります。それはクラブ側が仕掛けているというより、生活に浸透しているようなところがあって。試合になったら、スタジアムに来ない人も旗を上げたりしますし。生活のリズムというか、そんな印象なので、特にプロモーションという感じはないですね。
日本も阪神はそういう印象がありますよね。試合の日になると居酒屋で阪神グッズが普通に出来ているような。
山崎 いわゆるコミュニティと一言でいうけれど、同心円のような感覚です。熱狂的な人たち、何かあれば手伝うよという人たちがいて、その外側には無関心な人たちがいるという、それぞれの濃度のコミュニティに対して、デザイナーがどのように仕掛けていくのかというのが大切になると思います。
一体、そのコミュニティと言われている人たちのどの層の人たちに対して今、デザインを提供しようとしているのかによって、振る舞い方は変わってくるだろうと思います。ただ、いずれにしても、対話の在り方は、どのタイプにしてもすごく重要になってくると思います。
クラブチームも、地域のスポーツも大学のマネジメントの在り方も、みんなそうだと思います。大学の学長は、理事長は、我々学生の言うことなんか一切聞いてくれないんだと思っている学生たちが、その大学を愛すことができるのかどうか。そのクラブチームを愛すことができるのかどうか。ということに対して、少なくともしつこく対話をし続けるよという態度が表明できているかどうかというのは、デザインよりも前の段階として大切なことなのではないかという気がいたします。
熊本 昔から当然、意匠、デザインというのはありますが、昨今、社会におけるデザインの役割というのが恐らく、ファンクションというところから、ソリューション型と言われる、本当にデザインが解決するものが増えてきたと思います。
デザインというのは、表層的なものだけではなくて、意味だったり、全体の仕組みを包み込むような広義な意味での役割がすごく重要で。それにしっかり取り組むこと自体が、要は何かのソリューションになっていると私は思っています。
吉池 今日、皆さんのお話を聞いていると、デザインはデザイナーやプロフェッショナルな人のものではなくて、みんなのものというか、一緒になってつくっていくというか、より21世紀とか、これから求められる形があって、そうすると、コミュニケーションというのがすごく大事で。みんなで決めましょうというストーリーなど目に見えないデザインというのがあるというのを学びました。
山崎 デザインを学んでいる人たちが教科書で一番最初に、ウィリアム・モリスという、19世紀のイギリスのデザイナーを学びます。アーツ・アンド・クラフツ運動を立ち上げた人で、椅子のデザインもやるし、建築のデザインも、壁紙のデザインも、ブックデザインもやりますけれども、結果、最終的に何をやったかといったら、社会主義運動です。つまり、社会を変えないと駄目だということをやっています。
そもそもデザインは、生まれたときから実は範疇がかなり広かった概念です。その後、ドルトムントがクラブをつくったぐらいの時期から、ドイツにデザインが移っていきます。1919年には、バウハウスが出来上がります。33年までです。
1933年以降、どうなったか。戦後特に日本に入ってきたら、それが商業デザインになってしまったんです。つまり、戦後からついこの間までだけが、デザインの歴史においては、デザインというのは意匠、形の話だけを扱っておけばいいでしょうと思われていた時代なんです。今、もともとのデザインの領域に戻ってきたということであり、熊本さんが、多分それをまず実践されているんだろうと思います。
だから、デザインということを80年代や70年代のイメージで捉えないようにしていただければ、これからもっと皆さんがデザインに関わる余地はあるだろうと思いますし、もっとデザインを使いこなしていっていいんだと思っていただけるのではないかという気がします。
片上 ありがとうございました。デザインの活用はスポーツ界においてもますます多様に拡大していきそうですね。まとめてくださって、ありがとうございました。

▶本稿は2022年7月10日(日)に開催された、日本スポーツ産業学会第31回学会大会の同名シンポジウムをまとめたものである。

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