• HOME
  • ブログ
  • INTERVIEW
  • アシックス復活の舞台裏 ~社長直下プロジェクト「Cプロジェクト」で何が行われていたのか?~

アシックス復活の舞台裏 ~社長直下プロジェクト「Cプロジェクト」で何が行われていたのか?~

アシックス復活の舞台裏 ~社長直下プロジェクト「Cプロジェクト」で何が行われていたのか?~
畔蒜洋平│早稲田大学スポーツ産業研究所招聘研究員

2022年7月、アメリカで開催された世界陸上オレゴンはアシックスが世界中に技術力を示す格好の機会となった。アメリカ代表のマラソン選手男女6名のうち3名がアシックスのシューズを着用し、うち2名が入賞を果たす結果となった。前年の東京五輪では世界中のトップランナーがナイキの厚底シューズを着用する散々な結果であった。そこからわずか1年で何が変わったのだろうか? その裏にはアシックスが反転攻勢をかけるための社長直下のプロジェクト「Cプロジェクト」の存在があった。

アシックスのスーパーシューズは東京五輪には間に合わない

アシックスの厚底シューズと言われるスーパーシューズの開発は完全に遅れを取っていた。2020年1月、当時はまだ東京オリパラの延期が決まっていない頃であったが、本番まで残り6ヶ月を切っているにも関わらずアシックスの納得できる商品が完成しておらず、翌年の世界陸上すら間に合うか危うい状態であった。通常の開発フローでは絶対に間に合わない。一方で、アスリートのために、1日でも早くアシックスのスーパーシューズを発表する必要があった。アシックスは2018年に廣田康人氏が社長に就任し、東京五輪を契機としてマーケットシェアの拡大が期待されていた。しかし、2018年と言えば、ちょうどナイキから厚底シューズが投入されたタイミング。アシックスはこれまで絶対的な技術力を強みに、国内でもトップ選手から市民ランナーまで競技志向のランナーから盤石な支持基盤を得ていた。ナイキやアディダス、ニューバランス等のグローバルブランドが様々な施策を講じても崩れなかった日本のその支持基盤をナイキの厚底シューズが一気に崩すこととなった。選手の自己ベストや大会記録が次々に更新され、2020年箱根駅伝に至ってはアシックス契約の大学すらナイキのシューズを着用する始末。翌年2021年箱根駅伝ではアシックス着用の選手が1人もいない非常事態となった。そんな危機的状況の中で立ち上がった、アシックスの社長直下プロジェクト「Cプロジェクト」のプロジェクトリーダーを務める竹村周平氏とグローバルでマーケティング戦略を担う牧野田玄太郎氏に話を聞いた。

箱根駅伝のアシックスとナイキの着用率

アシックス創業者鬼塚喜八郎への原点回帰 

竹村 社長の廣田からこの危機を乗り越えるために創業者の鬼塚喜八郎の考えに原点回帰をしよう、という話がありました。鬼塚はアシックスが駆け出しの頃に大企業に立ち向かう戦法として「キリモミ商法」という、どんなに硬い鉄板や岩も一点に錐を揉み込むようにすれば必ず穴は開けられる、という考えのもと、事業を一点に集中することで市場を開拓してきました。アシックスは総合スポーツメーカーとしてバスケットボールやサッカー、野球、テニス等のスポーツを扱っていますが、その中でもランニングを重点分野とすることを全社決定しました。

ランニング事業において、2019年11月に社長直下のプロジェクトが発足されました。ミッションは2021年3月にとにかく選手が勝てるシューズを発表すること。もうこれ以上先延ばしにしないということだけが決まっていました。猶予は約1年。稟議書を上げて上長の承認を取って、他部署と連携してという従来型の業務の仕方では全く追いつきません。そこで研究開発、マーケティング、法務担当等、シューズの開発から選手の契約に至るまであらゆる部門を横串にして社長が直接意思決定をしていく、という体制になりました。今までのアシックスにはない新たな試みでした。

CプロジェクトのCとは、創業者の鬼塚が「頂上作戦」と名付けた必勝方法の頭文字を取ったものです。とにかくトップ選手からの信頼を得ることが何よりも重要という考えでした。我々が失いかけていたのはまさに世界中のトップランナーたちからの信頼でした。1964年の円谷幸吉さん以来、五輪のマラソン種目でメダリストの誰かしらがアシックスを着用していました。しかし2008年北京五輪を最後に、アシックス契約選手からメダリストを輩出できていません。選手たちと契約しようにも代理人からは「戦えるシューズがないならいくら条件が良くても選手を紹介しない」と選手に話すらさせてもらえないこともありました。

プロジェクトを進める上で若手中心のメンバーで、難しい判断を即断即決で行う必要があり、正直戸惑いも大きかったです。そこでまず、プロジェクトメンバーそれぞれが抱える課題を共有するところから始めました。私も開発にずっと携わってきましたのでマーケティングなどの関連部門が何に問題意識を持っているのかを改めて聞くと、きちんと理解をしていないことに気づきました。また、課題を共有した結果、程度の差はあれどメンバーそれぞれがもっと選手のために全力を尽くしたいと思っていることが分かったのです。そこで、「選手のためになること」を全ての判断基準に置きました。実際、意思決定の場でNOという判断をするときは大抵、選手のためではなく、目先の利益や会社の都合での判断をするときです。それって本当に選手のためになるのか?という意見が日々、飛び交っています。

Cプロジェクトリーダーの竹村周平氏

通称「サラ・ホールシューズ」の発表

竹村 プロジェクトがスタートした時には既にアシックスから選手がどんどん離れてしまっている状況でしたが、何名かの選手は我々のことを信じてくれていました。その1人がアメリカの女子マラソン界を牽引するサラ・ホール選手でした。私たちを選んで残ってくださったことは嬉しい気持ちの反面、選手たちの期待に応えるシューズができていないことに対する不甲斐なさもありました。サラ選手自身も五輪出場を逃してしまい、次の世界陸上オレゴンでの再起をかけていました。オレゴンで挽回する、その気持ちは私たちの危機感と通ずるものがありました。私たちは選手の為に最善を尽くすことはこれまでと変わりませんが、気持ちの部分でも選手と同じ目線に立って勝ちたいと思うようになったことが一番の変化かもしれません。私たちの気持ちが通じて、サラ選手や他の選手たちも事細かに意見をくれるようになりましたし、その意見をできるだけ早くスピード感を持ってプロダクトに反映させることで私たちも期待に応えてきました。選手と開発者が一緒になってシューズ開発に取り組むことができました。

2020年10月ロンドンマラソン。ここにサラ選手が、我々のシューズ「METASPEED SKY」のプロトタイプを着用して出場することが決まりました。プロジェクトが立ち上がって10ヶ月でひとつの形を作り上げることができました。しかし、初めて我々の開発したシューズが大会で使用されるという事で、本当に戦えるのかという不安はありました。大会が近づくにつれ我々も緊張で落ち着かない日々が続きました。そして、レース本番。ハーフを9位で通過したサラ選手はそこから、30キロ地点で6位に上がり、35キロ地点で4位、そして40キロ地点でメダル圏内の3位に。バッキンガム宮殿前のラスト150mの直線で2019年世界陸上ドーハの金メダリスト、チェプンゲティッチ選手(ケニア)とのスプリント勝負を制して2位でフィニッシュ。後半に見事な追い上げを見せる劇的なフィニッシュとなり、最高の結果を残してくれたのです。フィニッシュ後には私たちにも感謝の言葉をかけてくださいました。

そして、驚きはそのわずか2ヶ月後の12月、アリゾナで開催されたチャンドラーマラソンで2時間20分32秒のアメリカ歴代2位の記録を更新する大記録を樹立し優勝。このサラ選手の劇的な勝ち方と大記録がセットになって、我々のシューズは通称「サラ・ホールシューズ」と呼ばれ、各国の選手関係者に認知してもらえるようになりました。このサラ選手の活躍を皮切りに、アシックス契約選手が次々に好記録を連発してくれました。こうした選手の好記録によって、アシックスにも戦えるシューズがようやくできたことが認知され、選手契約の話が次々に舞い込んでくるようになりました。

プロトタイプを経て2021年3月にアシックスのスーパーシューズであるMETASPEED SKYを発表いたしました。アシックス着用の各国のマラソン代表選手の数は、発表前の2019年世界陸上ドーハでは、男子4.1%(3名)、女子2.9%(2名)とほとんどいない状態でしたが、2021年東京五輪では男子10.4%(11名)、女子8.0%(7名)、そして翌年の2022年世界陸上オレゴンでは男子12.9%(8名)、女子12.5%(5名)と、契約選手のシェアを二桁台に伸ばすことができました。その中でもアメリカ代表6名のうち3名がアシックス契約選手であることが一番の成果でした。サラ選手がシーズンベストの2時間22分10秒で5位入賞、エマ・ベイツ選手が2時間23分18秒の自己ベストで7位入賞という結果を残してくれました。2人ともアシックスから選手が離れた厳しい時期に残ってくれた選手でしたので、彼女たちの入賞をサポートすることができて本当に良かったと思います。

世界陸上オレゴンで入賞したアメリカ代表選手たち(エマ・ベイツ選手(左)、サラ・ホール選手(中央)写真:PICSPORT

リカバリーサンダルを発表

牧野田 選手と会話をしている中で練習やレースでパフォーマンスを上げることと同じぐらい、試合や練習後に足を休ませることが大事、という話を偶然聞く機会がありました。アシックススポーツ工学研究所で200名のランナーを調べてみると競技後にシューズを履き替えているランナーは82%であることがわかったのです。練習や試合では当社のシューズを履いていても、練習が終わったら他社のアップシューズを履いていたり、ブランドも分からないようなサンダルを履いていたりという状況でした。私たちが選手をサポートできる領域は、練習や試合の場だけではない、というある種の当たり前が、すっぽりと抜け落ちていることに気付かされました。リカバリーサンダルが世の中に出ていくにあたり、選手のニーズの発見に加えて、社内の2つの検討事項が重なり合ったことも大きな要因として挙げられます。ひとつは、3Dプリンターの技術を採用したことです。リカバリーサンダルをどのように開発しようとなった時にちょうどアシックススポーツ工学研究所で、3Dプリンターの技術開発を行っていたことです。当社の究極の理想は選手一人ひとりの足に合ったオーダーメイドの靴を提供することです。これまでトップレベルの選手には足に合わせたカスタマイズをすることで、パフォーマンスを支えてきましたが、より多くの人に自分の足にぴったりと合った靴を提供し、履いた時の喜びや感動を味わっていただきたいと考えております。従来は夢物語でしたが、3Dプリンターは将来的にそうした夢を実現できる可能性を秘めていたのです。ランニングシューズの場合は、複数の素材を使う必要がありますので技術的に難しいところがありますが、サンダルであればひとつの素材で作ることが可能です。そうした背景からトップ選手から市民ランナーまで、場合によっては走らない人も含めてより多くの人に当社のリカバリーサンダルを履いてもらおうということになりました。
もうひとつは当社のブランディングの考え方を世界陸上の場で表現する上でリカバリーサンダルが最も適していたということです。私たちは誰もが一生涯、運動・スポーツに関わり心と身体が健康で居続けられる世界の実現に向け、ありたい姿からブランドの見直しを図りました。競合スポーツブランドが持ちたいポジションは「ヒーローブランド」や「支配者的なブランド」。ブランディングにおいて「勝つこと」が非常に重視されます。一方で、我々は確かに五輪選手のサポートをしてきましたが、我々の原点は勝者を作りだすだけのモノづくりではなく、心身ともに健康な若者を育てるためにスポーツシューズを作り始めたことです。この「人に寄り添う」ブランドとしてのルーツに忠実であることがブランドの差別化につながると思いました。競合ブランドを含めたユーザー調査を行うと「競技志向」「スタイリッシュ」「ハイクオリティ」といった、パフォーマンスに繋がる領域では、ナイキ、アディダスの2強でした。ただし「心の健康をもたらす」「寄り添う」「社会に貢献する」という項目が各ブランド間で特定のブランドが抜き出ているわけではないことが示されました。まさにここが我々が取るべきポジショニングであります。

世界陸上の期間中にアフターパフォーマンスサンダル「ACTIBREEZE 3D SANDAL(アクティブリーズ スリーディ サンダル)」(以下、リカバリーサンダル)が発表された。通常、秋・冬のシーズンに向けて新たなパフォーマンスシューズが披露されると思いきや、リカバリーサンダルが発表され関係者を驚かせた。

2021年1月からのアシックスのブランドスローガンが「健全な身体に健全な精神があれかし」という我々の創業哲学の英語訳である「Sound Mind, Sound Body」になり、世界陸上での我々のメッセージはココロをポジティブに変えていくという意味合いの「#LiveUplifted」としました。偶然の部分もありますが、世界陸上の開催地がヒーローブランドの頂点であるナイキの創業の地であるオレゴン大学でした。プロダクトの部分ではナイキに奪われたシェアを取り返すという部分はありますが、ブランドとしてはナイキと真っ向勝負はせずに新しいブランドポジションを世界中の陸上・ランニングファンに示す場にしていきたいと考えておりました。ちょうどそこにリカバリーサンダルの開発の話があり、世界陸上の期間中に発表することにしました。

アフターパフォーマンスサンダルACTIBREEZE 3D SANDAL

CHOJO CAMPでの次世代育成

竹村 今回の2022年世界陸上オレゴンで欧州、北米の選手からは一定の支持が得られたと思います。また、世界陸上オレゴンの直後に開催された欧州選手権では、男女マラソンの優勝はアシックス契約選手が優勝することができました。ただ、ワールドマラソンメジャーズや世界陸上やオリンピックで金メダルを獲得できるようなTop of Topの選手たちと契約するには至っておりません。中長距離界はやはりアフリカ勢が世界の上位を占めている状況です。そこで、2021年、アフリカのトップ選手が集結するケニアのイテンという場所にアシックスの拠点「CHOJO CAMP」を立ち上げました。次世代トップ選手たちの育成・強化に携わりながら将来のメダリストとの契約ができるよう交渉を進める予定です。

現地では定期的にタイムトライアルを開催して、その中で良い選手をスカウトしチームアシックスとして活動をしてもらいます。現地でタイムトライアルを呼びかけると、どこからともなく足自慢が集まってきます。他の国なら代表選手になれてしまいそうなタイムで走れてしまう選手がたくさんいます。ケニアは日本のようにランナーの環境が十分に整備されているとは言えない状況ですので、可能性のある選手に世界に挑戦できる環境を提供することで世界の舞台で戦える選手を輩出していきたいと考えております。

世界陸上オレゴンでは「CHOJO CAMP」から2名の代表選手を輩出することができました。1人はウガンダの選手で女子マラソン代表選手として出場し、もう1人はケニアの選手が女子800mに出場しました。2人とも入賞には届きませんでしたが、2年足らずで代表選手を輩出できたことはひとつの成果だと思います。

ケニアのイテンにあるアシックスの拠点「CHOJO CAMP」

世界陸上東京へアップデート

竹村 2020年にこのプロジェクトが始動し、改めてアスリートと共に頂上を目指す活動をしています。 2025年まで毎年大きな大会が開催されます。2023年ブダペスト世界陸上、2024年パリ五輪、そして2025年東京世界陸上。 これら大舞台に照準を合わせ、アスリートと共にステップアップしながら最高の結果をだしていきたいと考えています。

牧野田 リカバリーサンダルといったプロダクトだけではなく、アシックス主催のランニングイベントの開催やRunkeeperといったランニングアプリを通じて、リアルからオンラインまでより多くの人との接点を作れるように自らのサービスを磨くことに投資を行っていきたいと考えております。単なる原点回帰ではなく、今まで以上に頂きをより高く、裾野をより広くすることで、アシックスの中で脈々と継承されてきたことをアップデートしていきたいと考えております。

関連記事一覧