スポーツ産業を測る スポーツボランティアはスポーツGDPに含めるべきか その2

スポーツ産業を測る
スポーツボランティアはスポーツGDPに含めるべきか その2
庄子博人│同志社大学スポーツ健康科学部准教授

近年、スポーツの経済規模を計測する試みがさまざまな国で報告されています。例えば、中国は、2025年までにスポーツ産業を7,870億米ドルにする政府の国家戦略が策定されており、2020年は4,310億米ドルだったとしています。また、カナダは、文化GDPとスポーツGDPを算出しており、2019年スポーツGDPは約600万ドル、カナダ経済の0.3%であると報告しています(文化GDPは2.6%)。また、マレーシアは、青年スポーツ省がSSAを構築してスポーツ産業の成長を促すことを表明し、2030年までの計画である2030 National Sports Visionの中でスポーツ産業の成長が計画されています。さらに、オーストラリアでは、健康スポーツ省が、SSAを構築してスポーツGDPを計測しており、オーストラリアのスポーツGDPはGDP比0.8%であり、イタリアの0.7%、スペインの0.8%に近しいことを明らかにしています。さらに加えて、webのニュース記事レベルであれば、台湾、サウジアラビア、インド、タイなどの国でも、SSAというような厳密な経済統計ではないかもしれませんが、スポーツ産業の経済規模に関する記述をみることができます。
このように、欧州だけでなく世界各国でスポーツ産業の経済統計への関心の高まりや成長産業としての期待が見られますが、スポーツ産業の経済規模を計測する手法や考え方については、まだまだ議論するべき事項は沢山あると考えられます。とくに、スポーツ活動を支えるボランティアや無償労働をどう評価するのか、というのは大きな問題ではないでしょうか。オリンピックやパラリンピックなどメガスポーツイベントでのボランティアはもちろん、学校運動部活動を支える保護者等の無償労働、地域のスポーツイベントのお手伝いなど、スポーツ活動を円滑に進め、維持するためには欠かせない「必須の存在」であると言えます。
GDP統計のルールを決めているSNA(国民経済計算)では、ボランティアや無償労働は、現在のところGDP統計で補足する範囲に入っていません。これはボランティアや無償労働が非営利の活動であるからという理由ではありません。GDP統計では非営利組織(政府、病院、教育、その他NPOなど)であっても、人件費等の費用を生産とみなすことでGDP統計に含まれることになっています。あるいは、持ち家世帯の帰属家賃,農家の自家消費,警察や消防などの公共サービスなども、市場を通じて売買されませんが,そのサービスの生産にかかる費用から(帰属)価値を推計してGDPに含めています。むしろ市場を介さずに行われる無償労働や家事労働は、SNAでも「一般的な生産境界の内」であると認められています。が,家事労働の場合は、価値推計の困難さや、生産・消費・分配の整合性の問題のためにGDPには含めないことにしています。また、重要な問題として、家事労働を労働だと認めてしまうと、失業という概念がなくなり、失業率という経済統計上極めて重要な指標に意味がなくなってしまうことも一因であるようです。このように考えると、スポーツボランティアやスポーツ活動を支える無償労働について、生産とみなして金額を推定し、スポーツGDPに加えることは、できないことはありませんが、あまり意味のある統計にはならないかもしれません。
さて、そこで、私は、スポーツボランティアをはじめとしたスポーツを支えるための無償労働については、スポーツに関する人的資本として、一種の「社会的共通資本」のように捉えることが適切ではないかと思っています。経済学者の宇沢は、自然環境、社会的インフラストラクチャー、制度資本の3つを「社会的共通資本」と呼び、社会全体にとって共通の資産として社会的に管理、運営されるものであり、豊かな社会を構築する上での社会的装置であるとしています。つまり、豊かな社会を構築するためには、フローとしての産業だけだけでなく、土地、大気、森林などの自然、上下水道、道路、電力などのインフラ、医療、金融などの制度等のストックとしての社会資本が必要である、という主張です。この考え方を援用すれば、スポーツ活動を成立させるための条件として、スポーツの社会資本、スポーツのストックという考え方ができるのではないでしょうか。自然環境、スポーツ施設、治安などは当然のことながら、スポーツボランティアもスポーツを成立させることに必須の環境のような存在であるならば、スポーツの社会資本として定義しても問題ないように思います。そして、統計的にもスポーツボランティアや無償労働は、スポーツGDPのフローの統計に入れるよりも社会資本のストックとしての統計に整理をした方が適切かと思います。
スポーツの社会資本とスポーツ産業は、互いに関連し合い、スポーツ活動を成立させるためのストックとフローの両輪になると思います。さらにいえば、自然環境、施設、スポーツクラブ、そしてボランティアなどの社会ストックの存在は、スポーツ産業にどのような影響を与えているのでしょうか。例えばヤマハ発動機は、マリン事業の売上高が約4,000億円ほどで、世界でもトップレベルですが、これは日本が国境を海に囲まれていることも理由の1つとして考えられ、海がない国であればそのような企業は生まれていなかったかもしれません。このように、スポーツ産業の活性化に与える前提条件のような意味も社会資本にはあると思っています。
また、言うまでもなく、スポーツの社会資本にあたる概念というのは、そもそも古くからある考え方で、これまでもスポーツ施設、地域スポーツクラブ、公園や河川、海や山、そしてボランティアなど、「スポーツ環境」や「スポーツ資源」として語られてきたものです。ただし、これまでスポーツ産業としてのフローと、スポーツの社会資本としてのストックを対になった概念として捉えることはなかったのではないでしょうか。

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