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スポーツ法の新潮流  アンチ・ドーピングルールによる制裁は完全か?──北京冬季オリンピック、ワリエワ問題

スポーツ法の新潮流
アンチ・ドーピングルールによる制裁は完全か?──北京冬季オリンピック、ワリエワ問題
松本泰介│早稲田大学スポーツ科学学術院准教授・博士(スポーツ科学) 弁護士

北京冬季オリンピックが閉幕しました。大きな話題となってしまったのは、ロシアオリンピック委員会(ROC)から出場していたカミラ・ワリエワ選手の問題です。ワリエワ選手については、北京オリンピックへの出場の可否が問題になるだけでなく、フィギュアスケート競技の金メダル候補として、また15歳という年齢もあって大きな注目を浴びました。

1. 北京オリンピック・ワリエワ問題
事の発端は、昨年12月ワリエワ選手がロシア選手権に出場した際のドーピング検査において採取された検体に陽性反応が出たことが、北京オリンピック開催期間中に明らかになったことです。いろいろ憶測はありましたが、コロナ禍などの影響もあり、ドーピング検査の結果が出るのが遅れたため、北京オリンピック期間中になってしまったようです。
この場合、世界アンチ・ドーピング規程(いわゆるWADA規程。正確にワリエワ選手に適用されるのは、こちらに準拠したロシア・アンチ・ドーピング規程)に形式的に違反することから、ワリエワ選手に対してはロシア・アンチ・ドーピング機関(RUSADA)から暫定的な資格停止処分が科されたのですが、ワリエワ選手から異議申し立てがなされ、RUSADA裁定委員会により、その処分は解除されました。
これに対して、国際オリンピック委員会(IOC)、世界アンチ・ドーピング機構(WADA)、国際スケート連盟(ISU)が、スポーツ仲裁裁判所(CAS)に申立てを行い、RUSADA裁定委員会の決定を争うことになったため、CASの裁定に大きな注目が集まりました。
CASの裁定では、結論として、IOC、WADA、ISUの申立ては棄却され、ワリエワ選手の暫定的な資格停止処分は解除される=北京オリンピックは出場できる、ということになりました。理由としては、WADA規程の形式的な文言からすれば、ワリエワ選手を含む要保護者に関しても、他者と同様に、暫定的資格停止処分を課すことになるのですが、CAS仲裁パネルは、
●WADA規程にはいくつも要保護者に対する特別取り扱いを認める規定があること
●WADA規程の暫定的資格停止に関する規定には、要保護者について何ら触れられていないこと(現在のWADA規程の起草委員会も要保護者の取り扱いについて検討していないこと)
●暫定的資格停止を課さない場合について、要保護者に関する特別な取り扱いが認められないことは、WADA規程全体として意図しない不公平となってしまうこと
●要保護者については、任意的な暫定的資格停止が適当であること
などを示しています。
この裁定に対して、日本の報道では、暫定的資格停止が原則であり、要保護者に関する例外を認めるべきではない、ワリエワ選手を暫定的資格停止処分にすべきだった、などとの意見も出されています。
ただ、アンチ・ドーピングルールとは、そもそもアンチ・ドーピング規則違反が認められた場合に、事後的な資格停止処分を課すルールに過ぎず、原理原則は選手に出場資格があります。IOCがアンチ・ドーピング規則違反で6カ月以上の資格停止を受けた選手の出場資格を認めないルール(いわゆる大阪ルール)が争われたCAS裁定(CAS 2011/O/2422)では、このような規則が無効であると判断されており、出場資格ルールではないことが明確に判断されています。資格停止が原理原則などということは法曹関係者としては到底理解できるものではなく、あくまで資格停止処分を課すことが例外です。したがって、出場資格があることを原則として、本件に関して例外としての暫定的資格停止処分の是非を検討した今回のCAS裁定は十分に是認できるものでした。

2. アンチ・ドーピングルールは不完全
また、アンチ・ドーピングルールはまだまだ完全なルールではありません。アンチ・ドーピングの考え方自体は以前からありますが、WADAが設立され、WADA規程が初めて施行されたのは2004年です。そこから現在まで20年程度しかたっていません。アンチ・ドーピングに関して、まだまだ十分に検討されていない論点も数多くあります。
現代のドーピングは、もはや選手個人だけの問題ではなく、ツールドフランス参加チームの組織的ドーピングや、ロシアの国家ドーピングなどの事件に象徴されるように、きわめて大規模な組織的問題に発展してきました。このような問題に対応すべく、アンチ・ドーピングルールは、現在進行形のかたちでどんどん拡充されています。アンチ・ドーピング規則違反や制裁の内容だけでなく、アンチ・ドーピングの手続きの詳細については、検査およびドーピング調査、治療使用特例、プライバシーおよび個人情報の保護、結果管理 、教育それぞれに関する国際基準も定められています。 また、アンチ・ドーピングに関する分析機関についても、分析機関に関する国際基準が定められており、出場国として、この認証を受けた分析機関を含むアンチ・ドーピング体制を整える必要があります。
これ以外にも、ロシアの国家ドーピング問題を受け、組織的なドーピングや、各国アンチ・ドーピング機関や国際競技団体(IF)が機能不全を起こしているケースにおいても、WADAが直接介入をできるようにするため、「署名当事者の規程遵守に関する国際基準」などが定められてきました。
また、今回は要保護者に対するアンチ・ドーピングルールの適用が問題になりましたが、トランスジェンダーアスリートへのアンチ・ドーピングルールの適用も課題としてあげられます。トランスジェンダーがテストステロンなどを成分として含む性適合治療薬を使用する場合、アンチ・ドーピングルール上運動能力向上物質として禁止物質に該当し、アンチ・ドーピングルールとの衝突が避けられないためです。
現状のWADA規程を概観すれば、基本的に、アンチ・ドーピング規則違反やその制裁の内容に関して、トランスジェンダーアスリートに限定した例外的措置を定めるものはありません。WADA規程であれば、トランスジェンダー、性別の区別なく、すべてのアスリートに同様に適用されます。
トランスジェンダーアスリートによる性適合治療薬などの使用に関しては、WADA規程であれば、それが禁止薬物や禁止方法に該当する場合、アンチ・ドーピング規則違反による制裁を課されないためには、治療使用特例(TUE)の承認手続きを経るしかなくなります。
WADAにおけるトランスジェンダーアスリート向けの対応は、TUE申請時におけるサポート資料として、トランスジェンダーアスリート向けのチェックリストを用意したり、「TUE Physician Guidelines」と呼ばれるTUE決定を行う委員会をサポートする医療情報の提供が行われている程度です。昨今、トランスジェンダーアスリートに関しては、競技大会への出場資格をめぐり、様々な特例がルール化されていますが、アンチ・ドーピングというテーマに関しては、ルール上の特例は未だ設けられていないといってよいでしょう。
WADA規程における治療使用特例(TUE)は、病気やけがなどの治療を目的としてアンチ・ドーピング規則違反に基づく制裁を課さないことを定めるものですが、TUEの承認には、回復した場合の通常の健康状態以上に追加的な競技力を向上させないことや代替の治療法などがないことが条件として設定されています(治療使用特例に関する国際基準第4.2項)。トランスジェンダーアスリートの性適合治療薬は、このような条件を満たすことができない場合も多いと思われ、トランスジェンダーアスリートは、このような性適合治療薬を使用する場合、自らの性自認への適合とアンチ・ドーピングルールによる制裁という選択を迫られることになります。TUE申請が通らない場合、それはすなわち競技大会への出場をあきらめざるを得なくなります 。
また、このようなTUEは、トランスジェンダーアスリートの性適合治療薬にも同様に適用できると考えていいのか否かも検討が必要でしょう。トランスジェンダーアスリートの自認する性と生物学的な性の違いは、病気やケガと同等に扱っていいのか。この論点の検討によっては、トランスジェンダーアスリートの性適合治療薬の使用に関しては、これまでのTUEでは対応できない場合も出てくると考えられます。

 以上のとおり、アンチ・ドーピングルールについては、まだまだ十分に議論されていないテーマも山積しており、このような場合、やはり出場資格があることが原理原則であり、アンチ・ドーピング規則違反による制裁は例外的場面であることを前提とせざるをえないでしょう。

3. ロシアやベラルーシへの出場資格停止
ロシアのウクライナ侵攻に伴い、IOCは、2022年2月28日、理事会決定として、国際競技団体(IF)などに対して、国際大会へのロシアとベラルーシの選手や役員の参加を認めないことを勧告しています。また、国際競技団体(IF)のみならず、世界の競技団体に向けて、ロシアとベラルーシの選手について、中立的な選手及びチームでしか出場を認めず、国旗掲揚や国歌斉唱も認めない旨発表しています。これにより、サッカーやスケートなどで、ロシア及びベラルーシの選手らにとっては、国際大会への出場が困難になり、極めて大きな制裁となりました。このような出場資格停止は認められるのでしょうか。これまでのドーピングに伴う出場資格停止とどのような違いがあるのでしょうか。次回以降に解説したいと思います。

▶日本アンチ・ドーピング機構(JADA)ウェブサイト
▶早川吉尚編著「アンチ・ドーピングの手続とルール」(商事法務、2021年)
▶Sarah Teetzel, “On Transgendered Athletes, Fairness and Doping: An International Challenge”, Sport in Society Cultures, Commerce, Media, Politics, Volume 9, 2006 – Issue 2, p.227-251

 

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