東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を支えたテクノロジーの振り返り~大会が残したレガシーとは~
「東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を支えたテクノロジーの振り返り~大会が残したレガシーとは~」
講師:舘剛司(公益財団法人東京オリンピック・パラリンピック競技大会組織委員会 テクノロジーサービス局局長)
スポーツ産業アカデミー(2021年10月12日)
大会運営や放送・報道を支えるインフラの安定運用とサイバーセキュリティ対策、コロナ感染対策の取組~その課題と成功要因~
今夏開催された東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会においては、競技計測&情報配信システム・通信ネットワークともに大きなトラブルなく運営され、アスリートの活躍を世界中の方々に伝えることができました。これは大会運営や放送・報道を支えるインフラの安定運用とサイバーセキュリティ対策、コロナ感染対策に取り組んできた成果です。これまでの取組をご紹介いただくとともに、現場で経験した課題、成功に寄与した要因、今後のスポーツ産業に活かすべき学びなど、大会の準備・運営をとおした振り返りをご報告いただきます。
1.テクノロジーの数字で大会を振り返る
まず東京2020オリンピック・パラリンピック競技大会を支えたテクノロジーについて、いくつか数字で振り返ってみたいと思います。
東京2020大会のオリンピックは、205か国・地域から11,000名33競技(過去最高の競技数)、パラリンピックは162カ国・地域から4400名22競技の選手が参加いたしました。観客数はコロナの状況を受けまして、かなり限られた観客数で、来日された関係者も、過去大会に比べてかなり減りました。大会ボランティアも当初8万人だったところが7万人程度に減りました。一方で、大会期間中のPCR検査総数は100万回を超えてございます。
テクノロジーについては、オリンピック33競技、パラリンピック22競技の合計43会場におきまして、計時・スコアリング、スコアボードの表示、映像重畳のグラフィックスを提供。リオ大会(合計32会場)に比べても格段に数の多い競技数でございました。
写真で表示しておりますのは、グローバルパートナーのオメガさんのスコアボードと陸上のスターティングブロック。それから1つの特徴としまして、ビデオ判定システム。これが、今の世の中のトレンドだと思います。オリンピックも33競技場の内の30競技で既に採用されてございます。当然、競技運営により正確性を求められるということもありますし、テレビ中継にも応用されてわかりやすいプレゼンテーションに貢献したと思います。海外パートナーのテクノロジー専門スタッフは、グローバルパートナーのオメガ、ATOS、パナソニックを中心に、オリ1500名、パラ530名が来日されて仕事に当たっています。テクノロジーのボランティアだけでもオリ1100名、パラ570名というかなりの人数が参加されてます。
今回どうしても、コロナ禍で、少し来日が遅れたりですとか、来日された後も隔離期間があったり自由に食事に外に行けなかったり、特別な車両を用意して使っていただいたりですとか。やっぱりちょっと不便で生産性が落ちたところがあったと思います。
あまりメディアには報道されておりませんけれども、しばらく国際大会も開かれてなかったこともありまして、どうしても最初の頃は、現場の人間に言わせれば「ちょっとざわついていた」、「少しバタバタしていた」、「小さいミスが多かった」みたいな声がきかれました。
それから大会運営に関わるテクノロジーとしましては、競技そのものに関わる観点以外にも、いわゆる、大量の人の登録管理の観点、物の輸送を支援する観点など、多岐にわたります。
メディア向け結果配信システム(MyINFO)
まずは競技運営面です。この画面は競技結果表示です。MyINFOというのは、これもグローバルパートナのAtosさんから提供されたメディア向けの競技結果配信システムです。
今までの大会でしたら、最大1万ユーザーが上限だったんですけども、今回のオリンピックでは16,000ユーザーがお使いになりました。これはインターネット経由でアクセスできるシステムでございますので、コロナ禍で来日できないユーザー(メディア)の方々も、本国にいながらにして使うことができます。
コメンテータ情報配信システム(Commentator Information System: CIS)
それから同じくAtosさんから提供されたコメンテーター情報配信システム(放送局のコメンテーター向け)。これも今まで300ユーザーが条件だったんですけども、今回は450ユーザーということで、性能を強化してございます。
これらのシステムは過去大会に比較して安定運用され、コロナ禍という事情もあって、これまで以上にリモートでの取材や放送オペレーションが進んだ大会運営に貢献できたと思います。
アクレディテーションシステム
これは大会関係者の情報を管理するシステムで、ここからいわゆるアクレディテーションカードという入場に必要なカードが発行されます。オリンピック42万人、パラリンピック31万人ということで。これも過去大会に比べてかなり数が増えてるんですね。なぜかと言いますと、主に増えた部分というのは、国内のコントラクターです。輸送関係の運転手さんですとか警備員ですとか、どうしてもやはり広域の会場にまたがって、大量の人が移動すると言うことで、国内のサポート要員が大量に登録されました。
それから、FA。ファンクショナルエリアといいまして、輸送、競技運営、会場運営、ボランティア管理、いろんな業務が50以上あります。個別のアプリケーションをそれぞれ開発して使って頂くんですが、すべて合計で66アプリ120サイト。
感染症対策業務支援システム
その中で特に最終的に1番大きかったのが、延期が決まってから開発した感染症対策業務支援システム。
これは、関係者全員の日々の健康情報管理ですとか、検査の結果情報管理ですとか、最終的には陰性証明書も5万枚以上発行するという、最終的には1番使われたアプリということになりました。
それ以外にも、アクレディテーションシステムの管理者ユーザーだけでも1万人に上ります。フリート(関係者車両)の予約システムが9,900ユーザー。プレス向けの取材予約システムが1,200ユーザー。これも実はコロナを受けまして急遽導入したシステムでございます。そういった意味でコロナ禍もありまして、今まで以上にいわゆるITが活用された、ITがないと運営が難しかった大会ということが言えるかと思います。
それから、大会を支えたインフラについてもご紹介しておきます。
国際放送センター(ビックサイト)と各競技会場をつなぐ放送用回線。これは延べで光ファイバーと専用線が1万km以上と、かなり広域にまたがります。それから、大会用のデータネットワークも、ネットワーク機器、アクセススイッチ、アクセスポイントが大量に敷設されました。参考までに数字の比較を挙げておきますと、ロンドン2012大会。我々としても、今まで1つのベンチマーク成功事例として参考にさせていただいてたんですけども1)、当時、WiFiアクセスポイント1,500だったところ、我々は11,000あります。このうちの8,000ぐらいは、実は選手村の中に部屋に設置されたアクセスポイントですので、実際に大会運営に使われたものは3,000アクセスポイントなんですけど、それでもやはりロンドンの2倍になります。有線ポートもロンドンの1.5倍使われております。それから国内データセンターのストレージ容量も490 TB。これ以外にも、実はクラウドサービスを利用しておりますので、さらに大量のストレージを使っています。会場機器も、関係者がオペレーションで使うPC端末が17,000台と、大量のテクノロジーを調達する必要があったと言うことでございます。
それからボランティアについてご紹介しておきます。
先ほどご紹介したテクノロジー。オリ1,100、パラ570。
特にゴルフが1番難しかったんですけど、ボールポジショニングの計測機器というオメガさんの機器が、国内でゴルフのスタッフの業務経験ある方でもあまり使い慣れてないっていうのもありますし、何よりも英語によるコミュニケーションですね。しかも現場で無線機を使ってやりますので、なおさら聞き取りにくい。実は2019年の夏に霞ヶ関カンツリー倶楽部で行われたテストイベントで、かなりの入力ミスとか、データの入力漏れが発生しまして、国際競技連盟からクレームきましたし、我々として非常に焦りました。ゴルフ競技はリオ大会からオリンピック競技として復活したので、大会関係者もあんまり慣れていらっしゃらないということで、この後追加で人を集めたり、トレーニングしたりっていうことで、この2年間にいろんな準備を行ないました。特に人数が多かったのはテニス、ゴルフ、陸上が、大量のボランティアさんにご協力いただいた3大競技だったんですけども、ところが開けてみますと完璧だったんですね。私も非常に心配していたんですけど。日本人もシャイなので、あんまり普段英語しゃべらないせいもあると思うんですけども、いざとなったらしっかりオペレーション、コミュニケーションをしていただいたということで、本当にテクノロジーから見ても、今回ボランティアさんが大活躍された、大会だなというふうに本当に感謝申し上げます。
2.大会テクノロジーの動向
ここまでが主に数字で振り返りましたが、それをさらに分析して動向ということでご紹介しておきます。
ご存知の通り、今回は、初めてオリンピックパークをつくらない大会でした。そうしますと、パークの建設費用は安上がりになったかもしれませんけれども、ネットワークがその分大量に分散した会場間に敷設する必要がありました。大会期間中放送回線に何かあってはいけないということで、完全に2ルート冗長化、しかも地面に埋めないとケーブルを引っ掛けられるっていうことで、まずここが非常に苦労したフェーズでございました。
それからいくつかご紹介しておきます。ご存知の方も多いと思います。オリンピックで初めて関係者の顔認証技術を導入しました。スポンサーのNECさんの技術を導入しまして、それでもこれだけ大規模なイベントで導入されることは初めてだということで、事前に細心の注意を払って、性能設計、リハーサル行いまして、大会期間中、非常に安定して運用されました。運用期間中を通して650万回の顔認証処理を行ったということです。これ何がいいかと言いますと、やはり警備員のスタッフですね。今まででしたらアクレディテーションピッとかざしてパソコンの画面に出てくる顔写真と本人を照らし合わせてという目視の確認を行いますけど、今回計算してみると、トータルで3600時間分の警備スタッフの時間を自動化できたと言うふうに報告を受けております。これによって手荷物検査ですとか、人手でしかできない作業に集中できたようです。
それから、これまでの大会で初めてMACアドレス認証を導入したプレス関係者用の専用VLANですね。MACアドレス認証自体は別にさして新しい技術ではないんですけども、やはり毎大会組織委員会というにわか仕立ての組織が、しっかり期限までにデリバリーする。さらには、これはアドレスを登録していただかないといけませんから、そういうオペレーションが混乱を極めるということで、なかなか導入できてなかったんですけども、今回スポンサーのNTTさんの協力もありまして、初めて導入されました。専用VLANのためにわざわざ専用のポートにつなぐ必要がなくなりましたので、非常に好評でございました。
さらに、5Gって言いますと、いわゆる観客向けの分かりやすいアプリケーション、先進的なアプリケーションの話がついつい話題になりがちなんですけれども、一方で現場のオペレーションから見た時に、プレスの方が大量に取材のデータ、写真のデータを迅速に本部に送って編集作業をやってと言う、オリンピックスタジアムで今回初めて試験的に導入されまして、かなりヘビーに使われました。現場で本当に役に立ったと思います。
それからもう1つ業務用無線なんですけども公共安全LTE(PS-LTE)という次世代無線方式がございます。平昌でも少し試験的に導入されたように聞いておりますけれども、今回、東京大会で初めて15,000台の内の6,300台。当初やはり携帯電話の輻輳がかなり心配されましたので、最終的には、この業務用無線が最後のライフラインというか、一番信頼できるコミュニケーションチャネルということで非常に重視していました。今回貴重な実績作れましたので、今年の4月から商用サービス始まってございますけれども、今回利用した機器も今後レガシーとして活用して頂ける見込みでございます。
それからもう1つ放送関係でございます。OBS(オリンピックブロードキャストサービス)が9,500時間以上と言うことで、長時間の撮影を行ないました。パラリンピックの生中継も1,200時間になりました。
もう1つの特徴は、いわゆる4K放送の信号です。Ultra high definitionこれが初めて標準信号として採用されました。そうしますと、1部のテニスの会場を除きまして、基本的に全ての映像は4KでOBSさんが撮影されて、必要であれば2Kにダウンコンバートということを行いました。まあ、光ファイバーでそのまま転送している分にはいいんですけども、課題はいわゆるワイヤレスカメラですね。これがやはり大量に周波数の帯域を食いますので、オリンピックスタジアムの周波数調整に関しましては、総務省様や関係事業者様にいろいろなご調整いただきまして、何とか14台の4Kワイヤレスカメラを収容できたという苦労がございました。それから国際放送回線の容量も、この4K信号が標準になったということでございまして、リオ大会(400Gbps)の数倍の帯域(2.7Tbps)を消費したようです2)。
一方で、国際放送センターの総面積は、実は過去大会よりも減ってるんですね(20%減)。さらに放送機材が占める面積もそうです(24%減)2)。これは各国放送局がデジタルテクノロジーを活用してリモート取材・編集をさらに活用しているという、コロナ以前からあったトレンドがございます。今回コロナを受けて、さらに加速された面はあると思うんですけども、実際に来日された放送関係者も過去大会に比べてかなり減ってございます。これ自体はやはり全体のコスト削減に貢献すると思いますし、今回コロナ禍を受けて、こういったネットワークやテクノロジーの活用が放送の分野でもますます進んだと言うことだと思います。
それからもう1つ特徴的なのがデジタルメディアです。公式ウェブサイト、mobileアプリケーション。期間中を通したユニークユーザー数が1. 96億人ということで、我々が今までベンチマークにしてましたロンドンの1.1億人を大きく超えることができました。1つの要因としては、世の中のトレンドがそうなっていることもありますし、今回7カ国語で提供させていただきました。結果的に国別のアクセスが1番多かったのはアメリカ。次が日本で3番目がインドなんです。今回、ヒンドゥー語もサポートさせていただきました。
それからSNS。これも10言語で情報発信行いまして、フォロワー数は、Facebookが106万、Twitterが120万、LINEも760万フォロワーということで、かなりの数を記録しています。
その中で、我々がもう1つ力を入れた分野としてweb アクセシビリティがございます。組織委員会が提供するウェブサイトは、基本的にすべて国際基準のWCAG2.13)のAA基準に準拠ということになっておりますけども、これを満たしているだけでは本当に使いやすいwebサイトになっているとは限らない。今回、特に競技結果表示機能ですね。これだけ多競技に渡りますので、競技結果をいかにわかりやすく表示するかというのは、通常のwebサイトのメニューでもかなり苦労するところなんですけども、これをwebアクセシビリティの観点でちゃんと分かりやすくなってるかという試験を、アクセシビリティの専門家ですとか、筑波技術大学(視覚障害・聴覚障害の方のための大学)の学生さんにも協力していただきました。
実際には、我々「目が見えてる人間」がなかなか気が付かなかったりするんですね。たとえば開発途中のバージョンでは、競技名が単純にJISコードの順に並んでいて、3X3バスケが最初に来て、カタカナ競技が次にきて、最後に漢字の競技がくるとか、明らかにおかしな順序になっていました。ピクトグラムがあるから、まあこれでもわかるだろうとか、直すのも費用がかかるから対応優先度は下げようとか、現場でどうしてもそういう議論になりがちなんですけど、やはりそれはおかしいだろうと。それを、読み上げツールで試していただいた視覚障害の学生さんに、これでは競技を探せません、と指摘されて、始めて問題が私にも報告され、などといった経緯を経て、Webアクセシビリティの課題をかなり改善できたと思います。これは今後の大会でも共通的に使われるモジュールですので、こういった目に見えにくいところまで配慮を行き渡らせるかどうか。これはやはり通常の人にとっても見やすいわかりやすいサイトになると思うんですね。こういったのが、デジタル社会の成熟度を測る上でも、大きなポイントだろうなと言う風に、今回非常に参考になりました。
3.大会運営のチャレンジ(コロナ対策、サイバーセキュリティ)
ここからすこしチャレンジのご紹介に入りたいと思いますで、
まずコロナ禍がもたらした、新たなチャレンジ。
まず1つ目は、大会延期に伴う経費の棚卸・削減。これは当たり前のことです。ただ、費用圧縮には協力しても、信頼性設計・セキュリティ対策の基本設計は一切妥協できません。
2つ目は、いわゆる三蜜防止・リモートワークのためのソリューションです。先ほどご説明したとおり、過去大会以上にITのニーズが高かった。リモートアクセスVPNというのも、もともと全職員に入れる予定はなかったんですが、急遽ライセンスを追加して、全職員に迅速に展開することができました。
そして最後に、来日する大会関係者の健康管理・活動管理。これは政府と連携したプロジェクトでございますので、ちょっとここで少し詳しくご紹介しておきます。
実際には、去年の秋口あたりから話が持ち上がりまして、かなり短期間でこれを実現する必要がございました。何を実現したかと言いますと、まず大会関係者。それは来日する人もそうですし、国内のアスリートももちろんそうです。クラスターが発生したら大変なことですので、各組織のコロナ対策責任者を任命していただきまして、この責任者だけでなく組織委員会側の感染症対策センターでも「常に状況をモニタリングをしたい」ということになりました。そこで、スクリーニング検査ですね。定期的に関係者にこの検査を行っておりまして、その検査結果や日々の健康モニタリングの結果をすべてデータベースで管理して見える化する必要があるだろうと。ちょうどこの検討を始めている頃に、政府の方でも、入国の時に必要なmobileアプリケーション(健康モニタリングアプリケーション)を検討されていることがわかりました。じゃぜひ連携させてくださいということで、健康モニタリング情報についてはデータ連携する相談を始めました。その中で、もう1つ要件として出てきたのが、いわゆる入国書類の事前提出ですとか審査ですね。これもじゃあ同じシステム上で実現しようじゃないかということで、今回開発しましたのが「感染症対策業務支援システムTokyo 2020 ICON」ということになります。
このように大量の個人情報の、しかも検査情報という機微な情報を扱うにあたりまして、短期間で実現できた1つのポイントは、先行して構築してきたシステム共通基盤なんですね。これは組織委員会のシステム構築のなかで、まさに今週のパリ組織委員会向けのセッションでもご紹介してるんですけども、やはり最初にどうしても各業務チームは、アプリケーションばかり目が行くわけなんですけども、我々から言わせますとアプリケーションは最後にユーザインターフェースとしての見てくれを作ればいい。もっと大事なことは、それをどういうネットワーク、データセンターのインフラの上で、どういうセキュリティポリシーを守らせながらデータベースを共通化するか、ユーザー認証の仕組みを実現するかっていう、このいわゆるシステム共通基盤のところ。ここさえしっかり設計して構築出来ていれば、アプリケーションとかは、ある程度いくらでも追加することが容易になります。
そういった意味で今回、かなりいろんな要件が、大会直前まで出てきます。もっといえば、大会期間中にさえも「陰性証明書を発行したい」みたいなこと言われまして、かなりアジャイル・迅速に実現することができたと思います。こう言った、情報システムの導入の仕方、作り方の考え方っていうのは、日本社会をデジタル化していくうえで、非常に重要な基本的な考え方だと思います。今回、最終的に1番大規模なシステムがこの短期間に導入できたというのも、スポーツイベントだけじゃなく、今後いろんなシーンでぜひ参考にして頂きたいと思っています。
それからもう1つは、やはりサイバーセキュリティです。
「東京大会、攻撃あまりなかったんだよね?」みたいな、ちょっと間違った認識が最近報道されてるんですけども、明確に否定しておきます。実際に、大会関係者をターゲットにした攻撃の兆候(実際には攻撃)は、2019年11月頃から多数観測されました。これはいわゆるEmotetというマルウエア感染に伴って、IOCや組織員会の幹部の名前を語ったようななりすましメールも含めていわゆる不審メールが、実際に大量に発生しています。
一方で大会期間中は、直前に来日しています放送局ですとか、オリパラ委員会の関係者、どうしても一部で脆弱なPCの環境があります。そういったところに対して、大量に攻撃が観測されています。
もう1つは、大会公式ウェブサイト。これもですね、ちょっとグラフでご紹介しておきますと。上の図は、大会期間中に観測された公式サイトのCDNのファイヤウォールでブロックしたセキュリティイベント数です。オリンピックに比べてパラリンピックの方が全体的にアクセスがかなり小さいというのはそのとおりなんですけども、オリンピック期間中も、いわゆるウェブサイトのアクセスは、もっと定常的にずっと同じように続いてました。ただ、ここで見られますように、いわゆるブロックされるような、ちょっと不審な通信というのは明らかに、オリンピック前、それから、オリンピック前半始まってすぐに極端に集中している。明らかにこの期間を狙った不正トラフィックがあったということができます。ロンドン大会も大会後のホワイトペーパー1)で「ブロックした不正な通信が2億回」というふうに公表されております。東京大会はそれに相当するものは4億5000万回というふうに集計してございます。結果的に大会に影響を及ぼさなかったですけども、決してロンドン大会に比べて攻撃が少なかったというのは事実ではないと言う風に確信してございます。
8月にWebマガジンで公表・紹介された第3者の評価で、「何も事故がなかったというのは、たまたまでも運がよかったわけでもなくて、むしろ積極的・先制的にいろんな対策が取られていたことに他ならない」と言うふうな評価を頂いております4)。われわれとしても、まさに何もなかった大会の裏で膨大な知恵と努力がなされてきたんだということをぜひお伝えしたいと思います。
ということで、いくつか成功要因はあると思います。
① 初期の頃から、いわゆる情報セキュリティマネジメントシステム。調達のルールであったり、内部の利用規定であったり、そういったものを整備してきました。
② さっきのコメントに記事にもありましたとおり、プロアクティブな対策を、関係者と初期から推進してまいりました。
③ 大会直前になりますと、棚卸し・実践演習・セキュリティ監査を繰り返すに尽きると思います。どんなにプロが開発して運用していても、必ず何らかの穴が発生します。
④ 最終的にはグローバルなスケールで危機意識を共有して、今回色々ご指摘が見つかったんですけども、各放送局やメディアの方々は非常に協力的でした。誰も反発することなく「ありがとう」ということで、迅速にいろんな対応して頂きました。これが最終的には非常に有効だったと思います。
4.考察(スポーツ産業界にとってのレガシーとは)
最後にまとめといたしまして、レガシィについて考察させていただきます。
まず大会に対するポジティブな評価をいくつかご紹介しておきます。
「インフラがこれだけ安定して提供された大会は初めてだ」
とIOCのテクノロジー関係者からコメントをいただいてます。私も過去大会ずっと視察に行きましたので、お世辞じゃなく本音でいただいてるなと非常に感じます。それから、
「コロナ禍でオリンピックをやりきったということ自体が、ものすごいチャレンジだ」
と、
「ボランティアも含めて非常にモチベーション高くやってくれた」
という評価もいただいております。
やはりこれは、日本の方々の勤勉さが評価されたという風に感じます。
ただ、やはりちょっとこれだけでは振り返りになってないんじゃないかということで、もう少し詳しく振り返ってみたいと思います。主に3つの観点でレガシィを振り返ってみたいと思います。
① IT業界からスポーツ産業界への人材参画
私も含めてこの大会をきっかけに、スポーツ産業界に多少とも携わったIT業界の人が大勢いると思います。スポーツ×テクノロジー、スポーツ×ICTというのは1つのキーワードだったと思います。
我々も、実はこの流れを加速させるイベントを何回か開催しています。アーバンスポーツの体験を「より分かりやすく、楽しく、面白く」拡張するようなアプリケーション開発コンテストで、今回初めてIOCから過去大会のSTATSデータの提供を受け利用させていただきまして、コロナでもそろそろ危なくなりかけたという時期(2020年2月)だったんですけど、何とか滑り込みで最終審査会やらせていただきました。その際に忘れてならない観点として、ただ競技の臨場感を面白おかしく見せればいいってものではないと思うんですね。
例えば、初期の頃にいろいろトライアルを行ないました。車いすバスケットボールの迫力を伝えたい、ちゃんと伝えるにはどうしたらいいだろうか。車椅子にカメラとマイクを仕込んで試しに記録してみたりしたんですけども、ガンガン音が響いてよくわからないというか、見ているうちに気持ち悪くなるような映像で、やはりそれだけではエンジニアの観点だけであって、何かが足りないなという気がしました。やはり1つにはアスリートの観点だと思うんですね。要するにアスリートが何を考え、何を工夫しながら、競技をやってるかということをまず理解することが大事だと思います。
② スポーツ関係者によるIT活用の促進
これまでも何回かご紹介している絵なんですけども、アスリートやコーチがまずパフォーマンス向上のためにテクノロジーを必要としてるわけですね。最近ですと、いわゆるスポーツアナリスト。大量のSTATSデータを分析して、選手に的確なアドバイスする。そのためにいろんなウェアラブルデバイスの技術であったり、STATSを分析するAIの技術であったり、そういったものを彼らが本当に切実に必要としている。実は、そのデータが競技団体から見ても分かりやすいパフォーマンスを評価する尺度として利用される。さらに審判員も当然、判定を支援・証明するデータとして活用して、メディア・コメンテータからすれば、その分析を裏付けるデータとして活用されて、最後にファン・観戦者の方が、アスリートのパフォーマンスをわかりやすく理解するためにその技術を参照する。この中でテクノロジーが活用される利用されるっていうところに意義があると思います。
ちなみに、最近流行りのe-sports。あれがやっぱり面白い、わかりやすいのは基本的に競技が全部デジタルの世界で成立してますから。人手をかけずにSTATS データを収集できますし、わかりやすく可視化できますし、まさにアスリートのパフォーマンスが120%見える化されている競技なんだろうなという風に感じます。
③ 大会に関わった方々の貴重な経験・体験
最後に、大会に携わった方々の経験・体験なんですけども、ロンドン大会で530万人の観戦チケット購入者の情報、ボランティアの情報が、大会後にスポーツ振興のプログラムに引き継がれたという話を最初伺いました5)。東京も是非、それにならおうじゃないかと言うことで、実はチケット購入サイトで800万人の方に登録していただいたんですね。今回最終的には観戦に至らなかった方がほとんどだったんですけども、ボランティアの方だけでも20万人の方に応募していただきました。我々も組織委員会立ち上がった頃に、スポーツ×ICTというテーマで、有識者の方から色々ご意見をお伺いするワーキンググループを立ち上げました。いろんな方が指摘されてましたのが、中学校、高校、大学と、ずっとアスリートが活躍して行く中で、そういった人材の情報を一気通貫で管理するデータベースが日本にはないんだと。所属する組織・学校が変わると、よほどのトップアスリートでない限りはそういう情報がちゃんと引き継がれないっていう課題を指摘されました。
また特に国内にたくさんあります競技団体の多くは、非常に少ない人数で運営されてまして、イベントをやって参加していただいた方あるいはボランティアとして活躍していただいた方の名簿作ろう・管理しようとしてもなかなか大変なんですね。「安全に情報管理できるようなクラウド環境がもっと手軽に使えるようになって欲しいな」みたいな声も聞かれました。
私もやはり東京大会素晴らしかったなって思うんですけど、それがただの一過性のイベントで終わらずに、これを機会に日本のスポーツ人口増加ですとか、スポーツボランティア文化の定着につながるためには、やはりやりっぱなしではダメなんじゃないかというように思います。競技会場ですとか、競技会場のWi-Fi環境も今回かなり整備された面もあるんですけども、そういったスポーツ関係者のニーズに応えるようなデータベース環境あるいはソフトウェアレガシーというものも、今の時代、非常に大事なんじゃないかなと思います。
ということで、最終的に上記の3点を今回東京大会のレガシーとして重要なんじゃないでしょうかというふうに提案させて頂くんですけども、ソフトウェアレガシィ大事ですねっていう話をしますと大体の皆さんは、「やっぱそうだよね、高度成長期の頃のオリンピックとは違うよね」って賛同していただくと思うんですけども、じゃあ具体的にどうやってそれを実現するのかというところは、なかなかイメージがバラバラだったり、簡単じゃないと思うんですね。1つには、やはり今後もっとスポーツ関係者の方はIT化・デジタル化を推進して、今までなんとなく、人手をかけて大勢の方々の善意にすがって実現していたようなことを、もっとスマートに少ない方々だけで実現できるようになれば、もっと違う世界が広がるんじゃないかなと思います。
余談ですけど、例えば今回も、先ほどご紹介したアクレディレーションシステム(データベース)の中身に入力間違いが多いんですね。ミドルネームのスペルが間違っていたり、パスポート番号の入れ間違いですとか、誕生日の入れ間違いが非常に多いんですね。で、まあ、これまでの大会ではそれでカード再発行してしまえば、もうそれでとくに支障ない。ですから、あまり問題じゃなかったと思うんですけど、今回みたいに感染症対策業務に活用しようといった時に、非常に混乱を招きました。誕生日やパスポート番号で本人確認しようというシステムですので、データベースが間違ってたら、何回やってもログインできないんですね。やはりこれではテクノロジーを活用できることにならない。そういう意味で、そういったデータベースは、今後の大会では、各組織委員会が個別に作るんじゃなくて、IOCが集中管理して引き継がれるような仕組みっていうのが、オリンピックがもっとスマートになっていく、あるいは開催都市の費用負担をもっと減らすためには必要な一つのデジタル化、イノベーションなんじゃないかなというふうに、私も今回感じた次第でございます。
本稿は、2021年10月12日(火)に開催されたスポーツ産業アカデミー(ウエビナー)の講演内容をまとめたものである。
【参考文献】
1) “Delivering London 2012: ICT implementation and operations”, Gerry Pennell, etc., The Institution of Engineering and Technology, 2013
2) “The biggest challenge the Olympic Games have ever faced”, Yiannis Exarchos, Media Guide Olympic Games Tokyo 2020, Olympic Broadcasting Services, July 2021
3) Web Content Accessibility Guidelines (WCAG) 2.1
4) “The Tokyo Olympics are a cybersecurity success story,” Dr. Brian Gant, Security, August 2021
5) “Written Ministerial Statement: Sporting legacy,” Hugh Robertson, May 2013