スポーツ法の新潮流 「アンチ・ドーピングにおけるインテグリティの保護」(後編)

スポーツ法の新潮流──④
「アンチ・ドーピングにおけるインテグリティの保護」(後編)
松本泰介│早稲田大学スポーツ科学学術院准教授

はじめに

2017年12月5日、国際オリンピック委員会(IOC)は、ロシアオリンピック委員会を資格停止処分とし、ロシアオリン ピック委員会によるピョンチャン冬季オリンピックへの選手団派遣はできなくなりました。
この処分は、ロシアにおける2014年ソチ冬季オリンピックを含む、組織的ドーピング問題に基づき、国際オリンピック委員会理事会にて決定された内容です。ロシアに関しては、2016年リオデジャネイロ夏季オリンピックにおいても国際陸上競技連盟がロシア陸上競技連盟を資格停止処分にし、同年リオデジャネイロ夏季パラリンピックにおいても国際パラリンピック委員会がロシアパラリンピック委員会を資格停止処分にするなど、一国における特定の競技または全競技の選手が国家を代表して出場することができない事態が発生しています。
また、国際オリンピック委員会は、ロシアの組織的ドーピング問題への関与が発覚した選手について次々と永久追放処分を課し、その選手は、本稿執筆時に32人に上っています。
前回は、このようなドーピングをめぐる問題に関して、現代スポーツの本質的価値を守るため、これまで行われてきた世界的なアンチ・ドーピング規則であるWADA規程について、アンチ・ドーピング規則違反とは何か、個人に対する制裁措置、資格停止期間の軽減、加重事由とは何か、など基本的な情報をご紹介いたしました。もっとも、上記ロシアの問題も含めて、WADA規程を含むアンチ・ドーピング政策が現在のままでいいのか、については、まだまだ課題を残しています。
今回は、さらに今後のアンチ・ドーピング政策を考える上で、現在のアンチ・ドーピング規則における難易点について解説します。

WADA規程における「意図的」概念による制裁措置決定の課題

今後のWADA規程改定の方向性としてよく出てくる意見が、意図的に行われるアンチ・ドーピング規則違反に関する制裁は、WADA規程の目的として定められている、「ドーピングのないスポーツに参加するという競技者の基本的権利」を明確に侵害している以上、例えば永久資格停止処分にするという意見です。わかりやすく言えば、故意にドーピングを行った選手は完全に排除すべきという意見です。しかしながら、現行のWADA規程では、アンチ・ドーピング規則違反が特定物質に関連する場合、アンチ・ドーピング機構がアンチ・ドーピング規則違反について「意図的」と立証できれば、初回としては4年の資格停止になります
(WADA規程第10.2.1条、第10.2.2条)。また、アンチ・ドーピング規則違反が特定物質に関連しない場合、競技者等がアンチ・ドーピング規則違反について「意図的」ではなかった旨を立証できなければ、初回としては最も重い4年の資格停止になる(WADA規程第10.2.1条、第10.2.2条)ため、この「意図的」概念の立証が競技者等の処分の分水嶺になっており、この点に、実務上の大きな課題があるケースが最近発生しています。

①日本アンチ・ドーピング規律パネル2016-007事件
~Jリーグサンフレッチェ広島千葉和彦選手のケース
本件は、2016年9月25日の明治安田生命J1リーグ2ndステージ第13節サンフレッチェ対レッズ戦後のドーピング検査で、サンフレッチェ広島に所属する千葉和彦選手から採取された尿検体から禁止物質である「メチルヘキサンアミン」 について陽性であることが発覚したものです。
当時のアンチ・ドーピング規則によれば、メチルヘキサン
アミンは「特定物質」に該当するため、アンチ・ドーピング機関がアンチ・ドーピング規則違反について「意図的」であった旨立証できた場合にのみ4年の資格停止期間、そうでない場合は2年の資格停止期間になります(JADA規程第10.2.1条、第10.2.2条)。したがって、本件であれば、日本アンチ・ドーピング機構(JADA)が「意図的」であった旨を立証する必要があります。
この点、千葉選手は、メチルヘキサンアミンを摂取したこ
とに関しては明確に否定しており、また日本アンチ・ドーピング機構が「意図的」であった旨を立証するにも千葉選手の日常の行動をすべて裏取りすることもできませんので、そのままですと2 年の資格停止処分になりえた事案でした。2年の資格停止処分というのは、現役のプロサッカー選手にとって選手生命を絶たれかねない処分であり、千葉選手としても、自らに過失がないことを証明する必要がありました。
自らに過失がないことの証明というのは言葉には簡単で
すが、千葉選手がメチルヘキサンアミンを摂取した認識がない中では、何が原因かわかりませんので、証明は容易ではありません。千葉選手が覚えている範囲で口にしたものを全てリストアップしたり、過去にボディオイルからメチルヘキサンアミンが検出した事例があったため、千葉選手が使用していたボディオイルなどを全て提出させ、メチルヘキサンアミンが検出されないか分析を進めました。しかしながら、全く検出されず、自らに過失がないことを証明することはできませんでした。

結局、困難を極めた中で、結果的には、最後に念のため検査を行った、クラブが提供していたサプリメントからメチルヘキサンアミンが検出されたため、最終的に「重大な過誤又は過失がないこと」(JADA規程第10.5条)が立証で きたとして、千葉選手は譴責処分で済むことになりました。本件では、日本アンチ・ドーピング機構も「意図的」であった旨を立証しなければならなかったため、すべての検査は、日本アンチ・ドーピング機構の委託先で実施されました。したがって、千葉選手による立証に特に検査費用はかからなかったものの、やはり立証の負担というものの大きさを感じざるを得ない案件でした。

②日本スポーツ仲裁機構JSAA-DP-2016-001号事案
~男子ケイリン寺崎浩平選手のケース
本件は、2016年10月に行われた岩手国民体育大会、自転車成年男子ケイリン種目で優勝した寺崎浩平選手が受けたドーピング検査で、禁止物質とされるテストステロン及びアンドロステンジオンについて陽性であることが発覚したものです。2003年に国民体育大会でドーピング検査が始まって以降、初の陽性反応でした。
当時のアンチ・ドーピング規則によれば、テストステロン等は「非特定物質」に該当するため、寺崎選手がアンチ・ドーピング規則違反について「意図的」ではなかった旨を立証できなければ、初回としては最も重い4 年の資格停止になりうるケースでした( JADA規程第10. 2 .1条、第10.2.2条)。
原審である日本アンチ・ドーピング規律パネル2016 – 008事件にて、寺崎選手がこれらの禁止物質が体内に侵入したことが「意図的」でないことの立証ができず(体内侵入経路の立証も全くできず)、4年の資格停止処分になりました。その後、上訴審である本件においては、弁護士代理人のサポートもあり、寺崎選手が摂取していたサプリメントの分析を行い、そのサプリメントから禁止物質が検出されたため、「意図的」ではないこと、体内侵入経路の立証ができ、結論として、4ヶ月の資格停止処分となった事案でした。4年から4か月の資格停止処分になったことは大きな期間短縮ですし、その後、寺崎選手は、2017年秋に行われた愛媛国民体育大会に出場することが可能となり、結果自転車成年男子ケイリン種目で優勝しています。
もっとも、結論としての4か月の資格停止処分になったことからすれば、本件はそもそも競技者自身が4年の資格停止という大きな処分を受ける事案ではなかったものの、原審では、弁護士代理人のサポートを得ることもできず、専門的な知識もない中で、立証の負担の問題から、競技者にこのような大きな処分を課す可能性が出てしまっています。
また、寺崎選手が摂取していたサプリメントの分析に関しては、日本国内で容易に検査できる機関はなかったため、寺崎選手はアメリカの機関を利用せざるを得ず、その検査、分析には、数十万の費用が発生しました。このような機関へのアクセス、費用負担は、1人のアスリートとしては過大な負担になります。

さいごに

以上のとおり、現在のアンチ・ドーピング政策の中心にあるWADA規程においては、「意図的」概念による制裁措置決定については、大きな課題があるのが現状です。
特に寺崎選手のケースで明らかになったとおり、競技者の立証の負担により長期間の出場停止はもちろんのこと、前述の厳罰意見で出てきた永久資格停止処分になるか否かが決まるというのは、明らかにバランスを失した規程となるでしょう。この「意図的」概念による現行のWADA規程の規定方法からすると、単純な重罰化も容易ではないのです。

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