北海道ボールパーク招致の経緯


上野正三
MasamiUeno
北広島市長

――北海道ボールパーク招致の経緯
昭和45年、当時の広島町は純農村で、人口は9000人台でしたが、都市化に向かって策定した最初の総合開発計画で「壮大な総合運動公園の整備」も計画されておりました。その年は、北海道営団地の誘致に成功し、工事が始まった年でもありました。50年には人口が2.3倍になったのですが、人口増加に伴って、学校・道路・上下水道などあらゆる公共施設の整備を進めており、運動公園については長い間手つかずでした。そんな中、平成27年に国の先導的官民連携支援事業の助成を受け、スポーツ施設整備の官民連携導入の調査を行っていたタイミングで、北海道日本ハムファイターズさんが新たな自前の球場を作るという方針を表明されました。誘致は当市の究極の地方創生との思いで、市民8000人分の応援メッセージも添えてボールパーク誘致を提案いたしました。

――ボールパークを通じた地方創生
北広島の街づくりはこれまで先人による「挑戦」の街づくりでした。ボールパークは新たな北海道のシンボルになるもので、北広島市民をはじめ道民に夢と希望を与えてくれ、北海道の発展に大きく貢献してくれるものと考えています。札幌市を含めた近隣14市町村に加えて、北海道や北海道開発局、JR北海道などの関連企業を含めたオール北海道ボールパーク連携協議会を立ち上げて、ボールパークがもたらす価値や機会をどのように各自治体に生かすか等について、2023年に向け各種協議を行っています。

――日本スポーツ産業学会への期待
スポ―ツ振興も文化振興も同じように大切なものと考えておりますが、図書館やホールなどの文化施設の整備に比べて運動施設の整備の重要性についてはあまり多くの議論がなされてこなかったような気がします。市民とスポーツ、企業とスポーツ、教育とスポーツ。街づくりや健康づくりなどスポーツには様々な価値があるのに、しっかりとした考え方が共有されていないのではないでしょうか。学会の皆様には、スポーツの素晴らしさを国民の皆様が納得できるような話題や情報で広めて欲しいと思っています。

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