2022年度日本スポーツ産業学会・奨励賞受賞論文 日本ラグビーフットボール選手会による Player Development Programの実践報告
2022年度日本スポーツ産業学会・奨励賞受賞論文
日本ラグビーフットボール選手会による Player Development Programの実践報告
川村 慎│日本ラグビーフットボール選手会
堀口雅則│日本ラグビーフットボール選手会
小沼健太郎│日本ラグビーフットボール選手会
山下慎一│福岡大学法学部教授 小塩靖崇│国立精神・神経医療研究センター
この度は、2022年度日本スポーツ産業学会奨励賞を授与して頂き、誠にありがとうございます。また、本論文について解説できる機会をいただき、大変ありがたく存じます。以下に受賞対象となった本論文の内容を簡単に解説します。日本ラグビーフットボール選手会(JRPA)は、「スポーツ選手・アスリートが良い人生を送るために、スポーツ界に必要なことは何か?」を考え、プレイヤー・デベロップメント・プログラム(PDP)に注目してきました。2019年から本取り組みをスタートし、ニュージーランドPDPの視察や様々な専門性を持つ専門家との連携、国内導入に向けたトライアルを実施しながら着実に進めてきました。本論文は、2020〜2021年に行ったPDPトライアルの成果をまとめたものです。以下、本論文の内容を簡単に解説いたします。この場を借りて、トライアルに協力していただいたアスリートの皆さまに心よりお礼申し上げます。
PDPとは、ニュージーランド(NZ)やオーストラリア(AUS)等のラグビーやクリケット等の競技選手会で中心に実施されている、現役中からキャリア教育、財務財産管理、ウェルビーイング/メンタルヘルスについて多面的なサポートを提供するシステムです。「スポーツ選手という自分は人生の一部であり、それが全てではない」という考え方や“Better people make Better player”という理念に基づき取り組まれるもので、アスリートを一人の人間として包括的に支援していきます。このPDP実践の過程で、アスリートが現役中や将来に向けての不安要素に自ら気がつき、周囲のサポートを得ながら対処できるようになるといった成長が期待されます。そのために、様々な分野での知識やライフスキルを身につけてもらうことを目指したプログラムです(下図)。また、国際学術誌に掲載された報告では、PDPを導入・活用することで、競技パフォーマンス向上に寄与する可能性があるとも考えられています。
研究の背景と目的
JRPAでは、各国・各競技団体が行っているPDPを参考に、日本で実施可能な取り組みのあり方について検討してきました。2019年に視察にしたNZでは、PDP導入から十数年が経過し、その過程でPDPのシステムや内容等の改良を重ねて、現在の形に構築されてきました。私たちは、2020年の日本での初年度の取り組みとして、同時期に所属選手を対象にしたアンケート調査での知見から、「所属チームの関係者ではない人と定期的に話す機会を作ること」、それによる効果を把握することを目的として、本トライアルを実施しました。なお、調査結果の知見については、ラグビー選手会によるメンタルヘルス調査から、「心の状態について他者に話すことに抵抗を持つ選手が多いこと」、「心の状態について、チーム内のスタッフには、特に相談しにくいこと」を明らかにしていました。
トライアルの概要
トライアル実施手順として、2020年4月にPDPトライアル事務局を編成、対象アスリートとPDMの協力を募り、実際の参加に向けた調整をしました。対象アスリート・PDMの選定は、事務局から、JRPA所属選手の連絡網を通じて、本PDPトライアルへの参加選手を募りました。PDMは、トップレベルでのプレー経験のある元アスリートに個々に打診し、就任を依頼しました。11名の参加希望選手及びPDMが確定した後、事務局担当者が参加選手に対して個別面談を実施し、海外PDP実践例を紹介する共に、本トライアルは、日本で行うPDPとして初年度の取り組みであり、定期的に所属チーム関係者以外と話す機会を作ることを目的とすることを伝えました。
2020年9月には、協力に同意したPDM11名に、オンライン研修の機会を設けました。60分2回で行った研修では、1)PDPとは何かについて、2)NZラグビー選手会によるPDP実施体制/実践例の紹介、3)アスリートのメンタルヘルスの実態とそのケアのあり方、4)対話スキルや実践例、の内容を扱いました。2020年12月から2021年10月まで、現役ラグビー選手11名とPlayer Development Manager(PDM)11名を1対1の組み合わせに、月に1回オンラインで話す機会を設定することで、PDPトライアルを行いました。また、期間中3回、PDM間での情報共有の機会を設け、PDMから依頼を受けた際には事務局スタッフによる面談や個別のサポートを実施しました。PDPのトライアルの終了後、事務局から対象アスリート及びPDMにwebでのフィードバックを依頼して評価しました。PDPを受けた選手には、PDPを受けた満足度や気付きについて、またPDMには、自身のどのような経験やスキルが役立ったか、PDPへの期待等を聴取しました。
トライアルで得たフィードバック
トライアル後のフィードバックから、PDPに参加した選手による満足度は7点満点中、平均は6.6点と非常に高く、概ね高評価を示しました。また、PDPを受けたことでの気付きは、メンタルヘルス面とキャリア構築面に分けられ、メンタルヘルス面での気づきとして、例えば、「何かあったときに相談できる場所があるとことが助かった。」「今までは落ち込んだ時に自分から連絡を取らなくてはならず、話を聴いてほしいとは言いづらかったが、定期的に必ず誰かと話す機会があったので助かった。」「チームメイトに言えないことを聞いてもらえる環境を持てたことが良かった。」等があげられました。キャリア構築面は、「キャリアについて相談できる人がいなかった中で、第三者の目線からアドバイスいただけた」「今後のキャリア選択肢のなかで、どのようにそのキャリアを目指し、今後実現していくのか考える機会となった。」などといったフィードバックが得られました。
参加したPDMからのフィードバックは、全員が自身の現役時代にも必要だったと思うと回答しており、高評価だったと言えます。自身のどのような経験やスキルが役立ったか、PDPへの期待、今後PDMを目指す人へのメッセージ等について、詳細は論文をご覧いただけましたら幸いです。
フィードバックから見えてきたこと・考えたこと
PDPの機能として、チームスタッフやチームメイトなどの利害関係のない人と話す機会があることが重要であることを確認しました。選手からのフィードバックには、PDPについて、これまでの競技のみの環境では他者と共有できなかった不安や悩み等の心の状態を話す機会になったとあり、またその他には「助かった」という表現が随所に見られました。話題を限定することなく、定期的に話す機会を設定することは、PDPの特徴の一つで、心の安心や安定、メンタルヘルスケアとしての機能も期待できるかもしれません。
アスリートのキャリア構築やその支援にも、PDPが有効に機能する可能性が見えてきました。PDPトライアル内では、現役選手から担当PDMにキャリア構築に対する助言を求めたり、自身のキャリアに関する不安を話す選手もいました。現役中に、チーム内で競技以外のキャリア、あるいは引退後のキャリアを含めたキャリア移行を話題に出すことは抵抗がある場合が多いと思われます。利害関係のないPDMだからこそ、今抱えている疑問や不安等を話すことができたのかもしれません。
今回のトライアルでは、PDMを元アスリートに担当して頂きました。現役選手が心を開くことができるかという視点を踏まえると、「元アスリートであること」がとても重要な要素だったかもしれません。PDPがすでに10年以上実施されPDMが職業として成立しているNZやAUSでは多様なバックグラウンドがあり得ますが、少なくとも初期の段階の日本においては、現役アスリートが短期間に胸襟を開くやすいよう元アスリートがPDMを担う形が望ましいと考えられます。
まとめ
これまでのアスリートへの支援といえば、メンタルヘルス対策、メディア対応、金融リテラシー講習、引退後の就職斡旋等、細切れのものばかりでした。これに対して、私たちは、現役中から「アスリートを一人の人間」として支援する新しい策としてPDPを日本スポーツ界に導入することを目標に取り組みを進めてきました。PDPは、選手が自律的に、自らにとって良い生き方を選ぶことができるように支援するものです。今後、日本スポーツ界でPDP導入を進めるための大きな課題の一つにPDP運営のための財源確保があります。PDM人材の確保も重要な検討事項です。