スポーツ法の新潮流 日本スポーツ界における田澤ルール撤廃の意味

スポーツ法の新潮流
日本スポーツ界における田澤ルール撤廃の意味
松本泰介│早稲田大学スポーツ科学学術院准教授 弁護士

前回は、eスポーツビジネスの法律実務の全体像を検討する上で、ステークホルダー間の契約関係を整理しました。今回は、本年11月に日本プロ野球(NPB)において「田澤ルール撤廃」が大きな話題となり、本稿の題目に相応しいテーマですので、これを解説したいと思います。公正取引委員会がこのようなスポーツ界の個別事件に関する報道発表を行うこと1)は前代未聞ですが、背景にどのようなことが起こっているのでしょうか。なお、弊職は、プロ野球選手会の顧問弁護士をさせていただいておりますので、お伝えできないことが多々あるのも事実ですが、客観的に解説させていただきます。


1.田澤ルールとは
田澤ルールとは、上記報道発表によれば、当時有力なアマチュア野球選手である田澤純一選手がNPBの2008年ドラフト指名を見送るよう要望し、メジャーリーグボストンレッドソックスとメジャー契約を結んだことをきっかけとして、NPB 12球団が2008年10月に行った
▶NPBのドラフト指名を拒否し、又はドラフトでの交渉権を得た球団への入団を拒否し、外国球団と契約した場合、外国球団との契約が終了してから高卒選手は3年間、大卒・社会人選手は2年間、NPB12球団は当該選手をドラフトで指名しない。
という申し合わせのことです。NPB12球団は、「有力な新人選手が12球団を経ずに外国の球団と選手契約することが続いた場合、日本プロ野球の魅力が低下するおそれがある」としてこのような申し合わせを行っていました。

2.独占禁止法違反の嫌疑
上記報道発表によれば、独占禁止法の考え方として、
▶一般に、事業者団体が、構成事業者に対し、他の事業者から役務を受けることを共同で拒絶するようにさせる場合であって、他の事業者が当該構成事業者と同等の役務提供先を見いだすことが困難なときは、当該他の事業者を当該役務の提供市場から排除する効果を生じさせ、当該役務提供市場における公正な競争を阻害するおそれがある(独占禁止法第8条第5号〔一般指定第1項第1号(共同の取引拒絶)〕)。
と示され、この田澤ルールは「12球団に対して特定の選手との選手契約を拒絶させている疑いがあった」とされています。文言とおりであれば、シンプルにNPB12球団と一定期間ドラフト指名しない=選手契約を締結しないのであるから、「共同の取引拒絶」に該当する、というわけです。
このような公正取引委員会の審査がいつから審査されていたかは公表されていませんが、そのさなかにNPB12球団は、本年10月の実行委員会で田澤ルールの撤廃を決議しています。

3.なぜ田澤ルールが撤廃に至ったのか
~公正取引委員会報告書
今回の田澤ルールに対する公正取引委員会の審査が実施されることになった経緯として、最も大きな影響があったと思われるのが、公正取引委員会競争政策研究センターが平成29年8月から平成30年2月まで行っていた「人材と競争政策に関する検討会」です2)。この研究会では、「終身雇用の変化やインターネット上で企業と人材のマッチングが容易になったことなどを背景として、フリーランスや副業など就労形態が多様化し、雇用契約以外の契約形態が増加している」として、使用者の人材獲得競争等に関する独占禁止法の適用関係(適用の必要性、妥当性)の理論的整理が目的とされていました。
平成30年2月に発表された報告書3)の中では、会社員ではない、個人事業主としての役務提供者の人材獲得競争市場が対象とされ、その個人事業主にはスポーツ選手も含まれることとされました。そして、プロスポーツに限られない、スポーツリーグでの「移籍・転職」を制限するルールについて、独占禁止法上の問題が生じることが指摘されています。
さらに、令和元年6月には、公正取引委員会は「スポーツ事業分野における移籍制限ルールに関する独占禁止法上の考え方について」を発表し4)、スポーツ界の移籍制限ルールに関してより具体的な指針を示しています。
この指針では、公正取引委員会が平成30年12月から「スポーツ統括団体等からのヒアリング等を通じて、実態把握を行ってきた」とされ、「スポーツ事業分野における移籍制限ルールについては、人材(選手)の獲得を巡る公正かつ自由な競争という観点からみた場合に、その合理性や必要性について十分に検討した上で設定されたとは言い難いものが多く存在することが認められた。」とされています。
そして、指針の内容として、
▶「スポーツ事業分野において移籍制限ルールが取り決められる場合は、チーム間の選手獲得競争が停止・抑制され得るとともに、その結果、選手を活用したスポーツ活動を通じた事業活動における競争も停止・抑制され、また、事業活動に必要な選手を確保できず新規参入が阻害されるといった弊害が生じ得る」ことから原則的には独占禁止法違反になる。
▶他方で、スポーツ統括団体が(又はチームが共同して)定める移籍制限ルールは、①選手の育成費用の回収可能性を確保することにより、選手育成インセンティブを向上させること、②チームの戦力を均衡させることにより、競技(スポーツリーグ、競技会等)としての魅力を維持・向上させることの面で競争を促進する効果を有する場合もあり得る。
▶独占禁止法上、移籍制限ルールについては、上記弊害が生じるからといって直ちに違反と判断されるのではなく、それによって達成しようとする目的が競争を促進する観点からみても合理的か、その目的を達成するための手段として相当かという観点から、様々な要素を総合的に考慮し、移籍制限ルールの合理性・必要性が個別に判断されることとなる。
ということが示されています。
特にプロスポーツを問わない、スポーツリーグの移籍制限に関して、公正取引委員会がこのような明確な指針を示したのは日本では初めてのことであり、日本のスポーツ界に大きな影響を及ぼすこととなりました。

4.公正取引委員会報告書や指針検討の影響
これらの公正取引委員会報告書や指針の検討がなされているさなかに、公正取引委員会は、スポーツ界の人材獲得市場に関する調査を進めており、以下のような事象も発生しています。
▶平成30年2月に、日本ラグビーフットボール協会は、トップリーグ規約で定めていた、前所属チームの移籍承諾書がない場合に1年間の公式試合に出場できないとする移籍制限規定を撤廃した。
▶日本実業団陸上競技連合が定める実業団チーム間の移籍に関する規程「退部証明書」が交付されなかった選手は、日本実業団陸上競技連合に「無期限」で登録ができず、実業団登録選手として競技会に出られなくなる規定があったが、令和2年2月に、日本実業団陸上競技連合はこの規定を撤廃した。

5.スポーツ界の移籍制限ルールの今後
今回の「田澤ルール」問題に対する公正取引委員会の審査も、このような流れの中で行われています。公正取引委員会のスポーツ界の移籍制限ルールに対する強い関心を示すものであり、今後もスポーツ界に残存する様々な移籍制限ルールに対して、公正取引委員会の審査が行われていくものと考えられます。
NPBの移籍制限ルールである保留制度、FA制度は、世界的に異例の長期間かつ移籍金等の負担がある移籍制限を定める制度となっており5)、今後、NPBの保留制度、FA制度に対する独占禁止法の適用、公正取引委員会の審査が注目されます。また、当然の制度になってしまっているNPBのドラフト制度自体も、選手獲得市場における公正かつ自由な競争を阻害する制度の一つであり、独占禁止法上のどのような許容性をもって維持するのか慎重に検討しなければならない制度の一つです。実際、田澤選手は2020年のNPBドラフトで指名されず、NPB球団と契約に至りませんでしたが、他のメジャーリーグからの復帰する選手が自由にNPB球団と交渉し、契約している点と比較すると、ここに公正かつ自由な競争が実現できているのでしょうか。
スポーツ界の選手獲得市場においては、今、独占禁止法が適用されることを前提として、その選手獲得の業界内ルールを慎重に検討する時代になっています。

▶1)https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2020/nov/201105.html
▶2)https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index.html
▶3)https://www.jftc.go.jp/cprc/conference/index_files/180215jinzai01.pdf
▶4)https://www.jftc.go.jp/houdou/pressrelease/2019/jun/190617.html
▶5)http://jpbpa.net/transfer/

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