大相撲部屋のマネジメントについて

大相撲部屋のマネジメントについて
荒磯 寛│元横綱・稀勢の里

1 はじめに

私は、角界でも有名な厳しい部屋に入った。スカウトが一切なくて、自分で部屋を探し、その中でも一番厳しい部屋に入った。噂通り厳しい部屋で、今ではありえないような厳しい指導を受けた。もちろん、それがあったから横綱までなれたと思うのだが、今はそういう時代ではない。かつてのような指導はできなくなったし、変えていかなければいけない。
今般、力士を引退し、親方としてスタートを切ることになったが、将来自分で部屋を持つことも視野に入れて、若干の私見を述べたい。

2 育成の仕組み

サッカーの場合、トップクラブが若手の育成を手掛けていると聞いた。特にドイツのリーグでは、ドイツ人選手枠を定めているだけではなく、自クラブの下部組織出身選手との契約も義務付けているという。野球にはトップチームの手による育成システムはないが、高校年代の育成環境が整っていて、プロに入るときの契約金が、それまでの育成に対する対価の意味も含まれているとのこと。大相撲の場合は、そのどちらもない。やはり、下から育ててレールを作ってあげるということができれば良いのではないかと思う。
ただ、相撲の場合は、頸や膝に負担がかかるので、やみくもに取り組めばよいというのものでもない。今の《わんぱく相撲》をみていると、頭から突っ込んで当たる子どもに「良い当たりだ!」と褒める指導者もいるが、頸ができていない段階で頭から突っ込む立ち合いは自殺行為。小学生の時に活躍していた子どもが大人になったらつぶれていたというのもよくある事。
私は、15歳までは本格的に相撲をやっては来なかったが、それが良かったのかなと思う。もちろん、多少でも相撲にかかわることがないと興味を持てないだろうから、どのようにしたら子どもが相撲に興味を持っていくようになるのかということを研究することも大切だろう。
相撲をやらずに何をやればよいかということだが、柔道の場合、利き手が前に出る取り組みが多いので、下手が先導してしまう。だから、柔道経験者は、組ませたら出世しないので、《突き押し》に変えさせるところから始まる。レスリングも、頭を首の後ろから抑えつける動作は、相撲にはない動作なので、お勧めできない。ラグビーも頭から行く。彼らは頭や膝が地面についても良いが、そのようなタックル動作にたけていても、相撲ではたたきつけたら終わってしまう。このように、一見相撲に近いと思える格闘技でも、力士として大成するために苦労してしまう場合もある。
一方で、野球やバレー・バスケのような球技にも良いところがあるように思う。
私は中学生まで野球をやっていたので、野球を勧めたい。野球の瞬発力も大切だが、一番良いと思うのは「当て感」。相撲は、当たる瞬間に《100%》出ることが良いのだけれど、その手前で《100%》を出してしまって当たる瞬間に《80%》になって(負けて)しまうというようなこともある。「当て感」というのは、一番力が出る瞬間を感じる力のことで、野球を一生懸命やっている人は「当て感」が分かってきて、相撲をやらせても最初からパチンパチンと当てるのがうまい。
バレーボールも最高。伸びる力やハムストリングスを使ったジャンプ。また、「当て感」も最高。バスケットボールも、瞬発力に加えて「止まる力」も養成される。相撲の場合、前に行く力も重要だが、止まるときにかかる力が一番大きい。立ち合いでは、当たる意識がもちろん重要だが、私は「止まる意識」も大切にしていた。止まったところに相手がぶつかると、当たって空いたところにスコっと入っていけるのでけんかにならない。けんかするから身体が疲れるし体が壊れるのだ。だから、壊れない相撲を取るには「止まる意識」が非常に大切になる。

3 力士の生活  

相撲界にはいろいろな風習があるが、中には「どうして?」と疑問に思うことも多い。
例えば、ちゃんこ。力士がちゃんこを作ってお客さんがそれを食べる。相撲部屋はそういうものだと思われがちだが、力士がちゃんこを作るのは時間の無駄ではないかと思う。力士の本旨は身体を鍛えて力をつけることであって、それは稽古で養われるもの。若いお相撲さん(取的)は、ちゃんこづくりや洗濯に追われる。巡業中の若手は、僕らの洗濯のために夜中の1時2時まで乾燥機を回している。土俵から上がるのが夜の8〜9時で、私たちの食事の給仕をして、そこから自分たちの食事。洗濯して乾燥機を回して、結局寝るのが1〜2時。そして、朝5時に起きる。彼らがいつ稽古をやるのかと言えば、ほとんど稽古できない。洗濯とか食事というのは外部の方(業者)に委ねても良いのではないかとも思う。
それと、朝稽古。なぜ朝やるのかと疑問に感じたことがある。眠い時に目をこすりながら稽古をするのがピークなのかどうかということもあるが、なにより食事を摂らずに稽古するというのもどうかと思う。私は、休業中に筋肉のこととか栄養のことを勉強したのだが、食事を摂らずにトレーニングするというのは、科学的にはあり得ないことと思った。筋肉がすり減ってしまうし、稽古して、そこから食事を作って、関取が食べて、そこからようやく若手が食べられる。練習後の30分以内が「ゴールデンタイム」と呼ばれるようだが、稽古が終わったら30分以内にタンパク質を摂れるようにしたい。
しかし、一方で「相撲」には古くからの歴史があり、守っていかないといけない部分もある。 1500年以上続く長い歴史の中で、諸先輩方が築いてきた文化を守りつつ今の時代に合った事も取り入れたらと思う。

4 ケガ

私たちは、多少のケガであれば朝稽古を休むことはない。「土俵のケガは土俵の砂をつけて治せ」という言葉もあるのだが、休まずに稽古をすることが本当に良いのかどうか。私も、自分では「行ける」と思って出たのだが、症状の悪化につながって結局後悔した。まだまだ相撲を取りたかったのだが、あそこで自信をもって「休もう」と思える状況に至らなかったことが残念である。
トレーナーとかお医者さんのようなアドバイスしてくれる方が身近にいないといけないと思うし、場所ごとにレントゲンやMRIを撮るという習慣もない。ほかのスポーツに比べてだいぶ遅れていると思う。

5 相撲部屋ができること

相撲改革というと、協会の在り方についての意見や提案が多いのだが、一親方として部屋の中でできることも多いと思う。
例えば、稽古に《画像》を取り入れるというのも、いつかやってみたいことだ。今の子は画像を見る習慣がついているので、画像を使って「ここはこうだから」と説明したほうが分かりが良いのではないかと思う。例えば、稽古場に大きなスクリーン(画面)があって、30秒〜1分前の土俵の映像が常に流れているようになれば、それだけでずいぶんと変わると思う。NFLなどでは映像分析がかなり進んでいると耳にするが、他のスポーツ界も参考にしたい。
資金面の課題もある。若手のちゃんこや洗濯をなくすということもそうだが、映像を入れるということもお金がかかる事であり、お金集めについても取り組まなければならない。サッカーや野球のようなスポーツを見ると、資金集めと現場の強化とは役割が分かれているが、相撲部屋の場合はどちらも親方が担っているというところが課題なのだと思う。もし、部屋のマーケティングを担う部門や別会社があって、マネジメントの全般を託すことができたら、親方は弟子の育成や協会の仕事に専心することができるだろう。

6 相撲界への新たな視点

若手の育成におけるもう一つの課題は、だれもが関取になれるわけではないということ。3段目から幕下にあがれば一人前とも言われるが、幕下は無給であり、給料をもらえる十両以上の関取は力士全体の1割に過ぎない。だから、3段目以下の下積みだけで終わる力士もいる。
一方で、ちょんまげを結う元結(和紙でできた糸)の職人がいなくなりそうな状況もある。油の業者も一社しかなくてつぶれそう。櫛の会社もなくなりそうだし、土俵を作る鍬の会社もなくなっている。力士として出世できなかった若者たちが、伝統の仕事、私たち相撲にかかわった者にしかできない仕事に就くことができるようになれば、相撲界ももっと盛況になるのではないかと思う。
相撲人口を増やすという観点でいえば、高校生、大学生との合同稽古の機会を作るのも面白いかもしれない。大相撲全体でというと大げさになるが、私が部屋を持ったら、まずは知り合いの学校と連携を取って稽古交流をやってみたいと思っている。学生の練習には科学的要素も多いし、学生が相撲部屋に抱く(怖いところとか訳の分からないところとかの)疑念が払しょくされるような懸け橋になっていきたい。
先にも述べたが、力士のスカウトにおける大きな課題は、どのようにしたら子どもたちが大相撲への興味をもってくれるようになるのかということであり、学生相撲の経験者が大相撲にもっと入ってくるようになることも、相撲界の発展のためには重要な取り組みであろう。

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