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▶左:保土ヶ谷区の国道1号線上にある権太坂。旧東海道の同坂は今より北東にあり、さらに急勾配だったと言われている
▶右上:復路の難所「遊行寺の坂」でも有名な時宗総本山・遊行寺
▶右下:秋が深まる遊行寺の境内。駅伝とは異なる時期に旅をしてみるのもまた興味深い

今年も無事箱根駅伝が開催されるという喜ばしいニュースが耳に入ってきた2020年11月の初め。選手たちを迎える冬の季節に向けて秋の装いを深くする東海道に足を運んだ。
箱根駅伝の初開催は大正9年。一昨年の大河ドラマ『いだてん』の主人公・金栗四三らが始めたとされている。今では日本の正月の風物詩といって過言でないほど幅広い世代から愛されるようになった同大会。その人気の理由の一つは、競技を通じて展開される数々の名ドラマにある。そしてそれらは少なからず、箱根駅伝のコースである東海道そのものよって作り出されてきた。
東京箱根間往復大学駅伝競走・通称箱根駅伝はご存じの通り、東京・大手町から箱根・芦ノ湖までの100㎞超の区間を片道5人でリレーする競技だ。選手たちが走るコースは旧東海道と完全一致する訳ではないが、江戸時代の感覚で言えば江戸〜箱根間の10の宿場を1日で走破するということになる。コース上には東海道が開通した当時より難所とされてきた場所がいくつかあり、駅伝の名シーンもそれらの地点で生まれている。最大の見せ場である箱根の山登り・山下りは言うまでもないが、次いで有名なのは往路の「権太坂」だ。
鶴見中継所から始まる「花の2区」の中間地点を過ぎたあたりでさしかかる権太坂は、その急勾配から箱根の山に次ぐ難所と言われてきた。スタート地点の大手町から保土ケ谷駅あたりまでは標高数mほどを維持した平坦な道のりだが、ここへきて突如として標高差約55mの峠が立ちはだかる。ここは、東京多摩西部から三浦半島へ続く多摩丘陵の南東の端。東京湾に流れ出る細かい河川が丘陵を枝状に深く削りこみ、権太坂の急斜面を生み出した。江戸時代、この坂を越えようとした数々の人馬がその勾配に苦しんだと言われており、坂を登り切ったあたりには茶屋が軒を連ねそれは繁盛していたのだとか。
往時のように旅行者で賑わうことはなくなり単なる国道という位置づけになったこの東海道の旅路だが、箱根駅伝が続く限り一年のうち2日間は「国道」以上の意味を持つ日が訪れるのだと思うと趣深さを感じてしまう。この先、様々な事情で大会が途切れることがあるかもしれない。それでも、これまでもそうであったように諦めなければ必ずまた襷は繋がるのだ。目の前に立ちはだかる峠に挑む韋駄天たちがいる限り、箱根路は歴史を刻み続ける。
▶伊勢采萌子

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