書評:サッカーで、生きていけるか。阿部博一・小野ヒデコ[著]
書評:サッカーで、生きていけるか。阿部博一・小野ヒデコ[著]
京都先端科学大学 束原文郎
今号より、「アスリートの教育とキャリア形成」について連載する。初回は、阿部博一と小野ヒデコによる共著『サッカーで、生きていけるか。』(英治出版、2024)を取り上げる。
本書は、これからプロサッカー選手を目指す学生や大人、プロサッカー選手を目指す子どもの保護者や指導者に向けて書かれた、キャリアガイドである。だが、弱冠40手前の元プロサッカー選手である著者がアジアサッカー連盟の審判部長として辣腕を振るうようになるまでのサクセスストーリーを描く類の、武勇伝的キャリア論ではない。サッカー選手に特化したセカンドキャリア指南本でもない。アメリカ名門大学の大学院で国際関係学の修士号を取得し、帰国後はシンクタンクに勤めた著者ならではのデータに裏打ちされたマーケット把握、そしてマーケットに対応した緻密かつ未来志向のキャリア教育論である。
「第1章 広がるプロサッカーの選択肢」では、「プロサッカー選手」や「プロクラブ」の定義を確認したうえで、国内外のプロサッカー選手の機会の広がりについて議論している。特に、中層〜下層のリーグに所属している選手や、J1・J2で試合に出場できているものの、日本代表や海外強豪国のトップリーガーには及ばず、知名度や収入面を考えると引退後のネクストキャリアを真剣に考える必要のある選手のことを「プロサッカーのリアルにいる選手」と定義し、一部の突き抜けた成功者以外のほとんどの「リアルにいる選手」こそ、「プロサッカー選手という職業の現実を理解し、その後のキャリアを考えることが絶対的に必要」と主張する。
これを承けた「第2章 どのルートからプロを目指すか」では、Jリーグ内定選手の高卒/大卒比率の推移をデータで示しながら、プロサッカー選手になるためにある主な経路と、引退後も視野に入れた各経路の特徴(強み・弱み)が議論される。どのルートも一長一短があるが、世界中のサッカー指導が「選手中心」「人としての成長重視」というトレンドにあるのは、それが「競技力の向上」に直結するからで、そうした認識の広まりは、「社会のことはわかりません」という選手をなくすために、選手自身が地に足のついたキャリア観を育む追い風になっていると指摘する。
「第3章 プロサッカー選手の理想と現実」では、主にJリーグのプロ契約の給料体系を確認しながら、プロサッカー選手という仕事だけで一生分の収入(大卒・院卒、大企業就職で約3億円と仮定)を得る選手がごく少数であること(J1の平均年俸2200万円をもらっていたとしても14年以上、460万円だと65年かかる)が示される。これこそサッカー選手のリアルである。したがって、ここでも選手でいるうちから引退後のキャリア形成について真剣に考えるべきであると強調される。
「第4章 引退後はどんなキャリアが広がっているか」では、実際には30歳前後となる引退後のキャリアについて、さまざまな選択肢を紹介し、仕事によって求められる資格やスキルにも言及している。現場の指導者と言っても多様化しているし、またプロクラブのコーチや監督になるにはかなりの年月とトレーニングが必要になる、選手と同じく非常に競争の厳しいマーケットである。メディアや解説、クラブ・協会スタッフならサッカー競技への深い理解と同時に、ビジネススキルも求められる。民間企業、教職員、企業、進学など、多種多様な職業に触れながら、現実に即してネクストキャリアを考える重要性が伝わってくる。
「第5章 女子サッカー界の実情とロールモデル」では、ノンフィクションライターの小野が、日本の女子プロサッカー選手のキャリアについて詳述している。男子サッカー界との異同を中心に叙述が展開され、女子サッカー界が立ち向かう困難の源流にある日本型雇用とサッカー界の男性中心性を突きつけられる。女子にとどまらず、スポーツ界全体を変える原動力になっている海外の女子サッカーをモデルとすることに希望が見出される。
最終章の「第6章 サッカーから得た力をどう活かすか」では、複数の社会心理学理論を引き合いに出しながら、プロサッカー選手を経験することにより身につけた「普遍的な力」について言語化を試み、その力を社会で活かす方法について議論している。自身の競技者生活で得た力についてリフレクティブに捉え直し、言語化することは、サッカー選手だけではなくすべてのアスリートに求められる作業だ。
本書の特長は、サッカー選手とシンクタンク研究員という全く異なる職歴を持つ著者が、両方の経験が無ければ到達し得なかったキャリア教育論を精緻に、しかし情熱的に言語化したことにある。読者は本書の筆致と行間から、著者のサッカー(とサッカー選手の人生)への深い愛を受け取るはずだ。著者の愛に報いたければ、受け取った愛を周囲のサッカー選手、アスリートやその保護者・指導者に届けよう。