第3回 国家分裂時、オリンピックを目指すアスリートは どのように救われたのか(旧ソ連編)
第3回 国家分裂時、オリンピックを目指すアスリートは
どのように救われたのか(旧ソ連編)
早稲田大学大学院スポーツ科学研究科 木村俊太
国家とは何か? 自明と思われがちだが、国単位での出場が原則であるはずのオリンピック大会において、その代表チームに台湾や香港などが含まれることを想起するだけで、それがけっして自明ではないことがわかる。スポーツにおける国代表を見ることで、私たちが当たり前だと思っていた「国家観」は大きく揺らぐ。前回までは実際の国境線とスポーツにおける国境線の違いについて見てきたが、ここからは実際の国境線が変更されてしまった際のアスリートの処遇について考えたい。今回はソ連崩壊後、直前に迫ったオリンピック大会出場を目指していた旧ソ連のアスリートたちを救った政治家、スポーツ関係者らの動きと国家観について取り上げる。
国の消滅
1991年12月25日、ソビエト連邦(ソ連)のミハイル・ゴルバチョフ大統領が辞任、翌26日にはソ連最高会議も解散し、ソ連という国家は名実ともに消滅した。これにより、いち早く独立宣言を発していたバルト三国を含め、ソ連は15の国に分裂することになった。のちに「冷戦の終結」といった言葉で語られることになるこの歴史的大事件は、スポーツ界にも大きなインパクトを与えることになる。特に問題となったのは、開幕が45日後の1992年2月8日に迫っていたアルベールビルオリンピック、さらに同年夏に控えたバルセロナオリンピックにおける旧ソ連代表選手たちの処遇であった。
アスリートを救え
オリンピック憲章(2025年版)には「41 競技者の国籍」として「1 オリンピック競技大会に出場する競技者は、参加登録申請を行うNOCの国の国民でなければならない。」とある。また「30 NOCの国と名称」として「1 オリンピック憲章における「国」の表現は、国際社会に独立国家として認められているものを指す。」「2 NOCの名称はその国の領土の範囲と伝統を反映するものでなければならず、IOC理事会の承認を得るものとする。」とある。
しかし、アルベールビルオリンピックの45日前に、それまで国の威信をかけて選手の育成に力を入れてきたソ連という「国」がなくなってしまった。15に分裂した共和国単位での出場になるのか。そもそも15の国のNOCはIOCに承認されるのか。仮に承認されたとしても、個人競技はともかく、団体競技の選手たちはどうなるのか。
たった45日という短期間のうちに解決しなければならない問題が一気に噴出することになったのだが、IOCと旧ソ連15か国の動きは迅速だった。迅速に動けた要因には、IOCや旧ソ連諸国がなんとかして旧ソ連のアスリートたちを救いたいという強い思いがあったことはもちろんだが、もう一つ大きな要因があった。それは、ソ連の崩壊がある日突然やってきたわけではなかったということだ。ソ連の崩壊はかなり以前から予測されており、各国ともやれる手立てを事前に打っていたのだった。
バルト三国のすばやい動き
旧ソ連15か国の中で最も早く動いていたのは、バルト三国だった。すでに1988年11月には、エストニアが主権宣言を行っており、リトアニアとラトビアもこれに続き、翌1989年に主権宣言を行った。続いて相次いで独立宣言を発し、1991年9月にソ連が独立を承認。国連加盟も果たしている。
バルト三国はスポーツ界の動きも早かった。1988年から1989年にかけ、国内オリンピック委員会(NOC)の再建に取り掛かった。しかし、IOC側は慎重だった。バルト三国からの承認要請に対し、政治情勢が明確になるまで待とうということになり、承認は先延ばしとされてしまったのである。
バルト三国以外の旧ソ連諸国の動き
バルト三国以外の旧ソ連諸国12か国はソ連消滅まで、形の上では連邦国家を維持していた。そのため、IOCに何らかの働きかけを行うこともなかった。ただし、事前に何の手も打っていなかったわけではない。1989年12月、やがて訪れるソ連崩壊を察知していたかのように、ソ連NOCを連邦共和国NOC(ソ連を構成する連邦諸国にもそれぞれNOCがあった)の連合体に変え、決定は多数決で行われるものとした。各国の連合体という、のちの独立国家共同体(CIS)設立にも通じる考え方がスポーツ界にはいち早く芽生えていたとも言えよう。そして、ソ連崩壊が現実となった直後の1992年1月、旧ソ連各国は自分たちのNOCを承認してほしいとIOCに訴えた。
アルベールビルオリンピックの開幕は2月8日と迫っている。時間がない中、IOCは旧ソ連のアスリートたちが出場するための方法を探った。1992年1月25日、フアン・アントニオ・サマランチIOC会長はモスクワを訪問し、ロシアのボリス・エリツィン大統領と会談。ここでエリツィン大統領は、国連安全保障理事会のソ連の地位をロシアが引き継いでいることを指摘し、ソ連のNOCをロシアが引き継ぐことで旧ソ連NOC所属のアスリートがアルベールビルオリンピックに参加可能なのではないかと提案した。
旧ソ連12か国のNOCを承認することは時間的にも難しく、団体競技のチーム崩壊を招くことも考慮し、IOCはこの現実的な提案を受け入れた。CISにジョージアを含めた形で「統一チーム(EUN)」として旧ソ連諸国のアスリートたちのアルベールビルオリンピック参加を認めることとしたのである。
EUNは同年7月25日開幕のバルセロナオリンピックにも参加し、45個と最も多くの金メダルを獲得している。EUN諸国のNOCが独立した形でIOCに承認されるのは、翌1993年のこと。1994年のリレハンメルオリンピック(冬季)、もしくは1996年のアトランタオリンピック(夏季)から、各国のNOCとして出場することになった。(表1)
バルト三国のNOCはバルト三国が国連加盟を果たしたのと同日の1991年9月17日にIOCによって承認されることになった。NOCの承認という、本来はスポーツ界内部の問題であっても国際政治の状況に大きく左右されることを世界が認識した出来事だったのだが、こうしてソ連という国を失い、オリンピック出場が危ぶまれたアスリートたちは1992年のアルベールビル、バルセロナ両オリンピックに出場することができるようになった。
今回、国家分裂によりオリンピック出場が危ぶまれたアスリートたちを救うため、IOCは「国連主義」とでも言うべき国家観によってオリンピック出場を認める判断を下した。
しかしその「国連主義」も万能ではなかった。次回はほぼ同時期に起こった、IOCが「国連主義」をあえて排除した事例を見ていきたい。
参考文献
松戸清裕(2011)『ソ連史』(筑摩書房)「オリンピック憲章2025年版」(国際オリンピック委員会)(翻訳・編集 竹内浩・和田恵子 公益財団法人 日本オリンピック委員会発行)
IOCホームページ(https://olympics.com/ioc)(2025年11月20日閲覧)
リトアニア・オリンピック委員会ホームページ(https://www.ltok.lt/ltok-istorija/)(2025年11月20日閲覧)
エストニア・オリンピック委員会ホームページ(https://www.eok.ee/organization)(2025年11月20日閲覧)
「国際オリンピック委員会の百年 第1巻」(穂積八洲雄訳)(NPO 法人日本オリンピック・アカデミー公式サイトデジタル・ライブラリー掲載 https://olympic-academy.jp/joa_digitallibrary/joa_digitalmaterial/ioc100years/)(2025年11月20日閲覧)
David Owen(2019)「How the collapse of the Berlin Wall changed Olympic sport」inside the games 2019年11月12日(https://www.insidethegames.biz/articles/1086882/berlin-wall-collapse-olympic-sport)(2025年11月5日閲覧)



