【4】スポーツ産業の学習・研究における課題

【4】スポーツ産業の学習・研究における課題
元愛知大学教授 新井野洋一

日本スポーツ産業学会は、2025年3月に「スポーツ産業学入門」(晃洋書房刊:以下《本書》と表記」)を刊行いたしました(134頁/2,000円)。《本書》は、2021年当時の学会運営委員有志によって構成された編集委員会が編纂したものですが、終始、議論をリードして多数の草稿を残してくださった新井野洋一氏(元愛知大学教授)に、《本書》を補足して、《本書》の理解をさらに発展させていただくことを狙いとして、34号から4回にわたって連載いただきます。 「スポーツ産業入門」編集委員会委員長・中村好男

商業化、興行化、産業化、社会的影響

スポーツ産業の歴史については《本書》第3章で詳しく述べていますが、旧来の日本社会では、スポーツを通じて利益を得るという考え方に対して否定的であったと言えます。「スポーツは売り買いするものではない」「アスリートは商品ではない」という反商業化、つまりアマチュアリズムがスポーツ活動やその運営の基本姿勢だったのです。また、「観客から料金を取って見世物にするものではない」として、スポーツの興行化にも反対の立場が取られてきました。にもかかわらず、商業化と興行化が推進されたのは、オリンピックに代表されるスポーツ・イベントが継続困難な状況に直面したためでした。こうして、プロスポーツの隆盛と並行しながら、スポーツに関連する売買関係を中心とした産業化の道が切り開かれていきました。

 《本書》でも紹介したロサンゼルス・ドジャースと超大型契約を結んでいる大谷翔平選手は、スポーツ産業にとって極めて高質な存在です。現代日本の「三種の神器」はアニメ、スシ、そしてオオタニと称され、関連グッズや著書は飛ぶように売れています。彼のパフォーマンスと雰囲気を共有しようと観戦者が増加し、それに伴い航空券や宿泊施設などの消費も上昇傾向にあります。また、球団へのスポンサー希望も倍増していると報じられています。さらには、カリフォルニア州の税収に少なからず影響を及ぼすことは間違いありません。

 他方、彼が被災地に多額の寄付を行ったり、全国の小学校にグラブを寄贈したりする行為は、スポーツを通じた社会貢献のすばらしさをあらためて認識させています。また、トランプ米大統領と面談した“偉大なる OHTANI SAN”の活躍は、関税問題で揺らぐ日本にとって国益につながるという声も聞かれます。さらに、「どのようにすれば彼のような優れた人間性をもった選手が育つのか」という関心が、家庭や学校の教育のみならず、選手育成やスポーツ政策にまで広がりつつあります。このように、大谷翔平選手は、スポーツ文化の商業化・興行化・産業化、さらには社会的影響を追究するうえで、魅力の尽きない広範な研究対象と言えます。

消費スタイルの変容への対応

 スポーツ産業による経済的提供物(=商品やサービス)は、関連企業の活動成果です。同時に、消費者側の消費スタイルすなわち価値意識や購入態度、志向性などを反映したものでもあります。消費スタイルは多様です。たとえば、観戦チケットの購入パターンが「インターネットの利用」「試合会場窓口での購入」「コンビニエンスストアなどのサービス利用」に大別されることも、その一例です。スポーツ消費者の意識・態度・行動に関する研究の重要性があらためて指摘されるところです。

 図1は、消費者の志向から消費スタイルの種類とその関係を示したものです1。消費スタイルは、当然ながら社会や経済の変化に大きく左右されますが、それを時間的変化としてのみ捉えるのは短絡的です。社会や自然に貢献するイミ消費のために体験や活動を重視するコト消費を必要としたり、その瞬間・その場所に価値を見出すトキ消費が物理的な価値を求めるモノ消費を刺激したり、さらにはこれらのトレンドが新たなサービス消費を生み出すといった相互関係がみられるからです。消費者の多種多様な志向が重なり合って、消費スタイルがつくり出されていくのです。

 周知のとおり、「強くて勝てるチームやアスリートをつくれば観客が集まる」という考えは、もはや迷信となりつつあります。チームやアスリート、スポーツ・イベントの新たな魅力を創出し、消費者の関心をいかに引きつけるかというマーケティングの重要性が高まっているのです2

 一方、近年、Z世代3の「エモ(Emotional) 消費」が注目されています3。モノの機能や値段よりも、感情の動きや共感、一体感を重視する消費です。手間のかかるフィルムカメラをあえて使用するようなノスタルジックな消費や推し活(観戦のための遠征や聖地巡礼など)、エモい景色をSNSにアップするための旅行、アイドルの誕生日を祝う体験をSNSで拡散するような消費などです。これらを通じて、新たなコミュニティをつくろうとしているとも言えます。スポーツ・ファンにも、こうしたエモ消費の傾向が強まっており、スポーツ産業の将来を考える上で欠かせない研究テーマであると言えるでしょう。

ボランティアの精神と活動の再考

 身近なお祭りなどの文化活動は、住民による任意団体と地方公共団体の協力を背景に、寄付金を運営資金とし、無償のボランティアによって実施・継承されてきました。一般的に、ボランティアとは、自発性・社会性・無償性・創造性を条件とする、原則として無報酬の活動とされています。そして、それに準じて、スポーツ・ボランティアは、スポーツが生み出す金銭化できない行動の代表格のごとく位置づけられてきました。

 ところが近年では、宿泊所や食事の提供、交通費や日当の支給といった待遇を伴う「有償ボランティア」や「ボランティア労働」と呼ばれる現象が増加しています。メガ・スポーツイベントにおけるボランティアの多くも、そのような形態をとっています。しかし、労働や請負との区別は曖昧なままです。そのため、「自発性に基づくとはいえ、処遇が劣悪で生きがい搾取ではないか」という疑問や、「無報酬だからこそ愛着が生まれ、指示に従ってもらえる」という見解など、さまざまな立場が混在しています。他方、駅伝の先導バイクに乗る警察官、火災予防のために待機する消防士、スポーツチームに同行するメーカー社員、大会役員を務める学校教員などの活動については、ボランティア精神との関連が必ずしも明確とは言えません。

ともあれ、スポーツ文化の継承と創造、そしてスポーツ産業の発展にとって、ボランティアの確保と育成は不可欠です。今こそ、ボランティア精神や活動の実態を改めて見つめ直すとともに、制度的支援や権利保障の整備について議論すべき時期にきているのではないでしょうか。なお、ボランティア労働の価値をどのように評価するかについては、《本書》第7章で詳述していますので、ぜひ参考にしてください。

受益者負担、設置者負担、公的支援

スポーツ組織の運営コストやイベント経費を自前で賄うことが困難となり、スポンサーに投資を募ることが一般的になっています。しかし同時に、スポンサー獲得競争が激化し、資金が予定どおりに集まらないケースも増加しています。そこで浮上するのが「受益者負担」という考え方です。《本書》終章で示したように、伝統文化である花火大会が観覧席を有料化することによって存続の危機を回避しようとしている例はその典型と言えるでしょう。

私たちは、スポーツを「いつでも、だれでも、どこでも、いつまでも」平等に享受する権利が保障される「生涯スポーツ社会」の実現を目指してきました。しかし振り返れば、スポーツが健康や体力の向上、楽しみや喜びなど、個人の利益や恩恵につながるものであると認識しつつも、スポーツ施設や指導体制などに対する受益者負担については、十分に議論してこなかったように思われます。つまり、設置者負担や公的支援のみに依存するだけでは不十分であるという論理が、「受益者負担」の考え方なのです。

さて、運動部活動の地域移行については、諸組織によって検討が進められ、様々な選択肢が試行されつつあります。民間による「地域クラブ」の形態も増加しています。このようなスポーツ産業マターでの地域移行の場合には、第一にスポーツ関連の新たな雇用が生み出されることが期待されますが、結果的に非正規雇用や学生アルバイトの増加にとどまったり、労働対価が曖昧になったりしては意味がありません。また、子どもや保護者に過度な金銭的負担を強いることも懸念されます。やはり、社会保障の観点から、公的支援の拡充が急務と言えます。その際、地域移行が、育児費用の高騰や学校外での子どもの安全確保に対する不安などの少子化の要因を軽減しうる可能性を持っていることにも配慮すべきです。加えて、運動部活動の委託や公契約を行う際には、設置者の公明性が担保されることも極めて重要です。

いずれにしても、受益者負担と設置者負担、そして公的支援のバランスをいかに図るかという課題は、スポーツ産業学においても重要なテーマであることは間違いありません。

スポーツ市場とその公正な解析

 産業は、公正な経済活動、すなわち法的・道徳的に適正で、資源の調達や分配が適切で、関係する人々や組織に対して公明正大で、情報の収集や発信が正確であらねばなりません。スポーツ産業も例外ではありません。しかし現実のスポーツ界では、不正・不当な経済活動や、ステークホルダー間の偏向・不平等といった問題が発生しています。東京オリンピックのスポンサー契約をめぐって有罪判決が下された汚職事件は、記憶に新しいところです。

確かに、私たちの社会は完全なる神の国ではなく、平均的あるいは理想的な基準に照らせば矛盾や欠陥が必ず見つかるものです。かといって、スポーツ界における不正・不当の原因をスポーツの存在そのものに求めたり、経済活動としてのスポーツを否定したりするのは、当を得た主張とは言えません。交通事故を防止するために、道路や自動車をなくそうと議論するのと同じくらい非現実的だからです。同様に、学生野球憲章における「経済的な対価を求めず」という規定や「ブラック部活」という表現は、スポーツを経済活動として捉えてはならないという主張ではなく、公正な経済活動であるべきだという趣旨を示していると理解されます。真意は、経済活動として扱うことを否定するものではなく、特定の組織や個人の利益のみに執着したり、ステークホルダーに過度の犠牲や負担を強いたりしてはならないという点にあるのです。

繰り返しですが、現代スポーツは、「する」「みる」「ささえる」「つくる」のすべての局面において自給自足が不可能となり、資源の交換システムとして維持されています。つまり、現代のあらゆるスポーツ活動は、スポーツに対する需要と供給が出会い経済的価値が形成される場、すなわちスポーツ市場にほかならないのです。したがって、先述した不正・不当の問題の根本原因は、スポーツを市場の観点から解析するスポーツ産業学が未成熟であったためと考えられます。そうであるならば、次の課題は「どのような方法でスポーツ市場を解析するか」という点になります。言うまでもなく、資源の交換を顕在化させる最も基本的な手段は金銭です。したがって、スポーツ産業が動かす金銭はもちろん、それに加え他の生活領域で動いている金銭との関係、さらには社会全体に流通する金銭との関連を明らかにする必要があります。《本書》第7章「スポーツの価値を測る視点」では、その具体例を示しています。ぜひ熟読していただきたい。

スポーツ産業をめぐる課題

一つ目の課題は、スポーツテック市場、すなわち先端情報技術による用品・グッズの開発、アスリートのサポート、さらには競技における判定や観戦環境の改善などに関わる市場の行方です。野村総合研究所の推計によれば、スポーツテック市場は2025年には1,547億円に達し、2017年の約14倍に拡大するとされています。また、チケット販売・中継放送・スポンサー・グッズといったプロスポーツの四大収入源のすべてを、スマートフォン1台で完結できる仕組みを構築する動きも強まっています。さらに、スポーツ観戦の分野では、VR(Virtual Reality:仮想現実)やAR(Augmented Reality:拡張現実)を活用した新しい観戦スタイルへの関心が高まり、その開発と普及が急速に進展しています。

こうしたスポーツテック市場の発展を支えていくのがAI(人工知能)です4。AIの導入には懸念点も指摘されていますが 、その詳細は別の機会に譲ります。いずれにしても、スポーツを「する」「みる」前の予想や分析、あるいは「した」「みた」後の振り返りや評価に役立つDX(デジタルトランスフォーメーション)化へのアプローチは、ますます重要になっていくと考えられます。

二つ目は、スポーツベッティング(賭け)の行方です。スポーツ産業の先進国であるアメリカでは、スポーツ観戦によって動く金額よりもスポーツベッティングにおける消費額のほうが上回ってきたと言われています。2021年には、その額が7兆円を超えました。これは、日本のスポーツ振興くじの売上(約1,336億円)や宝くじの売上(8,000億円超)を大きく上回り、競艇や競馬などの公営ギャンブルの総売上とほぼ同額に相当します。スポーツベッティングは、ユーザーからベッティング事業者、そしてリーグやチームへと資金が循環することで、アスリートへの還元やリーグ・チームの強化費、広報費の増加につながり、スポーツ産業全体に好影響を与えています。また、ベッティングを通じてスポーツへの関心が高まり、ファン層の拡大が期待されています。

そのようなことから、世界各国で、スポーツベッティングを合法化する動きが広がっています。しかし日本では、オンラインカジノの違法性がクローズアップされる中で、依然として否定的な意見が根強いようです。当然、依存症対策や消費者保護の観点からは慎重な検討が必要ですが、一方で増税などによる新たな財源が見込みにくい現状において、適切な法制度や運営体制が整備されれば、税収の増加やスポーツ振興への効果が大いに期待されます。日本には優れた法・制度と運営体制のもとで成熟してきた公営ギャンブルがあり、これを活用した「日本らしいスポーツベッティング」の実現が望まれます。このテーマについてスポーツ産業学での研究が推進されることが期待されます。

三つ目は、チーム(球団など)や競技団体などのスポーツ集団の今後です。コロナ禍、「三密の回避」「ソーシャルディスタンス」「ステイホーム」といった強い規範が発出されました。家族や職場の結束よりもプライベートの充実を重視したいという意識が浸透していたライフスタイルにとって、さほど厳しい権力の行使ではなかったのかもしれません。その結果、対人関係やコミュニケーションが激減し、個人化志向と孤立的な生活をさらに加速させました。これらを背景に、不登校児童の増加、ジョギングなど個人スポーツの人気、24時間営業のセルフジムの隆盛といった現象がみられます。

私たちが社会の中で生きていくには、個人の諸欲求と社会の規範や権力との間を媒介する中間集団の存在が欠かせません。それが、家族であり、学校、地域コミュニティ、企業、宗教団体、労働組合、NPOなどです。しかし、インターネットの普及は、個人の欲求と社会の規範を直接結びつけるようになり、個人化志向や孤立的な生活を促進することで、中間集団の役割を弱めつつあります。チーム(球団など)や競技団体も例外ではないように思われます。今こそ、スポーツ産業関係者には、個人主義を尊重しつつも社会全体とのつながりを再構築するスポーツの社会的意義をあらためて追究する姿勢が求められているのではないでしょうか。

以上のほか、少子化・人口減少に見合ったスポーツ参加やスポーツ施設の方向性、スポーツ活動と他の文化活動との余暇時間の調整、曲がり角に来ている学生スポーツの改革、スポーツ産業の成長の鍵とされるM&A(合併と買収)の推進のあり方など、関心を引く課題は数多くありますが、別の機会に譲ります。



注 1.今瀧健登「Z世代が生み出す新潮流「エモ消費」って何?」『石垣:日本商工会議所のビジネス情報誌』日本商工会議所広報部企画・編集44(2),27-29,(2024)などを参考に作図した。 2.木村正明『スポーツチームの経営・収入獲得マニュアル:売上ゼロから10億に伸ばす具体策』同文舘出版, (2025.5)などを参考。 3.生まれた年代や社会情勢、教育制度などの背景によって「団塊の世代」「X世代」「ゆとり世代」「Y(ミレニアル)世代」「Z世代」「α(ポストZ)世代」などと呼称される。Z世代とは、概ね1990年代半ばから2010年代前半に生まれた世代を指す。インターネットやSNSが普及した環境で育った「デジタルネイティブ」が特徴。原田曜平『Z世代 若者はなぜインスタ・TikTokにハマるのか?』光文社新書,(2020)で認知度が高まった。2021年にはユーキャン新語・流行語大賞のトップ10にも選ばれている。 4.養老孟司『AIの壁』PHP新書,(2020.9)などが参考になる。


あとがき

 スポーツ産業の実践とスポーツ産業学の研究においては、エビデンス(根拠や証拠)に基づく明確な提案や結論が求められますが、同時に、それに至る過程も重要です。まず、問題意識を持った課題に関する先行研究やデータを収集・整理する段階があります。ここでは、目的・目標・テーマを明確にするとともに、資料や考え方を鵜呑みにせず、批判的に検討する姿勢が大切です。

次に、どのような手段や方法でアプローチするかを明確にするプラン(計画)の段階に入ります。しかし、このプランづくりがなかなか進まないことも少なくありません。その原因は、ビジョン、すなわち「どのような未来を目指すのか」という展望が十分に描けていないことにあります。優れたプランは、明確なビジョンなしには成立しません。したがって、「生活に役立つ安全・安心な商品やサービスの提供」「地域活性化への貢献」「SDGsの推進」「働きやすい職場環境の実現」などについて、十分に議論を重ねる必要があります。

ビジョンを支えるのは、スポーツに対する価値観や「スポーツ産業に携わりたい・学びたい・研究したい」という動機や初心、すなわちパッション(情熱)です。それは、スポーツ文化への熱中や感動の体験を通じて育まれるものでしょう。したがって、スポーツ産業に関わる私たちには、超人的なパフォーマンスを発揮するアスリートを敬愛し、現場と積極的かつ継続的に向き合う姿勢が求められます。このような過程を通してこそ、「すべてのスポーツは産業化せざるを得ない」という現状と、スポーツ産業が成長産業として価値あるものであることが検証されていくはずです。

最後に、そもそも私たちはなぜ学習や研究をしなければならないのでしょうか。それは、誰もが生活の中で難題に出会い、そのたびに問題を理解し、解決策を考える必要があるからです。人間は、生きていくために学び続ける存在なのです。《本書》が、若い仲間たちが学び続ける勇気と行動を発揮する一助となれば幸いです。4回にわたる拙稿にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。

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