第2回 揺らぐイギリスサッカーの国境線

スポーツと国家
第2回 揺らぐイギリスサッカーの国境線

早稲田大学大学院スポーツ科学研究科
木村俊太

国家とは何か? 自明と思われがちだが、国単位での出場が原則であるはずのオリンピック大会において、その代表チームに台湾や香港などが含まれることを想起するだけで、それがけっして自明ではないことがわかる。スポーツにおける国代表を見ることで、私たちが当たり前だと思っていた「国家観」は大きく揺らぐ。そんな揺らぎを連載形式で見ていく連載第2回。今回はイギリスの男子サッカー代表チームを取り上げる。

オリンピックに出られない予選優勝国

2024年に行われたパリオリンピック。男子サッカー競技ではヨーロッパ、アジア、アフリカ、北中米カリブ海、南米、オセアニアの各地区予選(大陸間プレーオフを含む)を勝ち抜いた16か国が集結した。

ヨーロッパにおいては、2年に一度開催される「UEFA U−21欧州選手権」がオリンピック予選を兼ねており、53か国が参加した2023年大会がパリオリンピックの予選となった。この「UEFA U−21欧州選手権2023」を勝ち上がり、パリオリンピックの出場権を得たのはスペイン、イスラエル、ウクライナの3か国だった。ところが、この大会の結果を見てみると、優勝したのはイングランド、準優勝がスペイン、イスラエルとウクライナは準決勝敗退で3位決定戦は行われていない。ヨーロッパのオリンピック出場枠は3枠なので、本来ならば「優勝国」「準優勝国」「3位決定戦勝利国」の3か国が出場権を得るはずである。しかし、実際に出場権を得たのは、「準優勝国」と「(3位決定戦を行わなかった)準決勝敗退国2か国」だった。なぜこのようなことが起こったのか。それは、優勝国イングランドにオリンピックの出場権がなかったからである。

そもそもイングランドは、この大会にエントリーした時点ですでにオリンピック出場権がなかった。オリンピックは国単位での出場が原則で、国際オリンピック委員会(IOC)が承認した国内オリンピック委員会(NOC)単位で出場することになっている。国単位の例外として台湾や香港の出場が認められているのは、その地域にIOCが承認したNOCが存在するからである。

では、イングランドがオリンピック予選で優勝したにもかかわらず、オリンピックに出られないのはなぜか。多くの場合「『イングランドオリンピック委員会』は存在せず、あるのは『イギリスオリンピック委員会』だからだ」と説明される。IOCはイングランドをオリンピック出場単位とは認めておらず、「イギリス」としての出場のみ認めているということである。また、「『イギリスサッカー協会』という組織が存在していないため、代表チームを組織できない」と説明されることもある。

オリンピックに背を向けるイギリスサッカー

上記は現在においては正しい説明だが、オリンピックの歴史を紐解いてみると、必ずしもそうとは言い切れない時期もあった。このあと詳述するが、まずは前提となる話としてイギリスサッカーの歴史について概観しておこう。

イギリスのサッカーについて「なぜFIFAワールドカップではイギリスからイングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つが出場しているのか」という話がたびたび話題になる。結論から言えば「FIFAが設立される以前から、イングランド、スコットランド、ウェールズ、北アイルランドの4つのホーム・カントリーズのサッカー協会が存在しており、それぞれが独立した形でサッカー代表チームを編成し、互いに戦っていたから」ということになる。このあたりは前回見たラグビーの事情と相通じるものがある。

各ホーム・カントリーズの代表チームは互いに戦う対戦相手だったため、一つのチームになるなど考えられないことであり、一つになる必要もなかった。FIFAもホーム・カントリーズの各協会をそれぞれ認め、FIFAあるいはその下部組織(UEFAなど)が主催する大会には、各ホーム・カントリーズが別々に出場するようになった。

この形は、当然ながら、年代別代表にも適用される。イギリスの各ホーム・カントリーズにとって「UEFA U−21欧州選手権」とは若手育成のための大会であり、たまたま4年に一度、オリンピック予選を兼ねているだけという位置づけなのだ。即席の合同チームを作ってオリンピックを目指すより、各ホーム・カントリーズの若手育成の方が重要だと考えているわけだ。

もう一つ、イングランド協会を除く3つの協会としては「自分たちの独立性が保たれなくなるのではないか」という懸念があるという。ホーム・カントリーズによる合同チームを作ることは、非常に強力なイングランド協会に自分たちが取り込まれることを意味する、あるいは少なくともその方向へ向かうことが十分に考えられると主張する。

国家観の揺らぎが見える初期オリンピック大会

先ほど述べたように、現在IOCは、オリンピックへの参加はイギリスとしてのみ認めており、4つのホーム・カントリーごとでの出場を認めていない。

では、イギリスはオリンピックのサッカー競技に出場したことはないのか。実は過去10回出場し、金メダルも3度獲得している。初出場は、1900年のパリオリンピック。この時はロンドンのUpton Park FCというクラブチームが出場して優勝。単独のクラブチームが国代表として出場しており、今、私たちが考える国代表のチームとは異なっていた。1908年のロンドンオリンピック、1912年のストックホルムオリンピックでも金メダルを獲得しているが、メンバーは全員イングランドの選手。イングランドサッカー協会(The Football Association)が主導して代表チームを編成し、他の3つの協会は関与していなかった。

他の3つのホーム・カントリーズがオリンピックにまったく興味がなかったわけではない。1908年のロンドンオリンピックでホッケーが初めて正式種目となったが、この時、イングランド、スコットランド、ウェールズ、アイルランドがそれぞれ別のチームとして参加し、イングランドが金、アイルランドが銀、スコットランドとウェールズが銅と、上位を独占しており(他にドイツとフランスが出場している)、のちに作成されたIOCの公式記録では、この4チームはすべてイギリス扱いとなっている(つまり、イギリスが4個のメダルを獲得したという扱いになっている)。

当時のIOCはホッケーでは各ホーム・カントリーズでの出場を認めていながら、サッカーについてはあくまでもイギリス代表として出場させたということになる。ここには初期IOCの国家観、あるいは出場単位についての揺らぎが見える。

ラグビーとは異なるアイルランドとの国境線

前回、ラグビーのアイルランド代表チームはアイルランド共和国の代表チームではなく、アイルランド共和国と北アイルランド(イギリスの一部)の合同チームだという話を述べた。フットボールとしてルーツを同じくするサッカーとラグビーだが、サッカーはラグビーとは違い、北アイルランドとアイルランド共和国とは別々のチームになっている。

アイルランドがイギリスの一部だった時には、当然のことながらアイルランドのサッカーは分裂しておらず、アイリッシュ・フットボール・アソシエーション(IFA)がアイルランド島全体を統括していた。ただ、当時からすでにIFAが選出するアイルランド代表チームのメンバーがアルスター6県(現在の北アイルランド)出身者に偏っていると、アルスター6県以外の県から不満の声が上がっていた。

第一次大戦終結直後の1919年にアイルランド独立戦争が勃発すると、アイルランド国内が戦場と化していった。それでもサッカーの火は消えない。1921年に行われたアイリッシュカップ準決勝。ダブリン(現在のアイルランド共和国の首都)を本拠地とするシェルボーン(Shelbourne)と、ルガン(現在の北アイルランドにある都市)を本拠地とするグレナボン(Glenavon)との試合が、ルガンに近いベルファストで行われ、結果は引き分けに終わった。当時からホーム&アウェイの考え方が強かったサッカー界。次の試合は当然、ダブリンで行われるものと誰もが考えていた。

ところがIFAは「独立戦争のため、ダブリンは危険である」との理由で、次の試合もベルファストで行うと発表。本拠地ダブリンに帰っていたシェルボーンの選手たちに対して、「ただちにベルファストへ戻るように」と伝えた。

シェルボーン側はこれを拒否。ダブリンから動かなかったシェルボーンは不戦敗とされてしまった。この一連のIFAの措置に対して、IFAの下部組織であり、シェルボーンの統括団体でもあったレンスターサッカー協会(LFA)が猛反発し、IFA脱退を表明。このLFAがのちにアイルランドサッカー協会(FAI)となる。IFAは北アイルランドのみを統括するサッカー協会となり、日本では北アイルランドサッカー協会と呼ばれるようになって現在に至っている。

サッカーはラグビーと異なりアイルランドと北アイルランドが別々の代表チームになっているが、その理由はアイルランド独立という政治的に引かれた国境線に由来するのではなく、同時期に起こった協会どうしの対立が主原因であった。

参考文献
Joe Brophy(2024). Why do Team GB not have a football team in the Olympics? Nation absent from Paris Games due to unique rule. talkSPORTS. 2024年8月9日,
Steve Menary(2012). TO GB OR NOT TO GB: The British Olympic Football Team. (Journal of Olympic History. Issue Two 2012)
FIFA MUSEUM. The curious story of the Brits and Olympic football.
セカンドアカデミー(2008)『イギリスはなぜサッカーの代表をオリンピックに派遣しないの?』(丸善雄松堂)
ダブリン市議会ホームページ「The Irish Soccer Split 1921」(2019年9月16日)

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