桂田隆行さんを偲んで

桂田隆行さんを偲んで
藤沢久美│株式会社国際社会経済研究所 理事長

日本政策投資銀行でスポーツビジネスを担当し、日本各地のスタジアム・アリーナでの地域活性化をリードしてきた桂田隆行さんが亡くなった。元旦に発生した能登半島地震による被災が原因だった。訃報に際し、スポーツビジネス界のみならず多くの人からの悲しみの声が上がった。スポーツビジネスに多大な貢献をされ、志半ばで天に召された桂田さんの歩みをここで振り返りたい。
北海道大学法学部を卒業後、日本政策投資銀行(当時は日本開発銀行)に入行され、地域企業への融資業務を担当してきた桂田さんが、スポーツビジネスとの縁を得たのは、リーマンショック直後の2008年のことだった。業績が悪化したプロスポーツクラブに、財務諸表を元に下した判断は「融資不可」だった。しかし、スポーツには財務諸表だけでは計り知れない可能性があると感じた桂田さんは、スポーツビジネスの世界を探求するために、早稲田大学スポーツ科学学術院の間野義之研究室の門を叩いた。間野教授が20年以上に渡り提唱してきた空洞化する地域にスタジアム・アリーナを整備し、地域活性化を進める概念は、桂田さんの仕事である施設投資等への融資という銀行業務との親和性が高く、かつ、以前より被災地へのボランティアにも参加するなど、業務を超えた地域活性化への熱意を持っていた桂田さんにとって間野教授との出会いはまさに人生の邂逅であった。そして桂田さんは、業界の第一人者への道を駆け上がっていくこととなった。
ここで、桂田さんが、日本のスポーツ政策に多大な貢献をされたことを明らかにしておきたい。2009年にオリンピック招致に失敗した日本政府は、2010年にスポーツ立国戦略を制定し、2011年にスポーツ基本法を改定し、スポーツを経済の起爆剤にするべく再びオリンピック招致を目指した。そんな折、2012年、政策投資銀行は、間野教授を委員長に迎え「スマート・ベニュー研究会」を立ち上げた。もちろん、その裏で汗を流したのは桂田さんだった。2013年にはその研究会の成果を「スポーツを活かした街づくりを担う「スマート・ベニュー」〜地域の交流空間としての多機能複合型施設〜」と題するレポートにまとめあげ、その内容が2016年には政府の成長戦略「日本再興戦略2016」に取り入れられることとなった。「官民戦略プロジェクト10」のひとつ「スポーツの成長産業化」の具体的施策「スタジアム・アリーナ改革」にある多機能型施設の先進事例形成支援が、それである。
翌年2017年からは、同志社大学 庄子博人准教授、フロム・シェフ株式会社の青井 一真氏、釧路公立大学 川島啓准教授らと共に、「わが国スポーツ産業経済規模推計調査」の公表を開始し、政策評価へとつながるKPIとしてのスポーツ産業の市場規模の変化を示し、政策実現を支えた。
こうしたアカデミックな政策支援に加え、桂田さんは、精力的に全国各地にも足を運んだ。そんな地方で筆者も桂田さんとよくご一緒したが、桂田さんの凄みは現地への訪問数だ。週に1、2度はいずれかの地域の現場でアドバイスや意見交換を行い、毎年、海外にも飛んだ。桂田さんが、政府のみならず、全国各地の自治体やプロスポーツクラブから声がかかり続けたのは、アカデミックな冷静な分析に加えて、現場に足を運び人々と交流して得た血の通った経験値を持つ余人を持って代えがたい人であったからだ。
桂田さんは年末の鼎談で、「スポーツ庁が掲げるスタジアムアリーナがコストセンターからプロフィットセンターとする改革はまだ道半ば」と指摘したまま、この世を去ってしまった。この言葉は、桂田さんが土台は作った、次はその上に、桂田さんの描いた未来を実現するようにとの我々への遺言として受け止めたい。

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