2022年度日本スポーツ産業学会・奨励賞受賞論文 新型コロナウイルス感染症拡大に起因する リーグ戦休止・中止がプロバスケットボール選手 に与えた影響に関する研究
2022年度日本スポーツ産業学会・奨励賞受賞論文
新型コロナウイルス感染症拡大に起因する リーグ戦休止・中止がプロバスケットボール選手 に与えた影響に関する研究
神田れいみ│フリーアナウンサー
奨励賞を頂きましたこと、大変光栄に存じます。私はフリーアナウンサーとして活動する傍ら、慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科に進学し、修士課程で研究に取り組みました。本論文は、その成果をまとめたものであり、同大学院の佐野毅彦准教授との共著となります。以下、本論文の内容を簡単に解説いたします。この場を借りて、調査に協力していただいた一般社団法人日本バスケットボール選手会に心よりお礼申し上げます。
研究の背景と目的
世界保健機関が新型コロナウイルス感染症(COVID- 19)パンデミック(世界的な大流行)を表明したのは、プロバスケットボールBリーグのレギュラーシーズンの中盤から終盤に向かう時期に当たりました。ワクチンも治療薬もないウイルスの感染拡大を防ぐために移動や施設・店舗営業等が制限されるなか、Bリーグは2月下旬から3月初旬にかけてリーグ戦を休止し、無観客試合による再開を試みるも、すぐに再度の休止に追い込まれ、シーズン完遂を目指して手を尽くしたものの、3月下旬、B1リーグ173試合、B2リーグ117試合が未開催のまま、リーグ戦中止を決断しました。未曾有の事態に直面した選手たちの心理的ストレスはどれほどであったのか。本研究は、COVID-19に翻弄された選手たちのメンタルヘルスの状態を明らかにすることを主たる目的として実施されました。
本研究を着想した契機は2つありました。ひとつは国際プロサッカー選手協会による調査結果です。世界中でスポーツ活動休止が相次いだ2020年3月から4月にかけて実施され、うつや不安障害が疑われるプロサッカー選手が、男女を問わず一定数存在するというものでした。トレーニングも試合もできない状況下に置かれた選手たちが受けた心理的ストレスの大きさは無視できない水準であることを示唆する結果です。おのずと関心は日本のプロバスケットボール選手たちに向かいました。
もうひとつは、前回のパンデミックであるスペイン・インフルエンザ(1918~1920年)の教訓がほとんど遺されていないことを知ったことでした。当時は第一次世界大戦や関東大震災と時期が重なるという不運に見舞われ、事後検証は十分に実施されませんでした。同じ轍を踏むわけにはいかない。使命感にも似た感情が研究への動機づけとなりました。
調査の概要
調査は、一般社団法人日本バスケットボール選手会(JBPA)の協力を得て、2020年9月に記名オンライン方式で実施されました。正会員297人のうち114人から回答を得て、途中で打ち切られた2019-20シーズンにB1リーグまたはB2リーグに在籍していなかった5人と無記名者1人を除外し、108人を解析対象としました。記名式調査では、回答率の低下が懸念されますが、基本属性の記入が不要となることで回答者の負担は軽減されます。記名式となったのは、JBPAが後者を優先したからでした。
解析対象の基本属性は表1のとおりでした。なお、一試合あたり出場時間については、チームによって消化試合数が異なり、また、出場試合数の少ない選手が過大評価されることを避けるため、各選手の総出場時間を所属チームの消化試合数で除して算出しました。所属チームの事業規模は2019年度営業収入を指標としました。本拠地の感染状況は、シーズン中止が発表された3月27日付での都道府県別COVID-19累積陽性者数を指標としました。
有効回答率が高くないので、解析対象がBリーグの選手を代表しているのか懸念されます。そこで、解析対象と非解析対象の基本属性を比較したところ(記名式調査だからこそ可能な検証です)、いずれの項目でも統計的に意味のある差は認めらませんでした。よって、解析対象はBリーグ選手を代表していると判断しました。
シーズン中止に関する見解
ここからは、調査結果について説明します。まずはシーズン中止に対する選手の見解から。シーズンが中止されることを選手たちはどのように受け止めていたのか。これを確認するため「2019-20シーズンが中止になることを知った時、あなたは率直にどう思いましたか」という質問に対して「中止すべきだと思った」「無観客で再開すべきだと思った」「入場制限して再開すべ来たと思った」「入場制限せず再開すべきだと思った」から一つ選ぶ方法で回答を求めました。結果は表2のとおりで、「中止すべきだと思った」と回答した選手が9割に及びました。プレーを続けたいと考える選手が一定数存在すると想定しましたが、シーズン中止は選手の総意であったことがうかがえます。
リーグ機構による情報伝達の適切さに対する評価
Bリーグがリーグ戦の休止と再開を繰り返していた頃、日本社会全体が混乱期にありました。混乱期だからこそコミュニケーションが重要となりますが、当時、選手たちはリーグによる情報伝達をどのように認識していたのでしょうか。これを確認するため「リーグ戦休止から中止までの期間中、リーグからの情報等は適切に伝達されていましたか」という質問に対して5段階(1:そう思わない、5:そう思う)での回答を求めました。
結果は表3のとおりで、高評価が5割、低評価が2割でした。選手間に不満が蔓延していたわけではないことがうかがえます。回答と基本属性には統計的に意味ある関連は認められず、特定の選手に不満が偏っていたわけでもないことがわかりました。
自由記述には「情報共有や説明が不適切だった」「リーグと選手との意思疎通が不十分だった」という説明不足を訴える意見が散見されました。不確実性と予測不可能性はストレスを高める要因となりますが、当時COVID-19の影響の 予測が不可能であることは明白であり、不足していたのは質ではなく量、すなわち頻度にあったと推察されます。時には「進展はない」という情報を共有することで、蚊帳の外に置かれてはいないという認識を選手が持てるようにすることが、不満・不安の抑制につながるのではないかと考えられます。
選手の心理的有害ストレス
選手のメンタルヘルスの状態はThe Kessler 6-Item Psychological Distress Scale(K6)日本語版で測定しました。K6スコアが13点以上だと重度の精神疾患が疑われますが、日本人の場合は5点以上で気分・不安障害が疑われることから、本研究では、K6スコア5点以上で心理的有害ストレスのある状態(distress状態)と定義しました。なお、K6は自己申告式のスクリーニング尺度なので、専門医による診断結果と比べれば信頼性は劣ります。このことに注意して結果を解釈する必要があります。
この調査では、回答時(リーグ戦中止からおよそ6ヶ月)の測定に加え、6ヶ月遡った時点、すなわちリーグ戦休止期間の状態の測定も試みました。6ヶ月前のK6スコアの精度には疑問の余地が残りますが、シーズン途中でのリーグ戦休止や打ち切りは未曽有の事態であり、当時の記憶は鮮明に残っている可能性は十分にあると考え、信頼性に著しい問題はないとみなしました。
結果は表4のとおりで、リーグ戦休止期間にdistress状態にあった選手は52%に及びましたが、6ヶ月が経過すると、その比率は21%にまで減少したことが明らかとなりました。メンタルヘルスの状態が改善しなかった21%の選手の心理的有害ストレスは慢性化していることが示唆されます。
本研究では、distress状態となった選手の特徴についての検討もおこないました。詳細は割愛しますが、事業規模が大きいチームと比べて小さいチームでは、distress状態にある選手の比率が高いことがわかりました。自由記述には、給与の支払いを心配するものがありました。事業規模が小さいと収入が下振れした場合に資金繰りに窮するリスクが高まるため、小規模チームの選手ほど給与の支払いやチームの存続に関する不安感が高まり、その結果心理的有害ストレスが高まると推察されます。
先行研究から外傷や障害が心理的ストレスを惹起させることがわかっていますが、本研究では外傷・障害の影響を確認することはできません。 まとめ COVID-19拡大によりシーズン途中でのリーグ戦一時休止・打ち切りという未曾有の事態を経験したプロバスケットボール選手の5割が気分障害や不安障害等心理的有害ストレスのある状態であったこと、2割の選手では心理的有害ストレスが慢性化していること、所属チームの経営基盤の脆弱さが選手のメンタルヘルスに影響を及ぼしたことが示唆されました。
本研究の結果から、競技を問わずプロスポーツ選手のメンタルケアを目的とする恒久的な相談窓口の開設が推奨されます。そのためには、プロ選手は強靱な肉体と精神の持ち主であるとか、気分障害や不安障害は心の弱さに起因するというような幻想を払拭することが求められます。
▶神田れいみ;コロナ禍における大学競泳選手の心理状態に関する内容分析, スポーツ産業学研究Vol.32,No.1, pp.51-62,2022.