スポーツ法の新潮流 「インテグリティとは何か~スポーツの現代的価値」
スポーツ法の新潮流──①
「インテグリティとは何か~スポーツの現代的価値」
松本泰介│早稲田大学スポーツ科学学術院准教授
はじめに
2014年から大きな話題となっているロシアの組織的ドーピング問題は、アスリートだけでなく、国際オリンピック委員会(IOC)や国際パラリンピック委員会(IPC)、国内オリンピック委員会(NO C)といった統括団体、国際競技団体(IF)や国内競技団体(NF)、そして、アンチ・ドーピング機関、政府機関をも巻き込んだ大問題に発展しています。一方で、このようなドーピング問題だけでなく、サッカーやテニスにおける国際的な八百長問題や、世界サッカー連盟(FIFA)の役員による不正資金流用問題、国際陸上連盟(IAAF)の役員による不正金銭授受問題なども大きく報道されています。
日本においても、2 013年に大きな問題となった全日本柔道連盟の女子日本代表コーチによる暴力パワーハラスメント指導問題や、2015年、2016年と連続して問題となった日本プロ野球の野球賭博、声出し金銭問題などが発生しています。
このような問題は、インテグリティ(Integrity)の問題とされ、スポーツビジネス、スポーツマネジメントの主体であるスポーツ団体及びそのスポンサーなどのステークホルダーは、早急にDecision Making、Rule Making、Dispute Resolutionを行うことを求められます。
インテグリティをめぐる問題の悩ましい課題
しかしながら、このインテグリティをめぐる問題は、従前のスポーツ法が対象としてきた、法律上の合法違法という問題ではありません。もちろん行為の類型においては、ドーピングのように刑罰法規の対象になっている国もあることも事実ですが、刑法の謙抑性の観点から対象になっているのは一部の行為に限られています。スポーツ界で、上記の問題に対応する際には、このような刑罰法規だけでは不十分であり、スポーツ界において独自のDecision Making、Rule Making、Dispute Resolutionが求められることになります。
そして、このようなスポーツ界独自のDecision Making、Rule Making、Dispute Resolutionにあたっては、法律上の合法違法という基準もありません。また法律上の問題ではないとなると、基本的に国家裁判所は関与せず、裁判例などもあまり存在しません。したがって、インテグリティの問題を検討する場合に、依拠すべき基準をどこに求めるのか、利益衡量の前例がまだまだ少ない、というところに悩ましい課題が存在しています。
そこで、スポーツ法学の立場としては、このようなスポーツ界独自のDecision Making、Rule Making、Dispute Resolutionにおける判断の前提となる、インテグリティとは何なのか、インテグリティによって達成すべき具体的な価値を明確にする必要があります。
インテグリティとは何か
(1) インテグリティが問題とされる事象
インテグリティ概念の明確化にあたり、既に発生している、インテグリティの問題とされる事象の整理として、JSC
(2013)は、①ドーピング、②八百長・不正操作、③チート行為、④ハラスメント、⑤人種差別、⑥贈収賄、⑦自治に対する外部からの圧力、⑧ガバナンスの欠如をあげています。
ただ、インテグリティ概念自体に関する先行研究はまだまだ少なく、日本スポーツ振興センター(JSC)のスポーツ・インテグリティ・ユニットは、辞書的な意味、海外の研究機関などの調査報告を総合検討し、インテグリティを「スポーツが様々な脅威により欠けるところなく、価値ある高潔な状態」と定義していますが、この「高潔」という言葉自体があいまいな用語であるため、スポーツ界における具体的なDecision Making、Rule Making、Dispute Resolutionにおいて、いくつか混乱が見られます。
(2) インテグリティで何を実現すべきか~スポーツの現代的価値
このようなインテグリティの問題とされる事象については今をもってもなお流動的ですが、インテグリティを実現し、何を目指すべきかという議論に関し、早稲田大学の友添教授(2015)は、インテグリティの実現のために、「卓越性の相互追求としてのスポーツ観に立つ時、カネや名誉や威信、スポーツにまつわる様々な欲望はスポーツにとっての外在的価値であり、卓越性の相互追求としての結果としての勝利さえもが外在的価値になる」、「私たちがいま教えなければならないことは、「勝つ」ことではなく、スポーツの内在的価値とスポーツの徳なのである」と述べられ、これまでスポーツの価値とされてきた勝利を上回る存在の価値としてインテグリティの存在を指摘しています。
インテグリティを実現し、何を目指すべきか、インテグリティ概念を統一的に、かつ明快に示すことはまだまだ難しいのですが、筆者は、昨今のスポーツ界で国を問わず問題となっている事象の共通項、現代社会においてスポーツが求められる価値から、最も重要な要素を抽出するのであれば、スポーツに関わるものの平等、公平や公正ではないか、と考えています。
すなわち、現代における過度な勝利至上主義や商業主義、政治的利用の中で、勝利のために他者を排除すること、勝利のためにドーピング、八百長で結果をコントロールすることや、スポーツ上の指導者などの地位に基づいた暴力その他ハラスメント、金銭目的や自己の地位保全のみを考えた贈収賄その他アンガバナンスなどにより、本来スポーツそのものが有する、参加しようとする者の平等、参加者間の公平、結果の予測不可能性という公正などが失われているのであり、現代においてインテグリティを実現し、目指すべきは、本来スポーツが有していた平等、公平や公正と考えられるのです。
スポーツ基本法第2条(基本理念)の第8 項には、「スポーツは、スポーツを行う者に対し、不当に差別的取扱いをせず、また、スポーツに関するあらゆる活動を公正かつ適切に実施することを旨として、・・・(中略)・・・、スポーツに対する国民の幅広い理解及び支援が得られるよう推進されなければならない。」と定めています。これこそスポーツの現代的価値が、スポーツの平等、公平や公正にあることの表れともいえるでしょう。
そして、スポーツが平等、公平や公正を体現する存在として、人間社会において必要とされ続けるためには、スポーツに関わる全ての場面について平等、公平、公正であることを示し続けなければならないため、それは単にスポーツのプレー(そのルールとしての平等、公平や公正) だけではなく、スポーツ指導やスポーツ組織運営の場面などでも平等、公平や公正が求められている、と考えられるのです。
おわりに
インテグリティの問題とされる事象は今後も拡大するでしょう。このような中で、スポーツビジネスやスポーツマネジメントの主体であるスポーツ団体及びそのスポンサーなどのステークホルダーがDecision Making、Rule Making、Dispute Resolutionを行っていくためには、インテグリティで達成すべき本質的価値、特に筆者が主張するスポーツの平等、公平や公正を十分に認識し、またアスリートの人権などへの配慮など極めて高度なバランス感覚をもって対応していかなければならないのです。
▶勝田隆 2015「スポーツ・インテグリティ」とは何か-インテグリティをめぐるスポーツ界の現状から-」 創文企画 「現代スポーツ評論」第32号
▶勝田隆・友添秀則・竹村瑞穂・佐々木康 2016「スポーツ・インテグリティ保護・強化への教育的取り組みに関する研究 スポーツ関係組織・機関の取り組みに着目して」日本スポーツ教育学会「スポーツ教育学研究」Vol.36(2016)No.2
▶菊幸一 2013「競技スポーツにおけるIntegrityとは何か-八百長、無気力試合とフェアネス-」日本スポーツ法学会年報第20 号
(2013)「法的観点から見た競技スポーツのIntegrity-八百長、無気力試合とその対策を中心に-」
▶スポーツ団体のガバナンスに関する協力者会議 2014 中央競技団体のガバナンスの確立、強化に関する調査研究「NF組織運営におけるフェアプレーガイドライン〜NFのガバナンス強化に向けて〜」
▶友添秀則 2015 「スポーツの正義を保つために-スポーツのインテグリティを求めて-」 創文企画 「現代スポーツ評論」第32号
▶Adelaide 2011 “Integrity in Sport Literature Review”
▶International Centre for Sport Security (ICSS) 2014 “Guiding Principles for Protecting the Integrity of Sports Competitions”
▶National Integrity of Sports Unit (NISU) 2013 “Under- standing the Threat to the Integrity of Australian Sport”
▶Oxford Research 2010 “Examination of the Threats to the Integrity of Sports”