スポーツ産業学研究第31巻第3号
【原著論文】
「途上国における障害者スポーツ政策の形成過程 : マレーシアを事例として」
遠藤 華英(同志社大学スポーツ健康科学部) 他2名共著
JSTAGE
「新たなスポーツ参加サービスに対する消費者受容
-スポーツ指導スキルシェアリングを対象とした技術受容モデルの援用-」
藤岡 成美(追手門学院大学社会学部社会学科) 他3名共著
JSTAGE
「新型コロナウイルス感染症感染拡大に起因するリーグ戦休止・中止がプロバスケットボール選手に与えた影響に関する研究」
神田 れいみ(慶應義塾大学大学院健康マネジメント研究科) 他1名共著
JSTAGE
「ネパール山岳児童の身体能力特性-疾走・跳躍能力を中心に-」
得居 雅人(九州共立大学) 他1名共著
JSTAGE
「運動部活動顧問教員アイデンティティ尺度の作成-基本的属性間による比較検討-」
八尋 風太(九州大学大学院人間環境学府) 他4名共著
JSTAGE
【研究ノート】
「学生アスリートにおけるスポーツ・ライフ・バランスとメンタルヘルス : 入試経路による比較」
荒井 弘和(法政大学文学) 他4名共著
JSTAGE
「日本人プロサッカー選手の海外リーグ定着の要因-ドイツ・ブンデスリーガに在籍した選手の事例から-」
長澤 和輝(早稲田大学大学院スポーツ科学研究科) 他3名共著
JSTAGE
「江戸のスポーツ産業に関する研究-近世日本のスポーツ産業史研究序説-」
谷釜 尋徳(東洋大学法学部)
JSTAGE
【フォーラム】
「東京2020大会の開催延期決定直後における大会開催に対する東京都民の認知」
荒井 弘和(法政大学文学部) 他3名共著
JSTAGE
【レイ・サマリー】
途上国における障害者スポーツ政策の形成過程:マレーシアを事例として
遠藤華英
同志社大学スポーツ健康科学部
近年,先進国を中心に,障害者スポーツと健常者スポーツを政策的に一元化する事例が増えている。このような障害者スポーツのスポーツ施策化は,途上国と位置付けられる国においても予兆がみられる。先進国における障害者スポーツの政策的な位置づけ変容は,パラリンピックをはじめとする障害者スポーツ競技大会の国際的認知度向上,国内における障害者スポーツのエリートスポーツ化,国内外における障害者の権利向上を巡る法制度や議論の進展などが挙げられている.一方,社会経済的な障壁が相対的に高い途上国において障害者スポーツのスポーツ施策化が導入される背景には,先進諸国とは異なる特有の事情があることが推察されるが ,どのような要因が関係しているのかについては検証されていない.
そこで本研究は,障害者スポーツが福祉政策から,スポーツ政策として統括・推進される政策的変容に着目し,2006年に障害者スポーツが福祉政策からスポーツ政策の所管省庁に移管された経緯があるマレーシアを研究対象として,その移管プロセスに影響を与えた要因を明らかにすることを目的とした。
本研究の結果,パラリンピックを中心とした障害者スポーツの高度化というマレーシア国外の動向と,国際競技力向上政策への充実,障害者政策の制度変化というマレーシア国内の動向に影響を受けながら,障害者スポーツの国際競技大会の開催決定を契機に障害者スポーツ選手の競技環境改善を目指したスポーツ政策への合流が図られるようなったことが明らかになった.また,本研究事例では障害者の権利向上に関する全般的な活動を推進するNGOが,スポーツ参加も障害者が有する人権の一つとして位置づけることで,一国内の法整備を進めたことがわかり,こうした障害者権利向上運動を推進する組織と,障害者スポーツ競技団体間がともに抱える障害を巡る社会課題の認識が相まって,障害者スポーツを振興する環境が作り出されることが明らかになった.
「新たなスポーツ参加サービスに対する消費者受容
-スポーツ指導スキルシェアリングを対象とした技術受容モデルの援用-」
藤岡成美
今回ご紹介する拙稿は「新たなスポーツ参加サービスに対する消費者受容―スポーツ指導スキルシェアリングを対象とした技術受容モデルの援用―」(スポーツ産業学研究, Vol.31, No.3, 291-305.)です.
本研究のテーマは「人々がスポーツ参加のための新しいサービスを受け容れる要因は何か」です.本研究では特にテクノロジーを用いた新たなサービスに着目し,「スポーツ指導スキルシェアリング(Sport Coaching Skill Sharing: SCSS)」の受容を検討しました.SCSSは,オンラインプラットフォームを通じて指導者と利用者をマッチングするサービスを指します.問いを明らかにするため,10個の仮説を立て,インターネット調査会社の登録モニタを対象に調査を実施しました.
仮説を検証したところ,SCSSを利用したいという消費者の意向(利用意図)には,「スポーツレッスンの検索・受講にSCSSという仕組みが役立つ」と考えること(有用性)や,「SCSSを利用するのは簡単だ」と感じること(使いやすさ)が重要であるという結果が明らかとなりました.他にも,「新しい物事に対する反応や採用が早いかどうか」という性格(個人の革新性)も関係していることが分かりました.
今後,SCSSに限らずテクノロジーを活用したさまざまな新しいスポーツ参加サービスが現れると予想されます.本研究の結果を踏まえ,これらのサービスが普及する初期段階では,新しい物事に対する反応や採用が早い人々に対し,当該サービスの便利さや使いやすさを発信する必要があると考えられます.
新型コロナウイルス感染症感染拡大に起因するリーグ戦休止・中止がプロバスケットボール選手に与えた影響に関する研究
神田れいみ・佐野毅彦
2020年3月末,新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の感染拡大のため,プロバスケットボールのBリーグでは,シーズン途中でリーグ戦が打ち切られました.この研究は,未曽有の事態に直面したプロバスケットボール選手が何を考え,どのような状態にあったのかを明らかにすることを目的に実施されました.ほぼ一世紀前に経験したスペイン・インフルエンザによるパンデミックでは,発生時期が第一次世界大戦や関東大震災と重なったため,国内で十分な事後検証は行われれず,教訓は遺されませんでした.同じ轍を踏まないために,COVID-19収束後に備えた情報収集を意図して調査が実施されました.
日本バスケットボール選手会の協力を得て,2020年9月2日から18日にかけてオンライン調査を実施し,297人のうち114人から回答を得て,108人(B1リーグ:13チーム58人,B2リーグ:16チーム50人)を解析対象としました.
この論文の主たるテーマは選手の心理的ストレスですが,シーズン中止に関する選手の見解とリーグ機構から選手への情報伝達に対する選手の評価についての調査結果も報告されています.以下に概要を記します.
まず,シーズン中止に関する選手の見解について.「2019-20シーズンが中止となることを知ったとき,あなたは率直にどう思いましたか」という質問に対する回答は,「中止すべきだと思った」98人(91%),「無観客で再開すべきだと思った」7人(6%),「入場制限して再開すべきだと思った」3人(3%),「入場制限せず再開すべきだと思った」0人(0%)でした.シーズン中止は選手の総意であったことが示唆されます.
次にリーグ機構から選手への情報伝達に対する選手の評価について.混乱期こそ意思疎通は重要であり,「リーグ戦の休止から中止までの期間中,リーグからの情報等は適切に伝達されていましたか」という質問を設け,5段階(1:そう思わない,5:そう思う)での回答を求めました.結果は,肯定的評価(4,5点)が54人(50%),否定的評価(1,2点)が22人(20%),肯定も否定もしない評価(3点)が32人(30%)でした.選手間に不満が蔓延していたとはいえないことが示唆され,年齢や所属チーム,出場実績によって回答に偏りがないことも確認されました.自由記述には説明不足を訴える意見が見られましたが,不足していたのは情報の質ではなく量,すなわち頻度にあったと推察されます.蚊帳の外に置かれてはいないという認識を選手が持てるよう,時には「進展はない」という情報を共有することも重要だと考えられます.なお,選手への情報提供は所属チームを介して行なわれますが,本調査では,不満の原因がリーグ機構とチームのどちらにあるのか,判別はできません.
最後に主たるテーマである選手の心理的ストレスについて.COVID-19の影響によるうつや不安障害が疑われる男子プロサッカー選手が一定数存在することが海外の研究で報告されていたことから,Bリーグ選手のメンタルヘルスの状態をThe Kessler 6-Item Psychological Distress Scale(K6)日本語版で測定することとしました.K6は6項目・5件法で測定する尺度で,スコアが高いほどストレス水準が高く,日本人の場合,5点以上で気分・不安障害が疑われるとされています.調査はリーグ戦中止からおよそ6ヶ月経過後に実施されたため,リーグ戦休止期間と中止後6ヶ月の2時点でのメンタルヘルス状態について回答を求めました.6ヶ月前を振り返っての回答については,未曽有の事態に直面したときの記憶は鮮明であり,信頼性が著しく損われることはないとみなしました.
結果は,リーグ戦休止期間では,過半数を超える56人(52%)に心理的有害ストレスが疑われました.また,小規模チームに多い傾向にありました.シーズン中止から6ヶ月経過した時点でも2割を超える23人(21%)に有害ストレスが疑われました.K6は自己申告式のスクリーニング尺度であり,専門医による診断結果と比べて信頼性が劣ることは否定できませんが,COVID-19が選手に与えた負の影響は甚大であったことが示唆されます.
本研究の結果から,競技を問わずプロスポーツ選手のメンタルケアを目的とする恒久的な相談窓口の開設が推奨されます.平常時でもメンタルヘルス上の問題を抱えるエリート選手は一定の比率で存在することが海外の研究で報告されています.COVID-19をきっかけに,プロ選手は強靱な肉体と精神の持ち主であるという幻想を払拭し,気分障害や不安障害は心の弱さに起因するものではなく,身体的な外傷や障害と同様に心理的障害にも適切な対処が必要である,このような認識が広く共有される必要があるのではないでしょうか.
ネパール山岳児童の身体能力特性―疾走・跳躍能力を中心に―
得居 雅人(九州共立大学),中尾 武平(九州産業大学)
【目的】近代化以前の生活が残っているネパール国の山岳農村の環境は,子供の身体能力や疾走・跳躍能力に影響を与えると考えられる.本研究は,ネパール山岳農村に住む児童の身体能力について,特に疾走・跳躍能力に着目して,その特性を明らかにすることを目的とした.
【方法】11歳の男子児童13名が研究に参加した.身長,体重,握力,および立ち幅跳び(SLJ)を,新体力テストの実施要領に従って測定した.除脂肪量(FFM)と脂肪量(FM)を,熟練した検者が測定した皮下脂肪厚から算出した.20m走をストップウォッチによって測定し,横方向から撮影したビデオ映像(1/300fps)から,接地タイプを前足部接地(FFS),中足部接地(MFS),後足部接地(RFS)に分類した.5回連続リバウンドジャンプ(5RJ)では,マットスィッチにより滞空時間と接地時間(RJ-c)を測定し,跳躍高(RJ-h)とリバウンドジャンプ指数(RJ index, RJ-h / RJ-c)を算出した.5RJの前には,できるだけ短い接地時間で高くジャンプするよう指示し,数回練習させた.20m走と5RJは,共に裸足で試技を行わせた.
【結果・考察】ネパール山岳児童の形態と運動能力を同年齢の日本人の平均値と比較すると,身長(p<0.001),体重(p<0.001),握力(p<0.001),およびSLJ(p<0.05)の全てにおいて,両者の間には有意差が認められた.この差は,栄養状態や運動能力の向上につながる身体活動の違いに起因するものと推察された.形態と運動能力の関係において,握力は体重およびFFMとの間に有意な相関関係を認めたが(p<0.01),FMとの関係は有意ではなく除脂肪体重の大きさの重要性が示された.SLJはFMとの間に有意な負の相関関係を認め(p<0.05),脂肪量の少なさの重要性が示された.一方,20m走は形態との間に有意な関係を認めなかった.5RJの各指数,SLJ,および20m走の間の関係において, RJ-indexはRJ-hとの間に有意な相関を認めたが(p<0.01),RJ-cとの関係は有意でなかく,RJ-cとRJ-hの関係も有意ではなかった.RJ-hは,SLJとの間に有意な相関を認めたが(p<0.05),20mとは有意な関係ではなかった.RJ-indexは,接地時間を短縮する能力と高く跳躍する能力の両者により構成されている.ネパール児童においては,大きなパワーを発揮し高い跳躍高を達成する能力に重点が置かれた身体能力が形成されていると推察された.20m疾走中の映像から分類された接地タイプは, FFSが6名,MFSが2名,RFSが5名であった.FFSとMFSは,足の前部で設置する5RJと同様にStretch-Shortening-Cycle(SSC)を利用しやすい接地タイプであるため,8名を一つのグループとし(F・MFS),5名のRFSと疾走・跳躍能力を比較した.F・MFSでは,RJ-indexおよびRJ-hは高値を,RJ-cは低値を示す傾向が見られた.また,F・MFSは,SLJでは高値を,20m走では低値を示す傾向が見られた.これらの結果は統計的に有意ではなかったが,F・MFSは,短い接地時間で大きなパワーを発揮することにより,高い疾走・跳躍能力を獲得している可能性が示唆された.
【結論】本研究は,ネパール山岳農村に住む児童の身体能力について,特に疾走・跳躍能力に着目してその特性を明らかにすることを目的に身体能力を調査し,以下の結果を得た.ネパール山岳農村児童の身長,体重,握力,およびSLJの測定値は,同年代の日本人より著しく低い値を示した.形態と運動能力の関係において,握力と体重およびFFMは正の,SLJとFMは負の相関関係が示された.RJ-indexはRJ-hとの間に有意な相関関係が認められた.20m疾走中の接地タイプを分類すると,FFS:6名,MFS:2名,RFS:5名であり,FFSとMFSはRFSと比較して疾走・跳躍能力が有意ではないが優れている傾向を示した.ネパール山岳地域の環境の身体能力への影響について,さらに詳細で継続的な調査が必要であろう.
「運動部活動顧問教員アイデンティティ尺度の作成-基本的属性間による比較検討-」
八尋風太
本研究は職業の中での自分らしさである職業的アイデンティティに着目している.具体的に職業的アイデンティティとは,自分の仕事に誇りを持っているか,自分の仕事は自らの能力を活かせているか,あるいは働くうえでの目標が定まっているかといったことが挙げられる.このような職業的アイデンティティを高く持つことは,職業内での成長や精神的健康状態と関係性があることが明らかにされている.
一方,近年働き方が問題視されている運動部活動を担当する顧問教員の職業的アイデンティティを測定するための尺度は開発されておらず,働き方の解決には未だに至っていない.
そこで,本研究では授業やクラス内での教育における教員としてのアイデンティティと,部活動の指導者としてのアイデンティティに着目し尺度を作成することと,顧問教員の特徴によってアイデンティティに差が生じるのかを検討することを目的とした.
本研究の結果,概ね正確に測定することができる「運動部活動顧問教員アイデンティティ尺度」を作成することができた.また,保健体育を担当する教員や過去に競技経験がある競技を指導している教員は,指導者としてのアイデンティティが高いことが明らかになった.さらに,教員歴が20年を超えると退職を目前に教育活動が低下し,それに伴って教員としてのアイデンティティも低いことが示された.
今後は,本研究で作成された尺度を使用し,顧問教員の精神的健康状態などとの関係性を調べる必要が考えられる.
学生アスリートにおけるスポーツ・ライフ・バランスとメンタルヘルス:入試経路による比較
荒井弘和
アスリートは,競技生活だけでなく,競技以外の生活も重視することが求められます.そこで私たちの研究室では,「スポーツ・ライフ・バランス」という考え方を提唱しています.スポーツ・ライフ・バランスとは,「競技生活と競技以外の生活とのバランス」のことで,仕事と生活のバランスを表す「ワーク・ライフ・バランス」をスポーツに適用した考え方です.
また昨今,アスリートのメンタルヘルスへの注目が高まっています.競技力の高いトップアスリートの30~40%が,不安や抑うつの症状を示したというデータもあります.このことから,学生アスリートにおけるトップアスリートと考えられる,スポーツ推薦入学者のメンタルヘルスを検討する必要がわかります.
この研究では,スポーツ推薦入試によって大学に入学した学生アスリートと,そうでない学生アスリートにおいて,スポーツ・ライフ・バランスとメンタルヘルスに違いがあるかどうか比較しました.体育会運動部に所属している大学1年生のアスリート168名 (男性136名,女性32名) に,スポーツ・ライフ・バランス (時間的側面と精神的側面のそれぞれについての現状と理想),メンタルヘルス (主観的幸福度,主観的幸福感,心理的ストレス,運動部活動に対する総括的適応感) への回答を求めました.
分析の結果,時間のバランスの理想と現実のギャップはスポーツ推薦入学者の方が小さいことがわかりました.そして,心理的ストレスを除くメンタルヘルスの得点は,スポーツ推薦入学者の方が好ましくないと明らかとなりました.
学生アスリートがメンタルサポートを利用する際,サポートに対する偏見や,サポートを利用することが一般的という共通認識がないなど,様々な障壁があると言われます.大学関係者には,学生アスリート,とりわけスポーツ推薦入学者がメンタルサポートを積極的に利用できる仕組みを作ることが期待されます.
本研究で扱ったスポーツ・ライフ・バランスの典拠であるワーク・ライフ・バランスに関連して,昨今「ワーク・ライフ・インテグレーション」という考え方が示されています.ワーク・ライフ・インテグレーションとは,経済同友会によると「会社における働き方と個人の生活を,柔軟に,かつ高い次元で統合し,相互を流動的に運営することによって相乗効果を発揮し,生産性や成長拡大を実現するとともに,生活の質を上げ,充実感と幸福感を得ることを目指すもの」です.
これをスポーツ・ライフ・バランスに置き換えると,スポーツ・ライフ・インテグレーションという考え方が成立します.競技生活と競技以外の生活を重ね合わせ,統合してゆく考え方です.このスポーツ・ライフ・インテグレーションこそ,現代の学生アスリートが目指すべき文武両道・文武不岐ではないかと,私たちは考えています.それは,競技に取り組む者が,競技に取り組む中で積んだ経験を競技以外の人生にも活かし,競技以外の生活で体験したことを競技にも活かす考え方です.スポーツ・ライフ・バランスという概念が発展的に消失し,スポーツ・ライフ・インテグレーションという概念が多くの学生アスリートによって体現されることを期待しています.
江戸のスポーツ産業に関する研究
―近世日本のスポーツ産業史研究序説―
谷釜 尋徳(東洋大学)
本論文は、近世における江戸のスポーツ産業に着目し、時代の流れに応じてどのような産業が、どのような特徴をもって発展したのかを時系列で考察したものである。以下、本論文の概要に若干の所見を交えて整理したい。
17世紀には、江戸のスポーツ産業のターゲットは政権を担う武士層だった。江戸の武士は勧進相撲や通し矢競技に熱中したが、そのようなスポーツはいずれも上方の影響を強く受けていた。中世以来の伝統が、スポーツの世界にも色濃く残っていた時代である。
17世紀末になると、江戸庶民の急激な人口増加や経済的な台頭によって、庶民をターゲットにした各種の都市型スポーツ産業が興隆した。スポーツ用具の製造販売業が盛んになり、勧進相撲や楊弓などのスポーツ空間産業も成長を遂げる。
19世紀に入り爛熟した庶民文化が興ると、江戸のスポーツ産業は成熟期を迎える。江戸の膨大な人口や庶民層の経済力の向上、そして持続的な平和社会の実現が、都市型スポーツ産業のさらなる発展を後押しした。都市の貨幣経済が各地の農村にも浸透すると、旅行文化の成熟という時代背景も手伝って、勧進相撲の巡業をはじめ江戸の都市型スポーツ産業の波は地方にも及んでいく。
明治期以降の日本のスポーツ産業は、スポーツ用品産業、スポーツサービス・情報産業、スポーツ空間・施設産業の領域をベースに発展してきたとされるが、すでに近世の江戸にはその要素が出揃っていたといえよう。近代スポーツの移入を待つことなく、日本の江戸という都市には、広範なスポーツ産業の世界が形成されていたのである。ただし、これを下敷きに近代以降の日本のスポーツ産業が連続性をもって発展していったのかどうかについては、なお一層の歴史的な検証が必要となろう。
本論文は、近世の江戸を対象に、社会・経済的な背景を踏まえながら各々の時代に展開したスポーツ産業の特徴を明らかにした序説的な研究である。今後は、対象となる時代や地域を絞り込み、個々のスポーツ産業を掘り下げて考察するような個別研究が構想されねばならない。
東京2020大会の開催延期決定直後における大会開催に対する東京都民の認知
荒井弘和
2020年3月24日,新型コロナウイルス感染症の感染拡大により,東京2020大会の開催延期が決定されました.その後2020年3月30日に,延期後の開催時期が予定されていた時期の1年後になることが決まりました.
本調査では,東京2020大会の開催都市である東京都に住む一般市民を対象に,東京2020大会の延期が決定した直後における,東京2020大会の開催に対する認知について検討しました.
調査は,2,011名 (男性975名・女性1,026名・その他1名・無回答9名,平均年齢±SD=44.19±14.08歳,欠損1名) を対象に,2020年4月26日―6月2日の間に,インターネット経由で行われました.調査参加者には,東京2020大会について,以下の6つの選択肢のうちから1つを選んでもらいました.
(1)「予定通りの体制で,そのままの日程で実施すべき」(実施群)
(2)「無観客など感染を防ぐ体制を整えたうえで,そのままの日程で実施すべき」(無観客実施群)
(3)「予定通りの体制で,延期して実施すべき」(延期群)
(4)「無観客など感染を防ぐ体制を整えたうえで,延期して実施すべき」(無観客延期群)
(5)「中止すべき」(中止群)
(6)「その他」
その結果,以下の結果が得られました.
・中止すべきと回答した者は、42.4% (男性42.0%,女性42.8%) であった。
・中止すべきという考えは、女性、もしくは、50代・60代の者に多かった。
・無観客などの体制を整備した上での開催を支持する回答は、27.6% (男性24.9%,女性30.3%) であった。
感染リスクを低減するための手法として,無観客という体制が一定の割合で支持されたと考えられます.しかし,仮に無観客での開催を視野に入れるとしても,アスリート自身,コーチ,およびスタッフが海外から多数入国することを考えれば,無観客であったとしても感染リスクが高まったり,感染が拡大したりする可能性は十分に考えられました.無観客で実施する場合には,無観客であっても生じうる感染に関連するリスクの存在をどのように市民に伝えるか,検討する必要があったと思います.
私はかねてより,コロナ禍においては「無観客開催すべき」と主張しており,「体育の科学」誌の2021年1月号においても,そのことを表明しました.そして,大会がほぼ無観客で実施することが決定されたのは,大会の開催直前のことでした.
そもそも,日常の練習だけでなく練習試合や予選の開催がままならない状況で,無観客だとしても,オリンピック・パラリンピックの理念を体現し,世界各国から選手が集うスポーツの祭典としてふさわしい大会が実施できるのかは不明瞭であったと言えるでしょう.
実際は,大規模なクラスターが発生することなく,東京2020大会は幕を閉じました.しかし,大会の有り様がオリンピック・パラリンピックのあるべき姿を体現できていたのかについては,一般市民が参画した上での総括が必要でしょう.