スタジアム・アリーナの経済効果推定を紐解く:回帰分析
スタジアム・アリーナの 経済効果推定を紐解く:回帰分析
中京大学スポーツ科学部 舟橋弘晃
スタジアムやアリーナの建設による経済効果は、メディアで数百億円規模の試算が報じられることが多いですが、スポーツ経済学の学術研究では、その影響はほとんどないとされています。本稿では、回帰分析を用いた経済効果の推定方法を解説し、メディア報道と学術的知見の間に存在する乖離の理由を論じます。
1. メディア報道と学術研究のギャップ
前回(25年1月号)では、産業連関表を用いたスタジアム・アリーナの経済効果推定について解説しました。
スタジアムやアリーナの建設計画では、経済波及効果の試算が注目されることが多く、メディアでも大きく取り上げられます。試算結果は数百億から数千億円規模にのぼることがあり、施設建設やプロスポーツ興行が地域経済に与える正の影響が強調されます。そして、これらの数値は公共投資の有効性を示す根拠としても活用されます。
一方で、スポーツ経済学の学術的知見を参照すると、これらの経済効果試算に対する印象は大きく変わります。例えば、舟橋ほか(2020)やBradbury et al.(2023)による包括的な文献レビューによれば、スタジアム・アリーナ整備が地域にもたらす経済的利益は、ゼロあるいは無視できるほど小さいと結論付けられています。この知見に基づき、経済学者の間では政府によるプロスポーツ施設への公費負担は「良い投資ではない」という、ほぼ一致した見解が形成されています。少し古いデータですが、2005年のアメリカ経済学会会員を対象とした調査では、なんと85%の回答者がプロスポーツチームへの地方政府の補助金廃止に賛成し、反対はわずか5%でした(Whaples, 2006)。
このような学術的見解と一般的な経済効果予測の間に生じる乖離は、なぜ発生するのでしょうか。本稿では、スタジアム・アリーナの経済効果について、スポーツ経済学者がどのようにアプローチするのか、主に回帰分析を用いた実証的研究を中心に解説したいと思います。
また日本のデータを用いた簡単な分析結果もプレプリント的な形式で紹介します。前号と併せて、読んでもらえると、このテーマについての理解がより一層深まると思います。
2. スポーツ経済学のアプローチ:回帰分析
スタジアム整備に経済効果があったどうかは、スタジアム整備を行った場合と行わなかった場合の当該地域の経済指標(所得など)の違いを比べればわかります。しかし、実際にスタジアム整備が行われると、整備しなかった場合のデータは手に入れることができません。このため、「もしスタジアムが整備されていなかったらどうなっていたか」という反実仮想を考える必要があります。
スポーツ経済学では、この問題に対してパネルデータを用いた回帰分析を行います。パネルデータとは、複数の経済主体(例:地方自治体)を長期間観察したデータのことです。スタジアム整備の経済効果を分析する場合、スタジアムを新設した地域を「介入グループ」、整備しなかった地域を「比較グループ」として設定し、両者の経済指標を整備前後で比較します。ここで、整備しなかった地域のデータが、スタジアムが整備されなかった場合を予測する反実仮想として利用されます。
そして、地域経済に影響を与える他の要因を考慮しながら、時系列データを使って比較することで、疑似実験のような状況を構築します。これにより、スタジアム整備が地域経済に与えた影響を因果推論することが可能となります。以下では、このテーマについて、長期間にわたる米国でのスタジアム・アリーナ整備の平均処置効果を推定したCoates(2023)の分析について解説します。
Coates (2023) は、1969年から2011年にかけての米国の366の大都市統計地域(MSA)注1を対象に、5大プロリーグ(MLB、MLS、NBA、NFL、NHL)のスタジアム・アリーナの整備が地域経済に与える影響を分析しました。分析対象である366のMSAのうち、46が期間内にプロスポーツチームのフランチャイズを保有していました。スタジアム・アリーナの経済効果を検証するため、以下の回帰式を用います。
ここでyitは、地域iのt年における経済指標を示し、一人あたりの所得、給与・賃金支払い総額、雇用者一人あたりの賃金が採用されています。αiは、固定効果と呼ばれ、データとして直接観測できない地域 固有の時間を通じて変化しない要因を示します。yit-1は、被説明変数の1期前の値(ラグ変数)です。αiとyit-1は、スタジアム・アリーナ整備以外の要因による経済指標の変動を捉えるためにモデルに組み入れられています。産業構造、地理的要因や気候などの地域固有の要因は、時間不変または緩やかに変化するため、これらを制御する目的でMSA固定効果(αi)とラグ変数(yit-1)を用いています。
Xjitは人口変化率とスタジアム・アリーナ変数をはじめとする各種のスポーツ環境変数を含みます注2。スタジアム・アリーナ変数は、5大リーグの施設開業から10年目を1とするダミー変数です。このスタジアム・アリーナ変数が、地域の経済に与える影響を分析する上で関心のある説明変数です。t1は各地域固有の時間トレンドを示し、μtは地域間で一定でありながら時間とともに変化する要素をまとめた時間効果を表します。t1とμtにより、地域全体と地域固有の経済成長や景気変動の要因をコントロールしています。εitは誤差です。
初学者向けに言えば、この分析は、他の要因が一定である場合に、5大リーグのスタジアム・アリーナが開業してから10年以内である状況と、それ以外の状況における地域の所得や賃金を比較しています。スタジアム・アリーナ変数の推定係数βjがゼロでない場合、スタジアム・アリーナの開業が地域の所得・賃金に有意な影響を与えていると判断されます。分析の結果を表1に示しています。3つのモデルにおける計15のスタジアム・アリーナ整備変数のうち、4つが10%水準以下で統計的に有意となっています。しかし、これら4つはいずれも負の符号を持ち、そのうち3つはNFLスタジアムの建設に関連しています。統計的有意性を考慮せず、推定値のみを見ると、9つの変数が負の符号を示しています。
これらの結果から、スタジアム・アリーナ整備が地域経済を豊かにする可能性は低いと結論づけられます。
本論文内では、プロスポーツクラブの存在、誘致・撤退、さらにはそれらを総合的に考慮したスポーツ環境全体の影響についても実証分析されています。より詳細な議論に関心を持った読者の方々は、論文を直接参照ください。
注1 大都市統計地域(MSA)は、アメリカ合衆国行政管理予算局によって定義された統計上の地理的単位です。日本でいうと、総務省統計局が定義する「大都市圏」に近い概念です。
注2 実際の論文では、プロスポーツクラブの存在や誘致・撤退、スタジアムの収容人数など、多岐にわたる変数が扱われています。本稿では、議論の主旨に沿って、各リーグのスタジアム・アリーナ整備に関連する変数のみに焦点を当てています。
3. 日本のスタジアム整備の経済効果分析:2001年開業スタジアムを用いて
上記の論文は、米国のデータに基づく分析を示しており、特に大都市圏という広域な地域に焦点を当てています。このため、分析結果を日本の状況に直接適用することは困難であり、外的妥当性に限界があります。そこで本稿では、日本の自治体レベルのデータを用いて同様の分析を試みます。
日本では、2002 FIFAワールドカップの誘致・開催などを契機に、2001年に9つのスタジアムが新たに開業しました注3。複数のスタジアムが同時期に整備されたことにより、当該地域に共通の外的ショックが加えられたとみなすことができます。このタイミングを利用し、スタジアム整備が行われた自治体(介入グループ)と、それ以外の自治体(比較グループ)を時系列で比較することで、スタジアム整備が地域経済に与える影響を明らかにすることが可能となります。
分析対象となる自治体は2001年に新設または完全リニューアルされたスタジアムが所在する9市に加え、政令指定都市・中核市の計50自治体としました。分析対象の期間は、1998年から2003年の6年間とし、回帰モデルは(1)式と同様の形式で設定します。従属変数には納税義務者一人当たりの課税対象所得額を使用し、データは総務省「市町村税課税状況等の調」から取得しています。独立変数には、2001年にスタジアム整備が行われたことを示すダミー変数を用い、当該自治体において2001年以降に1をとるように設定しています。
推定結果は表2の通りです。モデル1はスタジアム変数のみで回帰分析を行ったもの、モデル2はコントロール変数や地域・時間の固定効果を加えたもの、モデル3はさらに地域固有の時間トレンドを加えたものです。モデル4と5は、分析対象期間の前後3年を含む1995年から2005年の間に、J1基準スタジアムやプロ野球本拠地球場を整備した自治体を除外し、モデル2および3を再分析したものです。近い時期に開業した、あるいは開業予定の他のスタジアム整備の影響を排除することで、2001年のスタジアム整備の純粋な効果測定を目指したモデルです。
2001年開業スタジアムの係数は、いずれのモデルにおいても正の符号を示しましたが、統計的には有意ではありませんでした。この分析は最小限のデータセットを用いた試行的なものであり、さらなる検証が必要です。しかし、複数の条件下で一貫して「経済効果があるとはいえない」という結果が得られています。現段階では、2001年に開業したスタジアムは、Coates(2023)や関連分野の多くの知見と同様に、顕著な経済効果を発揮したとは言い難いと言えます。
4.乖離はなぜ生まれるのか?
一方では、経済効果レポートで数百億円の経済効果が報告され、他方では学術研究で「効果があるとはいえない」とされています。この相違はどこから生まれるのでしょうか。いくつかのポイントを絞って、考察したいと思います。
まず、最も重要なポイントは、測定している要素の違いです。回帰分析では、スタジアムが整備された場合(Y1)と整備されなかった場合(Y0)の地域経済への影響の差(Y1−Y0)を評価し、スタジアムがもたらす正味の効果(net effect)に焦点を当てます。一方、産業連関表を用いた経済効果試算では、前号でも解説した通り、スタジアムが整備された場合(Y1)の建設や運営が引き起こす直接的・間接的な生産誘発額の総和(gross effect)を報告しているケースがほとんどです。実は、違いは「ネット」なのか「グロス」なのかでほとんど説明がつくと思います。
次に、スタジアム・アリーナ整備が地域経済に与える影響額が単純に小さいという点も考えられます。例えば、著者が暮らす名古屋市のGDPは約14兆円です。仮に100億円の経済効果があったとしても、それはGDPの約0.1%に過ぎません。こうした影響は、経済の通常の変動に埋もれてしまい、統計的に検出することが難しくなる可能性があります。特に、分析ユニットが大都市圏であれば、影響はさらに小さくなり、検出は一層困難になるでしょう。Coates and Humphreys(2003)は、プロスポーツクラブやその施設建設の経済効果について「潮の満ち引きする大海に投げ込まれた小さな小石のようなものだ」(p.191)と表現しています。
最後にインセンティブの問題について触れておきます。事業の推進主体は、その有効性を裏付けるデータを求めるのは当然の流れです。そうした動機付けと、産業連関表を用いた試算が、さまざまな前提や期待に基づいた事前評価である点が相まって、経済効果が過大に見積もられる可能性は十分にあります。実際、私も経済効果試算を依頼されることがあります。その際には必ず、「ネット」の視点で試算をする重要性と、その結果として試算額が依頼者の想定よりも小さくなる可能性を伝えるようにしています。すると、多くの場合、依頼は取り下げられます。客観的評価よりも、事業正当化のための数字が求められているのでしょう。
では、公的資金をスタジアム・アリーナ整備に投じるべきではないのでしょうか。この問いに対する答えを考えるうえで、まず押さえておきたいのは、ここで議論しているのはあくまで「経済効果」に限られるという点です。つまり、市場取引を通じて測定できる影響のみを対象としており、スポーツの非市場価値は考慮されていません。
もし新スタジアム・アリーナの整備によって住民(納税者)の生活満足度が向上し、その価値を金銭換算した際に建設投資を上回る規模であると分れば、その投資には十分な意義があるでしょう。そもそも、公の施設は地方自治法にも定められているように、福祉の増進、すなわち住民の幸福や生活満足度の向上を目的として整備されるものです。(それにもかかわらず、経済波及効果によって事業の有効性が議論される現状には、違和感を覚えます。)だからこそ、経済効果の議論にとどまらず、スタジアム・アリーナの整備が住民の幸福度や生活満足度に与える影響を正しく評価する研究が求められます。非市場価値の推計方法や学術的エビデンスについては、別の機会に改めて解説したいと思います。
注3 2001年に開業したスタジアムは以下のとおりです(2025年2月現在の名称)。味の素スタジアム、エコパスタジアム、クラサスドーム大分、埼玉スタジアム2002、サンプロ アルウィン、大和ハウス プレミストドーム、デンカビッグスワンスタジアム、豊田スタジアム、ノエビアスタジアム神戸。
参考文献
Bradbury, J. C., et al. (2023). The impact of professional sports franchises and venues on local economies: A comprehensive survey. Journal of Economic Surveys, 37(4), 1389-1431.
Coates, D. (2023). Growth effects of sports franchises, stadiums, and arenas: 15 years later. In The Economic Impact of Sports Facilities, Franchises, and Events: Contributions in Honor of Robert Baade (pp. 59-87). Cham: Springer International Publishing.
Coates, D., & Humphreys, B. R. (2003). The effect of professional sports on earnings and employment in the services and retail sectors in US cities. Regional Science and Urban Economics, 33(2), 175-198.
舟橋弘晃, 他 (2020). スタジアム・アリーナの整備効果: 実証研究のシステマティック・マッピングレビュー. スポーツマネジメント研究, 12(2), 3-32.
Whaples, R. (2006). Do Economists Agree on Anything? Yes! Economists’ Voice, 3(9), 1-6.