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日本スポーツ産業学会 第9回冬季学術集会シンポジウム 「グローバリゼーションを超える日本型への再帰〜The Japan Modelの探究」

<EUにおけるスポーツ産業の視点から>
・佐伯夕利子(さえき ゆりこ)氏
現(4/1より)Villarreal FCスタッフ(ビジャレアルFC/スぺイン)
前(3/15退任)(公社)日本プロサッカーリーグ常勤理事
(公社)日本女子プロサッカーリーグ

<アジアにおけるスポーツ産業の視点から>
・是永大輔(これなが だいすけ)氏
Albirex Niigata Football Club (シンガポール) , Chairman
Albirex Niigata Barcelona, President
前アルビレックス新潟代表取締役社長

<アメリカにおけるスポーツ産業の視点から>
・河田剛 (かわた つよし)氏
Stanford University American Football, Coaching Staff (Offensive Quality Control Analyst)

<都市の創造における環境の視点から>
・青島啓太(あおしま けいた)氏
建築家
追手門学院大学基盤教育機構准教授 (博士 工学)
エチオピア国立メケレ大学遺産保存学科専任講師、Tago Architect Istanbul、
(株)バスクデザイン事務所取締役共同代表
<モデレーター>
・上田 滋夢
追手門学院大学社会学部教授

国外で活躍し、当地での確たる実績をお持ちになる方々と、国外から見た日本のスポーツの課題を御指摘いただきながら、現在の実績を確立された源ともいえる、我が国独自の強みを生かした「The Japan Model(日本型)」とは何かを模索する。

国外から見た日本のスポーツの課題と日本型の模索

上田 第9回の冬季学術集会シンポジウム「グローバリゼーションを超える日本型への再帰〜The Japan Modelの探究」という形で行いたいと思います。
グローバリゼーションの加速が予想を上回るものになっております。DX化や、コロナ禍も含めて、グローバリゼーションはさらに広がっている。このような現況において、我が国においては情報が国外のプラットホームへと集約されて、人々の価値観が、ある意味脱日本化しつつあるのではないか。例えば、政府の進める地域創生においても、人々がこれまでの価値観とは異なった価値観を保有し始めているため、多くの施策が試みられても、この価値観の相違がボトルネックとなっているのではないかとも思われます。
また、大きな意味でスポーツの価値を産み出すスポーツ産業においても同様なものが見られます。グローバリゼーションに基づくスポーツの価値の創出というのは国外の請負となって、我が国のスポーツ産業の発展からは乖離し、グローバリゼーションの一部としてのスポーツ産業の創出となってしまう可能性を抱かざるを得ない状況です。
そこで、本年度のシンポジウムでは国外で活躍され、外国人でありながらも当地での確たる実績をお持ちになる方々をパネラーとしてお呼びし、国外から見た日本のスポーツの課題を御指摘いただきながら、御自身が現在の実績を確立された源ともいえる、我が国独自の強みを生かして世界を席巻するThe Japan Model、日本型とは何かを模索していきたいと思います。
その際に問題提起としましては、今もありましたように第1番目がグローバリゼーションの欺瞞として、「本当にグローバリゼーションで皆が相互作用、世界規模に拡大して多様化が起こったのか。」実は、ある一部のプラットホームに集約されて、人々の価値観は西洋起源の価値観に包摂されているのではないか。
2番目の問題提起としては、少し過激に書きましたが、「日本はそんなにだめなのか?」例えば、オニツカタイガーとナイキ。現在の双日、日商岩井との物語もあり、なぜナイキは日本から学んだのか。
それから、『ジャパン・アズ・ナンバーワン』という1980年代。松下電器、キャノン、ソニー、そして鉄は国家なりという新日本製鐵があって、今は日本製鉄ですが。そして製造業、NEC、東芝、日立、三菱電機、富士通。1980年代は生産量を含めて、半導体産業の上から5つ全て日本が牛耳っていたわけです。今はもう皆様は御存じのように、半導体がなければ動けないというところをいつの間にか手放してしまった。
そして、もう1つはグローバリゼーションの主体として、商社ということで、日商岩井、現在は双日、三井物産、三菱商事、伊藤忠、それからその後は電通、そして博報堂。何かと何かを結びつけたり、製造業ではない形でグローバリゼーションの主体としている。
一方、イビチャ・オシムさん、ジーコさん、エディー・ジョーンズさん、ジェレミーさん、そしてホーバスさん。日本は脱日本化で、海外、海外、海外、なのに対して、この方々は外国人として日本化を推し進めた上で、それぞれが世界の第一線まで躍り出ている。外国人の方々のほうが日本化なんです。
本シンポジウムの論点としては、まず「海外におけるスポーツの特徴」「海外から見た日本のスポーツの課題」「日本独自の強みを生かして世界を席巻するThe Japan Modelとは何か」という形で、これから御紹介する皆様方にプレゼンテーションしていただき、その後、パネルディスカッションに移らせていただきたいと思います。
登壇者の御紹介です。まず初めに佐伯夕利子さん。「EUにおけるスポーツ産業の視点から」という形で、スペインに長くお住みになっている方です。よろしくお願いします。
佐伯 よろしくお願いします。
上田 それから、是永大輔さん。シンガポールから参加されて、パネラーとしてお呼びしました。「アジアにおけるスポーツ産業の視点から」という形です。是永さん、よろしくお願いします。
それから、河田剛さん。現在スタンフォード大学のアメリカンフットボールチームでコーチングスタッフ。正式にはオフェンシブ・クオリティ・コントロール・アナリストという形で「アメリカにおけるスポーツ産業の視点から」。河田さんはМBAを取られていてスポーツ産業という視点もお持ちだと思います。よろしくお願いいたします。
最後に青島啓太さん。建築家で、追手門学院大学の准教授をやられていて、以前はエチオピア国立メケレ大学遺産保存学部の教員をやられたり、数々の学術賞を取られたりということで「都市創造」という少しスポーツから離れた形で日本を御提案いただければと思っております。私がモデレーターをさせていただきます。
まず一番最初は、佐伯さんにプレゼンをお願いしたいと思います。

<EUにおけるスポーツ産業の視点から>
・佐伯夕利子(さえき ゆりこ)氏

クラブの社会的責任は社会の縮図としてのコミュニティー形成

佐伯 私はヨーロッパのスポーツという視点からお話をしますが、その前に私のバックグラウンド、コンテキストを少し御理解いただきながら進めていくことで、御理解を深めていただけるかなと思っております。
1973年、イランのテヘランで生まれました。育ちも台湾や、18でスペインに来て30年間、今でもスペインを拠点としてスポーツ界で活動させていただいております。どのような立ち位置かと言うと、そもそもは指導者としてサッカー界でキャリアを積ませていただいてきました。スペインの様々なカテゴリー、様々なクラブで指導させていただきながら指導者として上を目指してきたという背景です。よりよい指導者になりたいとやってまいりました。フットボール界には男子と女子というカテゴリー分けがあり、合計すると男子サッカーのほうが指導歴は長いですが、女子チームも率いてきました。
私は指導者として進んでいきたかったのですが、少しずつ周りから求められるものが変わってきました。
2007年バレンシアの強化執行部という移籍選手との交渉をつかさどる部隊に、その後、ビジャレアルというヨーロッパの30位を行ったり来たりしているような規模感のクラブに移籍をしました。こちらでは、フットボール総務部と指導者の両面からサッカー界、サッカー産業というものを勉強させていただくことができました。
2020年から3月15日をもって退任となりますが、Jリーグの常勤理事をさせていただいております。直近12年間お世話になったビジャレアルで、どのように人を育ててきたのか、選手に対してどのようにアプローチしていくのか、我々指導者の役割は本当は何なんだろうというようなお話を本にして出版をさせていただきました。
先ほどのコミュニティーというのは、このクラブにおいて理解をされている概念で言うと社会の縮図である。我々が身を置いている社会そのものを凝縮して、社会責任を果たしていくという概念の下につくられているクラブということを御案内させていただきたいと思います。
ビジャレアルというクラブは、人口が5万人しかいない小さな、小さな町にある、奇跡的に存在するようなヨーロッパのクラブです。高齢者、それから過疎化状態。産業もセラミックタイルの工場が連なり、何キロにもわたって、ただただオレンジ畑が広がっている、そういうような立地にあるフットボールクラブです。
私も一ヨーロッパ市民として、このクラブを改めては日本側から俯瞰して考えてみたときに、まさにコミュニティー形成というのが、クラブが担っている社会的責任だと感じております。
この空間の中に我々が見たい世界、描きたい世界、そして我々一人一人がこういう世界に身を置きたいという話をフットボールクラブが体現、具現化していると思っております。具体的に言いますと、3歳児の未就学児さんから、トップリーグのプロ選手が存在するわけですけれども、そこには私たちが普段身を置いている社会と同様に、女性もいて当然です。なので、5万人の町においてレディースが6チームあります。
障がいを持っている人たちだって私たちの社会には普通に存在する、共生している。では、障がい者の方々もサッカーができる環境をつくりましょう、チームをつくりましょう、ということで障がい者、知的障がいチームを3チーム持っています。
また、孫のサッカーを応援におじいちゃん、おばあちゃんが来ます。ゴールを決めたその孫は、一目散におばあちゃんのところに駆け寄っていって、そのゴールをささげ、ほほにキスをする。でも「早く帰ってこい、試合再開だぞ」なんて言う審判もいなければ、相手のチームも温かくその様子を伺っている。
我々が身を置いている生活圏内、地元、ビジャレアル市民であるという郷里の思い、またサッカーという関心、同じ興味を持っているものにひもづいた人たちが、それこそ国境を越えてクラブに帰属意識を持って、みんなが包括的にコミュニティーへの意識、社会というものをつくっている、そういう概念を実現しているクラブになります。
上田 佐伯さん、非常に興味深いお話をありがとうございました。それでは続いて、是永さん、よろしくお願いします。

<アジアにおけるスポーツ産業の視点から>
・是永大輔(これなが だいすけ)氏

スポーツクラブはインフラとして多面的に事業を広げていくことが必要

是永 私はこれまでの経験の中で、いろんな国でスポーツのビジネスをさせていただいております。その中で、今感じていることは、もっとスポーツがスポーツで稼がない日本という状況に持っていくことができるのではないかということです。
私はシンガポールでホールディングス会社をつくってサッカークラブを運営しています。バルセロナでもサッカークラブをやっています。あと、ウェルネシーというウェルネス・ヘルスケアの会社も経営しています。これまでは、シンガポールのサッカー協会理事や、カンボジアにチームを立ち上げたこともありました。2019年と2020年にアルビレックス新潟というJリーグクラブの社長もやらせていただきました。
こういう経験の中で、非常に、今、スポーツビジネスにおいての過渡期と表現することができると感じています。これまで、五大収入源といわれているものがありました。放映権、スポンサー、入場料、マーチャンダイズ、移籍金。実際に、Jリーグクラブも大きくはこの五大収入源でクラブを経営されていると思います。
2019年、アルビレックス新潟の社長のときに、2030年にこういう姿になっていようというものをつくりました。2019年は24億円ぐらいの年間予算だったものを50億円にしようということで、例えば、今、スポンサーが8.9億ぐらいだけれども、16億ぐらいにしたほうがいいなど、こんなことを考えておりました。
ただ、この姿というのが必ずしも正しくなくなってきているのではないかと感じております。特に日本においては、日本人のメンタリティーを意識することで、より収益性の高いスポーツビジネスを志向して、結果につなげていくことができるんではないかと思っています。
Jリーグのクラブをやっているとき、非常に経営的に苦しくて、本当に債務超過にも陥るんじゃないかという、苦しい立場のクラブでした。メディアさんなどにも協力していただいて、苦しい、苦しいと言いふらしていたところ、サポーターの皆さんや、会う人会う人が、「私に何ができますか?」と言ってきてくれるんです。これはスポーツクラブの理想というか、美しい姿だなと思ったんです、何かをこのスポーツクラブから得ようというよりも、何かをこのスポーツクラブに与えようというメンタリティーをとても強く感じました。ほかの国でも少なからずあることですが、日本にとって、自分の大切なものに対して与えていく世界というのがすごく強いなと感じておりました。
2008年、私がシンガポールに来た当時は、シンガポールのトップリーグに参戦はしていましたが、日本人だけのチームでした。では一体、現地の人たち、地域の人たちは何をどうやって応援したらいいのか分からない。この存在価値は本当に何なんだろうかというところからスタートしました。なので、理由づくりのためにスポーツ周りの事業を構築していったんです。スポーツそのものに理由が少なくとも現時点では見いだせないのであれば、経営を成立させるためにスポーツ周りの事業をつくっていったほうがいいわけだと。
現在もいわゆるスポーツビジネスとは離れたビジネスモデルを中心に展開しております。シンガポールではクラブハウスというカジノ事業を2011年からスタートしています。カジノだけをやっていても海外のクラブとしてはこの地にある理由というのが周りに理解されません。地域社会への貢献ということを、どのクラブよりも一生懸命にやることによって、必要だということを理解してもらえるようにやっています。
また、留学事業として、アルビレックス新潟バルセロナというサッカークラブをやっています。日本人とスペイン人の混戦チームで、サッカーを週末プレーして、トレーニングも週に3回やるんですけれども、あとの時間が語学、そしてビジネスカリキュラムを行うことによって、サッカーを仕事にしていこうと。サッカー選手ではなく、サッカーを仕事にするということを目標にした留学も進めております。
さらに、ウェルネスのヘルスケア事業としましては、医療機器の輸入・販売事業、サプリメントサーバー事業、唾液PCR検査、日系企業の海外進出支援事業もやっております。こういった収益をいかにスポーツに反映させていくのかということが1つのテーマになっています。
何が言いたいのかというと、スポーツクラブというのは広い意味での最大公約数といいますか、多くの人に伝わるものなのではないかと思っています。事業を多面的に展開することによってサッカーに興味がない人も、例えば、楽器をうちのサッカークラブでやることによって、サッカーは嫌いだけどアルビレックスの収益に貢献しているんだと。あるいは、たまには見にいってみようかというようなファンベースを広げるような結果につながってくるのではと思っています。
ベースとなるのは、先ほどの「わたしに何ができますか?」という日本人に特に見られるメンタリティーだと思います。可処分所得、可処分時間をよりたくさんスポーツクラブにいただきたい。その恩返しとして、結果や、佐伯さんがおっしゃっていたような、コミュニティーの柱としてのスポーツクラブの存在価値というものを、より見せることができると思います。
つまり、それはインフラになっていくことなのではないかと。電気、ガス、水道、アルビレックスとよく言っていましたが、こういう状況になって初めて社会に欠かせないものになり、そして、それがさらにクラブを大きくしていくような流れになっていくんだと思っております。
スポーツクラブは大きなプラットホームなので、単純にスポンサーや放映権といったような五大収益にとらわれることなく多面的に事業を広げていくことが今後、特に日本では必要になってくるのではないかと。そしてそれが可能な社会なのではないかと強く感じております。御清聴ありがとうございました。私からは以上でございます。
上田 是永さん、ありがとうございました。次は河田さんにお願いしたいと思います。

<アメリカにおけるスポーツ産業の視点から>
・河田剛 (かわた つよし)氏

日本のスポーツはちゃんとスポーツビジネスとして成立していない

河田 僕は本当に簡単にいきます。スタンフォードで働き出して15年ですかね。ボランティア時代も含めて。アメリカのスポーツ界、特に学生のスポーツ界にいると、日本のスポーツの足りないところばかり見えてくるので、少しそんな視点で。辛辣なことを言うかもしれませんが、僕のポリシーなんですけれども、システム憎んで人を憎まず。別に誰を責めているわけでもありませんので、悪しからず。
「Only at Stanford」という言葉があるんです。我々がいい高校生を獲得するときに、これはスタンフォードでしか起こらないんだよと。スポーツがこれだけ強いのに、アカデミックでも世界のランキングで10番以内に入ったり、5番以内に入ったりしていると。これはスタンフォードでしか起こらないので君たちはここに来るべきだというような口説き方をします。過去最多、57人のアスリートが東京オリンピックに行っています。ОB、ОGを含み、アメリカ代表とは限りません。26個のメダルがキャンパスから出ています。「Only at Stanford」ですね。
実は「Only at TOKYO Olympic」というのが僕の中であります。東京大会が終わった後に、うちのスポーツを仕切る人の中で一番偉い人と話をしたんですけれども、「T.K※、Only at TOKYO」だったなと。なるほど、何がと。2つあると。※T.Kは河田氏のニックネーム
1つは、これだけコロナがアウトブレイクしている中で、関係者に一人の死者も出さずにすばらしいオペレーションだったと。「SAFE ENVIRONMENT AND OPERATION」だと。本当にこれはすばらしいと思う。これは日本以外のどこの国にもできなかったと。アメリカ人などは儲からないことはやらないので。おそらくほかの国だったら、延期だったり、やらなかったりもあったんだろうなと。
もう1つ「Only at TOKYO」があると。これはコストだと。世界中のどの国を探しても、国があれだけの負債を抱えて一つのスポーツイベントをやるような国はないと。これは、そのときは、はははと笑っていましたけれど、スポーツビジネスパーソンとしては悔しい話ですね。「Only at TOKYO」というお話を皆さんにシェアします。
また、これも「Only at TOKYO」だと思いますけれど、LAのオリンピックという2つのキーポイントがあります。1つは1984年のLAオリンピックから始まった、ビジネス・オリエンテッド、要は、お金です。ちゃんとお金にする。これが2028年にまたLAにやってきます。メインスタジアムが2つあるんですけれども、これはもう2022年で回収が見えているんです。両方ともフットボールのスタジアムですがコンバートできるようになっていて、1つのドームのほうでは2週間ぐらい前に、スーパーボールが行われていました。かなりのコストがかかっているんだけれども、スタジアム単体でいうと、もう回収が見えています。
2028のオリンピックの組織委員会というのかな「LA2028スタッフ」などと入れれば出てくると思うんですけれど、アメリカのスポーツビジネス界にいるものとしては、とんでもないピカピカのレジュメが集まっています。世界最大級のエージェントであるワッサーマンがトップにいて、スポーツ業界においては、ぴかぴかの経歴の人たちが集まっています。片や、日本の組織のほうを見ると、やっぱり……。
話が少し戻ります。1984年のオリンピックは、政府からは1ドルも出ていないです。それが東京は、もちろんCovid-19というすごい言い訳ができてしまいましたけれど、何千億円だか、何兆円だか分かりませんがすごく出ている。要は、日本のスポーツはちゃんとスポーツビジネスとして成立していないんです。悲しいですけれど。日本のオリンピックは組織を見ても、何をしているのか分からない政治家の人だったり、元政治家だったり、どこかの偉い人だったり。要は、スポーツのプロフェッショナルが集まらない組織なので、それはお金も生めないというところを、比較して思いました。
ただ、少し辛辣なことを言っているようですけれども、私はすごくチャンス、いい機会だと思います。日本のオリンピックはどうだったのかとか、日本のスポーツビジネスの現状はどうだったのかというのを、自分たちとしては本当にどん底、世界と比べて一番底辺にいるんではないかと思うんですけれども、だけれども、それだけ伸び代があるということなので、皆さんぜひここは前向きに捉えていただきたいと思います。
私がここで生き残った理由なんですけれど、これは日本人らしく働くと言うことです。アメリカ人にないもの、こいつらがやらないことを俺はやってやろうと。例えば、彼らの中では優先順位が低いからやっていないだけなんだけど、これがあったら便利だよねとか。
あとは、ここではあまり必要ないですけれども、たまに必要になる協調性などをとにかく、こいつらが持っていないものを俺は出してやろうということでサバイブしてきました。こういうことをアメリカ、もしくはヨーロッパのスポーツビジネスと比べて日本人がどんどんどんどん発揮していけば、ほかとの差別化になるんじゃないかということを言っておきます。
最後に、とにかく英語です。英語ができないと何も始まりません。日本人はもともと能力が高くて一生懸命働く、勤勉に働く、協調性の高い、チームで働いてすばらしい成果を出すので、英語をちゃんと教えてはいけないと言って、GHQが英語教育の水準の下がるようなプログラムをつくった、なんて噂もあります。英語ができたら日本人はもっともっと世界、そして世界のスポーツビジネス界で働いて、それを日本に還元できるような人が育っていくんではないかと思います。特に、若い人たちはぜひ英語を勉強してください。こんなところで終わります。
上田 河田さん、ありがとうございました。刺激的なお話をありがとうございました。また、この後のディスカッションが楽しみです。

<都市の創造における環境の視点から>
・青島啓太(あおしま けいた)氏

文化創出としてのスポーツ産業の在り方を見直すことが重要

それでは、青島さん、最後になりますが。全く今までと違った色でございますが、よろしくお願いいたします。
青島 追手門学院大学で建築を教えている身でございます。グローバリゼーションの中で、建築はどういった状況にあるのかということに照らして、少しスポーツの内容も御説明したいと思っております。
バスクデザインという設計事務所の代表取締役をやりながら、その半分で研究も大学でしており、実務と教育研究を半分半分でやっているような立場です。最近では、木造の建物を、かなり力を入れてやっています。
私は静岡県磐田市の出身で、サッカー少年として育ち、大学を出て、何とか日本人になりたいなと。というのも、静岡は日本の中でも真ん中で、あまりアイデンティティが強くないというので、海外のいろんなところに行って経験をしてきました。アフリカやエチオピア、フランスのパリで大学の学位を修めて、それから、トルコ、イスタンブールで仕事をして日本に帰ってきたところで、今年度から追手門学院にいるという形になります。
これまでは、建築系の学部というのは、基本的には工学部の中にあるのが日本の組織体制でした。これが今、何が求められているかというと、社会につなぐためのファシリテーターの人材が必要になる。その中で文学部としての建築教育が必要ではないかという視点を持って、この追手門学院では文学部の中に建築学を置くと。文化の中で建築を学びましょうということを始めようとしています。
木造のスポーツ施設はかなり注目をされ始めております。隈研吾さんが設計された国立競技場は建つまでに非常にいろんな紆余曲折がありましたけれども、日本全国の木材を集めて造ったということで、建築業界の中でも注目されています。
私の師匠・坂茂さんは豊かなデザインで有機的な形も木造はできるんですよということを世界に知らしめた建築家の一人でもあります。最近では、Jリーグの中でも木造、木造と結構言われるというのをお気づきになっている方もいらっしゃると思いますが、例えば、私の地元のジュビロ磐田のクラブハウスなんかも木造の建物ですし、町田ゼルビアのクラブハウスも隈研吾さんが設計された鉄骨と木造の建物が建っているというような形になっています。
世界ではかなりいろいろな建築が木造で造られるようになってまいりました。これはなぜかというと、間違いなくESG投資、またSDGsの観点から環境投資に対して大きなかじを切ったという流れの中にあります。
例えば、スウェーデンでは、2021年に建っている集合住宅のうち20%が木造で造られるようになりました。これが世界で起こっていることです。木造でも高い建物が造られるようになり、18階建ての85メートル、世界最大の木造の建物というホテルも造られるような時代になりました。
下地になっているのは、実は、リレハンメルオリンピックの木造ドームの技術なんですが、そういった技術革新が、オリンピックを含めたコンクリート産業から次々と出ていて、木造がオリンピックを支えるという時代がきます。パリのオリンピックが2024年にありますけれども、木造建築が大量に造られており、実は隈研吾さんなんかも木材を使った主要駅を造っているといったような状況で、木造がオリンピックを支えています。
こう考えますと、産業革命以降は建築では「鉄とガラスの時代」と言われてきたんですが、20世紀は「コンクリートの時代」で、次は「木造の時代」が来るよと言われているのが今です。
世界から見た日本の印象は法隆寺金堂です。この建物が世界最古の大規模な木造建築で、世界に冠たる木造の文化があるという印象が、世界でも注目されています。
ですが、実は日本の建築界で大きく西洋化に傾向した時代があります。1980年代、1970年代ぐらいから大きくかじを切っています。1950年に衆議院で、都市建築物の不燃化を促進する決議というのが行われ、そこから木造をなくしてコンクリートを使っていきましょうという議論が始まりました。これによって、明治の西洋化とともに、だんだんと鉄やコンクリートが導入されて西洋的な建築物というものに傾向していきます。日本独自で築き上げた木造が失われていった時代があって、そこからの20年、これを木造の暗黒時代と言うこともできます。
その上で、2000年代から木造を推進するんですが、海外では先ほどのもののように木造は追いつけないほど進んでしまっていたというのが現状です。
今の私の建物を少しだけ御紹介しますが、国交省の仕事で造りました建物で、新しい木造の大判のパネルを使ったCLTの実験棟というのを造らせていただきました。このときに新興木造と言われ、伝統としての木造と新しい木造が、全く違うものだという扱いをされているような状況があります。
東日本大震災後、福一原発を復興するということで、最新の木造で復興公営住宅を造ったという、2017年に設計した建物がございます。これが何を目的としているかと言いますと、地方創生として、木造で新しい産業を興すということに転換するきっかけをつくろうと考えています。これまでコンクリートで造ってきた建物が木造になるだけで、現場は大きな改革が起こると。これをチャンスだと捉えながら、今、取組をしていることになります。
日本型の木造建築の産業モデルを考えると、非常に繊細で、地形としても豊富な水源を持っている木造の建築。これが伝統木造の中に培ったものがあります。また、住宅産業では90%を超える木造の建物というのが使えるようになって、非常に日本的な意味での合理性を築いています。
これを考えますと、スポーツでいえば、根本的に身体的な違いが、日本を含むアジアとヨーロッパではあり、トレーニングの仕方だったり、産業を培っていく中でのやり方・合理性にも、日本的なものがあるのではないかと思います。
最後に、建築の大量生産・大量消費の時代から循環型・廃棄レスの時代にどんどんと動いていく中で、建築産業は大きく変わってきました。その中で特に合理性自身が大きく変わっています。これはまさに、日本産業界を革新させていくようなつながりになるということで、大型の木造建築の在り方を見直すことで、それを文化創出として行おうという取組をしています。
また、その取組をしていく中で、建築の造り方がオーダー型からコミュニケーション型に移行していっているような違いがあると考えられまして、マネジメントそのものが変化しているように感じております。これをこのままスポーツ界に当てはめると、スポーツの合理性自身が大きく変化している、また、文化創出としてのスポーツ産業の在り方を見直すことが重要で、クラブチームの指導、またはその指導の在り方がオーダー型からコミュニケーション型に移行しているのではないか、ということを、大きく社会が動いている中で感じております。
上田 青島さん、ありがとうございました。日本のスポーツの課題と独自性というところですね。まず、課題から上げていきましょうか。何が駄目なんだ、ないしは、これを変えたら良くなるのではないかという視点からすると、日本のスポーツの課題というのは……。まず、一番刺激的だった河田さん、いかがですか。

進化が全くできていない負が、スポーツに乗りかかってきた

河田 あり過ぎて分からないです。
上田 (笑)
河田 結局、教育に行きつくと思うんです。教育制度が変わらないと、変わらないと思います。ただ、全部が全部ヨーロッパやアメリカのまねをすればいいわけではなくて、日本人的に変えないといけないと思っていて。少しテーマがでかすぎるな、これ。
上田 いいんではないですか。続けてください。
河田 とにかく、一番遅れているのは教育で、要は、戦後から大学にどうやって入るかは変わっていない。教育が乗り遅れているからスポーツが乗り遅れているんです。いまだに記憶力テストです。
上田 今、河田さん独自のオフェンシブ・クオリティ・コントロール・アナリストというポジションが大学だけではなくて、NFLにもできたり、確立されていったというのがあったりする。この辺はどうでしょう。
河田 僕はアメリカ人がやらないけど重要だってことを見つけた「SURVIVE」の方式なんです。僕がたまたま社会人になって、いろんなやってきたことが生きたということなんです。日本の社会人の働き方や、チームワークや、組織論みたいなところは、戦後の教育で日本が復興してきた、先進国に仲間入りしてきた、このシステムがつくったものだとは思うんです。だけど、そこからの進化が全くできていないそこの負が、スポーツに乗りかかってきたという感じはします。
上田 非常にいいポイントを頂いたと思います。ありがとうございます。
是永さんも言いたいことがいっぱいあると思うので、思いの丈を。どこが課題でしょう。

ヨーロッパには制限も、権威者の優位主義みたいな思考もない

是永 事業者側としては、発想をもっと広げる必要があるなと思いました。前年踏襲のようなことが結構多くて、今までこうだったから、こうしておこうというような感じが強いなと感じていました。もっと自由に、スポーツクラブはプラットホームだから何をやったっていいんだよと。お金儲けは何をやったっていいんだけど、使い道はスポーツに使おうというような開き直りのようなものは、もっと一生懸命やったほうがいいのかと。
あとは、その組織をつかさどる団体は、もっと規制緩和の方向に動いていただきたいというのは感じております。それぞれの事業者に競争が生まれるので、そうするとより発展するのではないかなと。スポーツに限らずとは思うんですけれど。
上田 なるほど。ビジネスないしは、スポーツを発展させるための発想を、もう少しプラットホームとして豊かにする。それから、行政を含めての規制緩和という、この両輪がなければということですね。
是永 そうですね。規制緩和は、既得権益みたいなものがたくさんあると思うので、なかなか進まないとは思うんですけれど、そこから逃げていると結局未来が困るので。何十年後かに必ず困ると思っています。
上田 なるほど。ありがとうございます。佐伯さん、いかがですか。実はEUの規制やEUの合理性というのも特別な形があったり。
佐伯 ありがとうございます。青島さんがおっしゃった身体的特徴、トレーニング方法での日本的合理性のようなお話をされていたのを拝見したときに、ふと思ったのが、当然、身体的特徴というのはその人種によって異なると思うんです。
例えば、スペインの子たちのどうしても目を引くのが彼らの骨盤のつき方がやはり全然日本人と違う。なので、キックで使っている筋肉も違えば、全くフォームが違うんです。だから、蹴ったときのボールの音が全然違うんです。見なくても音が違う。だから、スペイン人の子が蹴っているか、日本人が蹴っているかが分かる。なので、そういうこともあるなと。それはもう人種としての特性であるんではないかと。
一方で、これは身体的特徴だけにとどまらず、思考の特徴というのがすごく大きいと思っておりまして、フットボールでいいますと、特にフットボールはすごくコグニティブ、認知のスポーツです。どのような思考構造になっているのかが、実はパフォーマンスに物すごく反映されているスポーツの1つだと思っています。
人間は思考、感情、行動で一つが成り立っていると思うんですけれども、その思考の癖というか、構造の仕組みというのはどこから生まれてくるかというと、これがまさに突き詰めていくとやっぱり河田さんがおっしゃっていた教育なんです。教育現場で行われていることを、スポーツの現場は物すごくきれいに映し出せる鏡なんです。だからこそ、私たちは反省をし、懺悔をし、我々スポーツ界から変えていきましょうということです。
我々は教育プラス経験を持って一つの概念が生まれていく。でも、その与える教育というものが、もしかしたら少し濁っていたり、ゆがんでいたりしたら、全く違う良し悪しや価値観を人に生んでしまう。
これが例えば、日本でいまだに問題になっているハラスメントとか、そういうことにつながっている。もしくは、そもそも提供されていないから概念として良い、悪いが判断がつかないとか。被害者もこの教育を受けてきていないので、こんなことを監督や先生にされたら「これは駄目だよ、だってハラスメントという絶対起こしてはならない、人権だからね。」のようなことが教育として提供されていないんです。なので、概念としてない。だから、自分が被害者であることも認識、認知ができないような悪循環が日本では起こっている。
人の思考をつくるのは、やはり日常だと思うんです。その日常はどういうものであるかというのがすごく大事で、だから、教育現場でどのような教育が行われているかがすごく大事である。なので、私たちがつくり上げられてきた、日本人として育てられてきたその思考構造というのは、やはり青島さんがおっしゃったオーダー型ですよね。少しずつ変わってきて、コミュニケーション型のほうが良いのではないかという話はあるものの、圧倒的に私たちの時代はオーダー型であった。だから、自分で物事を判断したり、決定をすることが私たち日本人は苦手であると。それはスポーツの中にも全くそのまま反映されて、パフォーマンスになっているというのがあると思います。
それから、是永さんがおっしゃった規制緩和は私も本当にアグリーで、私はビジネスの文脈ではなく、例えば、人材育成の文脈からも規制緩和がめちゃくちゃ日本は必要だと思っています。残念ながら日本のサッカー界では、指導者になるための学びを得られる人たちはまだまだ限定的で、ある一定のライセンス取得のためには「トライアル」という受講のためのセレクションがあると聞きます。実はこの制度、90年代に一度スペインでも採用され、これを生徒側が「学びの機会提供の不均等」にあたるとし訴訟にかけ、勝訴したという苦い歴史があります。こうしたセレクティブな人材養成や採用を行っていた時代のスペインは、まさに「指導者が育たない土壌」そのものでした。
しかしいまのヨーロッパは、圧倒的に競争力を高めるために、互いが交じり合って、流動し合って、受け合って、刺激し合って、成長し続けている。なので、ヨーロッパのフットボール界は進化が止まらない。発展し続けている。あの右肩上がりが止まらない威力というのは、まさに競争力を高めることを意識的に行っているからであると思っています。そこには、制限も、権威者の優位主義みたいな思考もないです。日本でいうと、どこどこ大学の監督さんは優先的に何級を受けさせますなど、そういうものが一切ないので、いわゆる名のない私のような人間ですね。バックグラウンドもない、どこの誰だか分からない人たちにも、学びの機会の提供はどんと与えられる。その後はマーケットなので、頑張ってねという話になってくる。それがそもそも限定され、主観であなたと、あなたと、あなたというふうにしか学びの機会が提供されていない時点で、いわゆるスポーツの現場における環境というのは、成長もなければ発展もない。なので、やはり制度規制の緩和を行っていかなければ、日本の国内におけるスポーツの発展、フットボールの発展はないと私は感じております。

日本の規制は「特殊解」を絶対に認めない

上田 ありがとうございます。青島さん、今までくると、日本は駄目じゃない、お先真っ暗じゃないというような形に思ってしまうんですが(笑)。1950年代のまさに規制の話が出てきましたね。都市の不燃化。それから、1980年代。製造業、半導体、それから商社を含めて飛び出た1980年代に、日本のものを売っていたら違っていたんでしょうけど、そのようなことを踏まえながら、今、皆様のお話を含めて日本の課題は何でしょうと。
青島 やはり、ゆがんで取り入れられているところが非常に大きいと思います。木造が日本で止められた1950年以降の建築で失われたものはかなり多いと思います。何が失なわれたかと言うと、いろんなところで木材を使うということ。いろんなところで本当は木材を使うべきだったものが、より万能だと憧れを持っていたコンクリートでそれを造った。それを取り入れたところが間違っていたんだというところ。規制をするというときに、コンクリートを造りやすいように規制をつくっていってしまったというのが問題にあって、その規制のつくり方に少しずれがあったのかもと思いました。
日本の規制のつくり方と、ヨーロッパの規制のつくり方が少し違うと思っている点が、木造の中ですごくあります。日本の規制は「特殊解」を絶対に認めないんです。ヨーロッパは特に、大きな建物を木造で造ったときには、それを何とか実現しようという、その特殊解を見つけるための方策を法律の中にもつくったりするんです。特殊解をうまく利用していきながら、競争を誘発していくという枠組みにするほうが、より日本らしく進めていくことになるのかと思いました。
上田 ありがとうございます。ヨーロッパを含めてアメリカもそうだと思いますが、合理性、アウフヘーベンという考え方もあるとしても、正と反、それがちゃんと合わせる形。特殊解を認めていく。むしろ、日本のほうが、まあまあという協調性がありながら特殊なものを認めない。それは、思考としてはそうなっていくんだと思います。あまり哲学的なところにいっても仕方がないんですが。
アメリカ、ヨーロッパナイズされたグローバリゼーションの中でやると、我々の価値観は全て否定して生きていかなければならないことになるのではないか。では、日本が生きていくためには、日本のスポーツが生きていくためには、どうすればいいのでしょう。ここまでの話で、日本は絶望的なところだと……。でも皆様方は日本人であったから、もしくは日本の何らかの文化、教育を受けていたからこそ、今、生きられたり、何か生かせるものはないんですか。生かせないんですか。

本当に求められていることをうまくつかまえる

是永 先ほども申し上げたような、日本ならではの恩返し、おもてなし。メンタリティーなんです。海外においては、河田さんがおっしゃっていましたけれども、先回り、相手のことを考えてやれるということが、あまり日本ほどないので、1つの大きなものになるのではないかと、海外でやってみてすごく感じていることではあります。
上田 その日本人のメンタリティーは売り物になりますよ。物すごく隙間を埋める非常に大事な産業というか、いろんなところで、日本の方々の気遣いであったり、それこそ、おもてなしと言ったり、いろいろな言葉に記号化された形にはなるとは思うんですが。その辺りどうでしょうか、河田さん。
河田 本当に、それはすばらしいと思っていて。先を読む力やおもてなし。アメリカ人は優先順位をつけるのがうまいです。だから、1番目、2番目、3番目があったとしても、4、5、6は捨てるんです。でも、その3.5や4.5ぐらいにあるものを、日本人がひょいとやったら、何だこれ、すばらしいじゃんとなるんです。だけど、そこを本当に求められているのかというのを間違ってはいけなくて。
例えば、僕はオリンピックから帰ってきた選手たちと話をして、とにかくそのホスピタリティーもすばらしかったと。やはり、我々が気づかないようなところに気づいてくれるんだと。だけど、割とToo muchなこともあるんだと。例えば、空港で帰るときに、1人にボランティアが5人も6人もついてきてくれるんだって。ホスピタリティーはうれしいけれど、要らないんです。自分たちのその特性を生かしながら、本当に何が求められているのかをうまくつかまえると、例えば、何かプロダクトをつくるにしても、サービスをつくるにしても、何かしらの光が見えるかもしれないです。
上田 なるほど。ありがとうございます。佐伯さん、いかがですか。
佐伯 どちらがいいかという議論は、物すごく狭い議論になってしまうと私は少し違和感を感じるので、あまり二極論はと思うんですけれども。例えば、両面あると思うんです。日本人のおもてなしや恩返し、至れり尽くせり、気遣い、かゆいところに手が届くようなものは、とても日本人の美徳というか、される側としてはとても居心地がいいです。
一方で、私はJリーグの仲間たちによく言うんですけれども。日本人は親切だけれど優しくないよねと、私は少しわざと意地悪なコメントを投げるんです。
これは、先日、羽田であった本当の話なんですけれども。重い大量のスーツケースをごろごろ押しているのに、誰一人手を貸さないとかです。それは、シャイという話ではない。優しさというものが、私たちは少し違うところに出ている。その過剰なおもてなしのようなものもそうなります。それは親切であって、優しさではないようなところは少し感じたりします。
河田 そこのポイントが違うんですよね。
佐伯 そうです。つぼが違います。ただ、されている側としては心地いいというのは、本当にそうなんですけれども。
あとは、やはりマインドメンタリティーというのがすごく大事だと思っていまして、日本人は日本の国内で物事が完結してしまうとても豊かな国にこれまで身を置いてしまった。だからこそ、どうしても外にメンタリティーが、意識が向かないです。これは、今後、本当に危険で、例えば、韓国のK-PОPがどうしてこれだけ世界を制したのか、韓流ドラマがどうしてこれだけ世界の西洋文化の人たちに見られているのかを考えていくと、そこに実はヒントが隠されているかもしれない。
なぜなら、彼らはもう随分前から、国内ばかり見て国内向けにサービスを提供するようなことをしていては、生き残ってはいけないというのを何となく分かっていたのかもしれないと思っています。だから、外に目を向けている。その目を向ける、要は、意識を外側に置いて、そこにピン留めをしておくことができているのは……シンガポールもそうだと思います。世界中に、ヨーロッパにもたくさん小さな、本当に何百万人ぐらいしかいない人口の国なんかいっぱいあるわけです。そうした人たちはやはり、意識を外に向けているというか、置いています。
それが私たちにはできない。なぜなら、十分私たちは日本国内で完結するから。だけど、今後、人口がどんどん減っていく我々のこの日本という国の中で、本当に私たちのマインド醸成を変えていかないと、将来の子たちは本当に生き残っていけない。いきなり気がついたらグローバルになっていたような。国内向けに生産して、サービス提供して、教育も国内流、スポーツも日本式、日本流なんて言っていては、多分、もう生き延びていけない世界がすぐそこに来ているはずなんだけれども。このマインド醸成というところに特化して、誰かが何かをするというようなことが、教育現場においてもなかなか実施、実行されていないのが、すごく危機感として感じたりします。
上田 今、佐伯さんからいただいたのは、ちょうどチャットで高橋義雄先生からいただいているお話と同じように、ぬるま湯という表現をされていますが、やはり、日本から外を見なくてよかったという同じような御意見だったかと思います。
日本の特殊性から乗り切れなかったけれど、それを売る技術は持っていたり、再起できるところはある。しかしながら、日本は乗り遅れる、ないしは、海外で起業をすると、日本の方々はすごくいいのかもしれない。
一方で、日本国内ということも、そこもまさにシームレスにつないだほうがいいのか、それともやはり外に出ていくのか。ただし、日本のよさは、そうなるとどんどん多様化という中で消えていってしまう。いわゆる、先ほどの建築のお話と同じようになってしまうのではないかと。

共有しない限り成長はない

その辺り、まとめ等を含めて、一言ずつ皆様方にいただければと思いますが。
河田 島国の人たちは、外には出ていかない構造になっているんです。僕は本当に一回考えたことがあるんですけれど、優秀な国民が外に出ていかないために、英語教育の水準を低く保っているんではないかと思っているんです。私はシリコンバレーのど真ん中にいますが、こっちに来た優秀なビジネスマンは帰らないです。こっちでお金を稼げるので。だけど、皆こっちにいればいるほど、日本のよさが分かってきます。だから、外に出ていった人がうまく日本に、優秀な人が日本に帰ってこられるような制度があったらいいかなと思ったり。
あと2つあって、1つは、僕はいつも言っているんですけれど、この資本主義の世の中、競争なくして成長なしなんです。だけど、日本人は競争を嫌うんです。なので、それをどなたか、出席されている誰かが国会議員にでもなって、もっと競争をあおっていただくとか。
あともう1つ、僕はこれが一番いい解決策ではないかと思うんですけれど、失敗を責めない法のような法律ができないですかね。とにかくやってみる。日本人はやる前に考えてしまうんです。とにかく、すぐにやってみて、それを失敗したことを責めないというような、そんな風土ができたらいいなと。
現実的にできることは、本当にもう少し競争をしたほうがいいものが生まれるということを実践していけたら。特に、スポーツ界はもともと競争するところになっているので、そこをもっと。もう少しそこがスポーツから波及して、それが日本の国や経済を変えていくなんていうのは、僕らにとっては夢のような話で。そんなことが本当にできたら、机上の空論、理想かもしれないですけれども、やっていけたらすばらしいと思います。
上田 青島さん、いかがですか。
青島 先ほどの、K-PОPの話、私がアフリカで生活していた頃、2007年ぐらいですが、その頃流れていたのは、実は日本の『おしん』というドラマだったんです。それが、最近は韓国ドラマに取って代わりました。それは、韓国ドラマのほうが安いからなんですが、それが起こると韓国語を勉強するアフリカ人たちが大量に増えたんです。日本語をやっていたのが、韓国に取って代わったというような状況がここにあって、本当であれば、向こうで欲している日本の文化はたくさんあると考えると、まだまだポテンシャルがあった上で、いろんなところに取られていると少し思いました。
もう1つ、大きく変わっているところで、これまでビジネスという枠組みの中で考えていたものは、基本的にはお金だったと思うんですけれども、環境であったり、地域創生であったり、その周りを含めた部分を考えるということそのものがビジネスになっているというのが現状だと思います。その中で収益だけではなくて、この地域をつくるためのビジネスの枠組みでいうと、気が届くという特性は、これから非常に重要なポイントになるだろうと思いますので、その辺りも伸ばすような産業もどんどんと出てくるといいなと思います。ぜひ、建築も利用していただきながら、スポーツ産業の中で位置付けていただきながら、相対的に、ビジネスを活性化させることが一緒にできるといいなと今日感じました。ありがとうございます。
上田 ありがとうございます。是永さん、いかがですか。
是永 海外でしばらくやらせてもらって、日本国内でもやらせてもらった中で言うと、やはり、黒船が来ないと社会は変わっていかないなと。これはスポーツも同じだと思います。一方で、外敵を異様に嫌う社会でもあるというところがあって、一旦、そのハードル、つまり外敵を超えてしまうような状況がつくられれば、大きく変えられると思っています。河田さんがおっしゃるように、競争がないと発展がないので。
日本のよさを再認識するためには、その世界の物差しとしての黒船、外敵というものを、一旦入れるというのが望まれるのではないかと。もともと持っているものはとてもすばらしいコミュニティーもあるし、土壌があると思うので、それを最大限に生かすためには、やはり、僕たちのいいところはここだよねという外からの物差しのようなものが必要になってくると思いました。
上田 はい、ありがとうございます。最後に佐伯さん、よろしくお願いします。
佐伯 ありがとうございます。シームレスというところの文脈からは少し外れてしまうかもしれないですけれども、日本は島国であるという地理的な問題は当然大きいなと思います。
一方で、先ほどお話ししたように、やはり日本国内で完結を上手にしてしまうので、まさにコンフォートゾーンです。だから、私たちは正直、ここから出なくていいんです。わざわざ苦労しに外に出なくていい。もうこれは、ぬくぬくここにいたら幸せに豊かにやっていけるんです。なので、これが大きいなと正直思ったりします。わざわざ失敗、もしくは未知の世界に飛び込んでいくなんて、多分、ここにいる是永さんと、河田さんと、佐伯ぐらいではないかという感じですよね。なので、その辺の部分もやはり、なかなか世界、グローバリゼーションに行きつけないところかと。
一方で、サッカー界でいうと、今、小学生年代でもどんどん海外、特にヨーロッパに自分の成長の舞台を移している子たちがたくさん流出しています。これは、流出です。ヨーロッパの強さは、流動を推進しているところです。意識的に財源も取ってやっています。
私、実は、NPОを立ち上げまして、ヨーロッパの若者のなかなか経済的、もしくは恵まれない、バックグラウンドがないような人たちが、スポーツ界で成長してもらえるように、サポート支援をやっています。キーワードはモビリティーです。モビリティーは流動なので、流出ではないです。これは両面から本当に日本は痛い。出ないほうが楽だし、ぬくぬくやっていけるから出ませんというマインドが、徹底して根づいてしまっている日本人が少なくともいる。一方で、「いや、ここではない、僕が成長する舞台は。」と言って、どんどん外に、サッカー界は少なくとも出ています。指導者を目指す人も、経営者になりたいと思う人も、マネジメント業務をやりたいと思う人も、そして選手も、どんどんいっぱい増えています。なぜなら、ヨーロッパは幾らでも受け入れてくれますから。これで流出しています。出たくない人は出ません。
一方で、他を外から取り入れていないんです。流入がない。だから、サッカー界でいうと、どんどんどんどんパワーダウンしていってしまうというのが現状かと思います。
そして、またマインドメンタリティーにひもづいてしまうんですけれども、競争力というのが、やはり、今日はキーワードになっていたと思うんですが、日本人は、例えば、メソッドやこういうことをやっていますと言うと、知的財産だから、これは隠さなければならないというような話にすぐなるんです。私はびっくりしてしまって。ヨーロッパにいると、どんどんシェアしろ、どんどんオープンにしよう、何も包み隠さずどんどん与えようと。資料を欲しいと言われたら、送ってあげなさいと学んできたんです。なぜならば、共有することで初めてフィードバックをもらえる。フィードバックをもらえて初めて、私たちは課題に気づく。そして、他がどのように考えているかという違う知見ももらえる。だから、1人が教えることで、2人は学ぶと言われるように、我々は共有をしない限り成長はないと言われるんですが、日本にこれまで2年間お世話になって、びっくりするほどに物すごく囲うんです。隠す。知的財産だからこれはどうだとか、ちゃんとその辺は縛っているのか、確認はしているのかというような発想が、ああ、これだなと正直。日本人の成長、日本のスポーツ産業を発展させていないのはこういうメンタリティー。いろいろ挙げたら切りがないですけれども、メンタリティーとマインドだと感じました。
上田 はい。佐伯さん、ありがとうございます。そして、皆様方、本当にありがとうございます。日本に対するメンタリティーから、現状のシステムを含めて、いろんな形での御指摘があったと思います。
一方で、改善点があるんではないかと。
コンフォートゾーン、ぬるま湯であったりということは、皆様方が直接言っていただくこと、忌憚ない御意見をいただくことで、生々しい形が分かったり、今後のスポーツを発展させる、スポーツ産業を発展させるための大きなヒントになったのではないかと思います。
まさに、これが思考のシェアですね。共有をして、そして、そのフィードバックをしていく。その中で、皆様がそれぞれ、フィードバックをして、また話をしていく。
河田さんが言ったように、システムは憎んでも、人は憎まずという形で、今日の枠組みを、システムはよくなかったと言われても、私、上田個人を憎むようなことはしないでいただきたいというのが締めでございます(笑)。本当に皆様、ありがとうございました。以上でございます。午前中の締めとしまして、平田会長、御挨拶をお願いできればと思います。よろしくお願いいたします。

もう合わない制度を取っ払い新しい制度設計に向かわないといけない

平田 平田です。上田先生、本当にすばらしい取りまとめ、ありがとうございました。
今日、非常に私は啓発をされました。皆さんのような若い世代からすると、いろんなまだまだというところもありますけれども、僕らのような世代からすると、30年前にはJリーグはなかったんです。それから、プロ野球もひどかったんです。ところが今、インフラにはまだなっていないかもしれないけれど、基礎ができた。Jリーグ、Bリーグ、女子も始まる、ラグビーも始まって、いろんな仕掛けはできてきたということを申し上げたいと思うんです。
その上で、佐伯先生がおっしゃったように、それがコミュニティーの中心になる。是永先生がおっしゃいましたけれども、これが地域の根本的なインフラになる。そして、青島先生もおっしゃっていますけれども、それが地域の中の手段として、木材というものでも建築物としても中心になる。こういうものが大事だし、河田さんが、そこにしかないものをやれる仕掛けは、Jリーグ、Bリーグ、野球、いろんなことでできてきたと思うんです。それが、これからの時代に向かっていくときに、今の支えてきていた制度が、合わなくなってきていることが分かったと思うんです。
もともとは学校にお世話になりました。学校の設備を使いました。スタジアムやアリーナも公的施設なので、どうしても役所の関わりが強く、お世話になりましたけれども、そこの制度がもう合わないということだと思っています。そこをどのように取っ払っていくのかということを、皆でもっとやらなければいけないと思うんです。それが1つ。
もう1つは、競技団体が指導者の資格を取るのにもいろんな制約があって、あるいは審判の資格を取るにも、各県で何人という制限があったり、こういうものを、この皆の力で変えていかないといけないと思うんです。
それから、ビジネスにしても、リーグなどが、ビジネスの規制をして良いものと悪いものがある。規制があるものですから、いろんなアイデアを出しにくい状況にあるんだと思うんです。ここを取っ払っていく。そうすると、いろんなアイデア、指導の現場でも新しいアイデア、審判でも新しいアイデア、ビジネスでもこういうふうな仕掛け、こういったものができる、そういったものが必要になってオープンなイノベーションというものが求められる。そこの制度設計を変えていく必要があると感じました。
私たちは、たまたま、今まではよかったんですけれども、1億人の人口という中途半端な国にいまして、ある程度まあまあな人生を送るなら、やっていけたわけですけれども、もうそれが成り立たなくて、我々の次の次の世代は、それではやっていけないというふうになっていくと思います。そこを私たちがまだ力を合わせて、新しい制度設計に向かわないといけないと思いました。今日は本当に皆さん、ありがとうございました。

本稿は2022年2月26日(土)に開催された、日本スポーツ産業学会第9回冬季学術集会の同名シンポジウムをまとめたものである。

 

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