大学スポーツのオルタナティブを考える

大学スポーツのオルタナティブを考える
川井圭司│同志社大学教授
束原文郎│桜美林大学准教授
西村大介│滋賀レイクスターズ代表取締役
松橋崇史│拓殖大学准教授

日本の大学スポーツが変わろうとしている.2015~2018年の3年余り、スポーツ庁を中心として様々な関係機関や有識者が議論を積み上げ、日本版NCAA構想は実現すべき具体的施策へと昇華しつつある.本報告では、スポーツ庁の構想とは異なる「大学スポーツのオルタナティブ」について考えをめぐらすために、1)アメリカNCAAの歴史と現状(課題)を踏まえ(川井報告)、2)わが国における学生アスリートの就職活動の現状と現在進行形の日本版NCAA構想を概観し(束原報告)、3)運動部主体による制度設計の事例として、京都大学アメリカンフットボール部の一般社団法人化(西村報告)ならびに、4)学生アスリート主体による大学スポーツ事例として,大学野球における低学年育成リーグ(サマーリーグ)の取り組みについて、話題提供をいただいた。 ───企画・コーディネータ:束原文郎

大学スポーツのビジネス化と その副作用
川井圭司│同志社大学教授

1)NCAAのビジネス

アメリカの大学スポーツでは非常に大きなお金が動いていて、その市場規模は11億ドルを超え、NFL、NBAをもしのぐ市場価値を持っていると言われています。NCAAの所属大学には、D1、D2、D3というカテゴリが有りますが、議論の対象になっているのはD1(トップクラス)であり、D2、D3については、ほとんど議論の対象になっていません。また、アメリカではアメリカンフットボールとバスケットボールの2つが稼ぎ頭で、それ以外については稼いでいない。ですから、アメリカの大学スポーツに関する我々の議論は、基本的にアメフトとバスケを意識していますが、それ以外のスポーツがどういう状況であるかも考えていく必要があると思っています。
表に「NCAAの商業主義とアマチュアリズムの変容」について記載しました。黄色の部分はアマチュア規定に関するもの。赤の部分は商業化を抑制する要因。青の部分が商業化を加速させる要因です。


1905年から1910年にかけてNCAAが設立されていったのですが、1950年代までは一定のアマチュアリズムが重要視されていました。すなわち、奨学金を含む一切の金銭的補償が禁止されていましたし、学業規定も1950年代に導入されています。逆に言えば、その当時もはや市場価値は高まっていたので、一部の大学でお金を渡して選手を獲たり、学業に対する関心が薄くなってきたことが社会問題化してきました。
ここで取り上げるべきポイントの1つは、労災の議論で、1953年にコロラド州最高裁が「大学選手は労働者であるので労災の適用を受ける」という判断を下したことです。1950年代に既にそのような実態があったわけです。
もう1つのポイントはテレビ放映権の規制です。1953年にNCAAが「1大学1シーズンにおいて1試合しか放映してはならない」という規制をしました。人気がある大学はどんどんと放映され、良い選手が集まって、戦力の均衡を崩してしまう。多くの大学生に同じ目標を目指して頑張ってもらうことに、教育的な価値があるため、一部の大学だけになってしまうという状況を避けたい。そこで機会均等の観点から、テレビ放映権についても制限をかけていったのです。しかし、この制限に対して市場価値のある一部の大学が、我々は自由に商売(ビジネス)をしていくことができるはずだと訴えを提起します。その根拠にしたのが、日本でいう独占禁止法、アメリカでいう反トラスト法です。
1984年に連邦最高裁は、テレビ放映に関するNCAAの制限は、反トラスト法に違反するという、非常に大きなインパクトを与える判断を下しました。そこでは、ファンは強いチームの試合をもっと見たいと欲求していること。つまり、大学スポーツはもはや、大学生のものというだけではなくて既に消費者のものになっているということが、最高裁の判断の1つの大きなポイントになっています。
この1984年というのは、ロス五輪の時期です。すなわち、新自由主義、レーガノミクスが主流であった時代です。競争原理のもとで、経済を発展させる。これにより勝ち組と負け組が生まれるが、負け組もトリクルダウンによって、メリットを享受することができるのだという政治思想が主流になっており、これが最高裁の判断にも大きく影響したと言われています。その流れの中で、コーチの給料を制限していくというような、いわゆるサラリーキャップなんかについても、同じく反トラスト法上、違法である。すなわち各大学が自由に競争することによって活性化を図るべきだという判断が下っていくのです。
そして注目すべきは、この経緯の中で、民主的な手続がどんどん形を変えていったことです。1997年時点は1校1票の議決権を持っていたのですが、強豪校は一部(350校/1100校)ですから、全体の中での一部の意思がなかなか通らない。そのことによって、強豪校が、それ以外の、いわばお荷物の大学とは離れて、自分たちの、実力のある者だけで独立をしたいという方向を打ち出しています。それに対してNCAA側が、実質的な議決権を強豪校に与えるから残ってくれという形で妥協していくことになります。その変更の結果、20人の理事(17票)の内13票(75%)がD1の利益を反映することになりました。ですので、“NCAAの意思決定はアメリカ大学スポーツ界の総意だ”と見ることは実は間違いで、アメリカのNCAAの意思決定というのは、アメリカのD1の意向が大きく反映されているという見方が正しいということになります。結局、トリクルダウンについても、NCAA で生まれた収益のほぼ9割については、D1で消費されていくということになります。
NCAAのテレビ放映権規制が反トラスト法に違反するとした1984年の連邦最高裁判決以降は、各大学がさらに競争を加速していくことになります。この後、1990年代から一気に収入が増えていきます。そこで、選手側からも、我々の肖像権を使ってこれだけ利益を得られるのに、我々に対して一切分配されないのはおかしいという声が上がっていきます。
2014年から2016年にかけて、行政あるいは司法で争われた2つのケースがあるので、これについてもお話しさせていただきます。
まずは行政機関のケースですが、日本でいうところの地方労働委員会が「学生選手は労働者である」ということを、連邦法上認めたというものです。すなわち、ビジネス化が進んだD1のアメフト選手は労働者であり、お金を稼ぐことはむしろフェアなのだと。そのために労働組合を組織して、団体交渉を行い、時にはストライキ権も行使することができるのだと判断して、全米に衝撃を与えました。これは行政機関の決定です。結果的には、この判断がワシントンDCに持ち込まれ、例外的にワシントンDCで覆されることになりました。ただ、労働者ではないという理由で判断を覆したわけではなくて、D1の8割は公立(州立)大学(州の労働法の適用を受ける)ので、連邦法の適用を受ける2割の私立大学にしか影響しないこの判断が適切な解決を導かないという理由で、ワシントンDCが政治的・政策的にこの判断を覆したわけです。
そして次に、NCAAのアマチュア規定というのは、反トラスト法に違反するのだという司法判断が下ったオバンノン事件があります。これは、テレビゲームなどで選手の肖像を使って利益を生んでいるのに対して、元大学バスケットボール選手らが、そもそも我々の肖像を使ってビジネスをしているのだから、我々に分配があってしかるべきだと。もはやアマチュア規定は学生への収益分配を否定するための制限に過ぎないと主張して、地裁、高裁、そしてついに最高裁に判断が持ち越されました。最終的には連邦最高裁自身が判断を下すことにはなりませんでしたけれども、地裁、高裁ともに、アマチュア規定は反トラスト法に違反するという判断を下しており、この判断が確定していったというのが、つい最近、2016年の話です。

2)日本版NCAAへ向けた問題提起

まず1つ目は、アメリカの大学スポーツビジネスの副作用についてです。アメリカの大学バスケとアメフトは市場原理を基礎にそれぞれの大学が商業化を進めることによって収益を上げていくという構造があってここまで発展してきた。これは間違いないと思います。ただし、問題は、格差が広がっていったことです。我々がいつも大学スポーツとして着目するのは、巨額の利益を生む一部の大学ですが、利益を生まない弱小大学との格差というのは非常に大きなものがあります。
2つ目は、学生の労働力の搾取の問題です。ずばり、アマチュア規定自体が問題ではなくて、アマチュア規定を盾にして、大学は稼ぐけれども、それが選手に分配されないという仕組みは、法的に支持できないという判断が下ったということになります。
3つ目、これは特に日本の、今回の、日本版NCAAでも我々がしっかりと議論すべきことだと思いますが、軍拡競争(Arms Race)です。すなわち自分のところは頑張って強くする。A大学がどんどんとお金を入れて強くすると、B大学を強くするためにお金が必要だと。Cもそうだ。Dもそうだと言って、どんどんどんどんとお金をかけないと勝てなくなっていく。教育を前提にした大学スポーツ、あるいは高校スポーツにおいて、この循環を放っておいて良いのかということです。この、軍拡競争をできるだけ抑制していくべきなのだという立場からは、それぞれの大学がそれぞれの資金調達の向上を目指すことについてはむしろブレーキをかけていく必要があるんじゃないかという問題提起をさせていただきます。

3)日本の大学スポーツの課題

日本版NCAA創設の議論において、大学スポーツでの課題とされている事項の1つが、事故の責任所在が不明瞭だということ。この議論については、責任の所在を明らかにしていくというよりも、事故の発生原因を明確にすることと、発生した事故に対する補償制度を拡充することが求められます。かつ大学スポーツに限らず、日本のスポーツ全体で改善していくべき課題だといえます。この問題をNCAAに限定して論じることは事故の補償と再発防止の問題を矮小化させてしまう可能性があります。この問題はあらゆる場面でのスポーツ事故を対象に議論を広げていく論点であることを強調させていただきたいと思います。
また、ガバナンスが不十分だから不祥事の温床になるのだということも、よく主張されます。しかし、大学スポーツをビジネス化することで、競技力の向上と経済利益との相関の強化、そして軍拡競争の激化という構図が生まれ、このことがやはり不祥事の温床を生むというのがアメリカからの学びです。ビジネス化が必ずしもガバナンスの適正化をもたらすものでないことを我々はアメリカから学ぶ必要があります。
そして学業環境の保障が不十分という指摘もありますが、結局軍拡競争があるから、学校も学業を軽視していくという構造がある。この軍拡競争をどう抑制するかということなのですが、そのためにこそ日本版NCAAを組織し、共通のルールを考えていく必要があるのではないかと考えています。
あとは大学スポーツ振興のための資金調達力の向上ですが、これについては非常に重要で、どういう資金調達であればこの軍拡競争を加速させずに全体が繁栄できるのかを考えていく必要があります。一部の強豪校の資金調達力を上げることは、大学スポーツ全体の利益を害することにもなります。大学スポーツ全体を視野に入れた、振興こそが今、求められているのです。
日本の大学スポーツというのは、参加者が非常に多い。ほかの国に比べて圧倒的に多い。この事実がSports for Allの観点から正当に評価されるべきだと思います。また、軍拡競争の抑制がこれからも非常に重要な課題になりますし、民主的な意思決定のプラットフォームとして日本版NCAAが機能していくことこそが重要になってくると考えています。

日本における学生アスリートの 就職活動の歴史と現状
束原文郎│桜美林大学准教授

まず始めにご紹介したいのは、大学スポーツ選手がスーパーエリートだったということです。明治28年の大学進学者は、同年代の該当人口の0.3%ぐらいしかいない。昭和10年でも大学進学者は該当人口の3%であり、体育会学生はさらにその一部なのです。終戦直後も、大学も大学生自体も少なかったのですが、段々と大学敎育自体がエリート敎育からマス敎育という形で、女子も増えていき、私立大学も増えていきます。つまり、私立文系が増えていくという形で、大学進学率が高まっていくことになります。
そのような中で、日本は順調に経済復興を果たしていきました。企業はどんどん人手不足になるので、良い大卒者をとろうとして青田買いがおこり、それが社会問題になって就職協定ができた。ところが、それでも企業は良い学生を他社に先駆けて確保すべく、ゼミやスポーツ部のOB・OGを通じて非公式に学生と接触するようになります。 2000年ぐらいまでこうしたOB・OGリクルーターが、いい後輩をさらっていく,ということが頻繁に見られるようになります。そのような“企業学生間の接触規制をかいくぐる慣行(=文化)”の中で有利を得た体育会系は、ながらく良い就職先に就けていたのですが、時代は変わりまして、 1991年の大学設置基準の大綱化によって、大学が増えて供給過剰になっていく。少子化もあって学生募集に窮した大学が、スポーツ推薦をうまく使って学生を集める、入れなきゃいけないという時代になってきています。
そうすると、従前のような“エリート”、すなわち、すごく優秀で、先輩から見て、次、自分の職場の後輩として入社して欲しいと言われるような、昔ながらの体育会系が多くを占めていた時代と全然違うのですね。もう今は、一部のエリート体育会系と、大学経営のためにスポーツ推薦で入ってしまうノンエリート体育会系と、両方いるという状態になってきたと考えられます。
例えば、体育会系は就職に有利、有利と言われますが、私の調査では、一概には有利とは言えず、大学ランクによっても就職率が異なります。一般的には、大卒者全体の中の東証一部上場企業への就職内定者数は11万人、約20%になるのですが、上位にランクされるような大学出身の体育会系なら依然として有利、逆に平均以下にランクされる大学になると、体育会系は全ての大学生の平均よりも不利になります。また、種目によっても、いい就職先に入れる種目とそうでない種目がある。
学生アスリートのほうにも、「採用のときに何が評価されていると思うか。何が評価されることを期待するか」という質問をしてみました。回答を因子分析にかけたところ、以下の3つの期待が抽出されました。すなわち、OBとかOGとか指導者の紹介・斡旋といった、いわゆる“社会関係”への期待、リーダーシップやタイムマネジメントする力といった“能力”が評価されるという期待、そして、元アスリートの面接官とか、学生アスリート向け就活サポートシステムを利用できるといった、自分の能力以外の“外部環境”に対する期待、です。
ではそのような期待が体育会系の属性、あるいは学生生活とどう関係しているか、ということを多変量解析してみた結果、難関大学に入って、学業とスポーツを両立した人は、培ってきた“能力”を評価してほしいという傾向(自力志向)があるのに対して、スポーツ推薦で入学して、スポーツを重視した学生生活を送った体育会系は“社会関係”や“外部環境”に頼る傾向(他力志向)になってくるということが、私の調査でも何となく見えてきました。
日本版NCAAにおいて、大学のリソースに対する期待は非常に高いと思いますが、人材とかノウハウとか、大丈夫なのかということに加えて、体育会系というのは多様な存在なので、エリート層だけではなくてノンエリート体育会系もカバーした制度デザインになるのかどうかという懸念があります。

京都大学アメリカンフットボールの法人化の狙い
西村大介│滋賀レイクスターズ代表取締役

1)法人格を必要とした理由  

2016年の8月26日に、一般社団法人京都大学アメリカンフットボールクラブとして法人格を取りました。その狙いとしては、大きく3つありました。
第一に財務のガバナンスです。任意団体の場合は、財務諸表などは出さなくてもいいので、収入を隠すこともできる。監督として不正を行うことは全くありませんが、“痛くもない腹を探られる”可能性があります。また、任意団体は銀行口座が団体名でつくれないので、監督である私の個人名義で口座をつくって、そこにOB会費だったり、あるいは企業の方から基金をいただいたり、寄附をいただいたりします。当時でもかなり大きな収入がありました。この私の口座(通帳)の管理を誰がやるかというと、学生(女子マネージャー)です。代々引き継いで、次の財務の、経理担当の人に渡していきます。学生がやることなので、たまに無くなったりする。さらには、もし私が死亡したら、これが我が家の家計に入ってきちゃうわけです。
法人化を必要とする第二の理由は、人事のガバナンス(後継者指名)です。私はどうやって指名されたかというと、前監督の水野さんというカリスマから「おまえ、次やれ」と言われた。それだけです。そこにOB会のオーソライズもないし、もちろん大学からも何もありません。そして、監督がだめな場合でも誰もやめさせられないのです。それで良いのかなという問題意識を持っていました。
第三は収益の確保です。強化のためにお金がなかったということ。我々京都大学のアメリカンフットボール部は、日本一を目指して活動しておりました。ライバルは関学大や立命大なのですが、そういうところに勝つためには、良い選手を集めて、良いコーチを連れてきて、良い環境をつくって、あとチーム全体のチームフィロソフィー=文化を整える、この4つが強いチームをつくるフレームワークだと思っています。実は、環境のところは大分整えました。人材のところも、京大のアメフトなのでガリ勉どもばかりが集まると思われていますが、意外にいい選手を集めました。だけど、関学大にも立命大にも勝てません。実はコーチが足りない。で、コーチを雇いたいと思うのですが、そのためには人件費が必要で、アメリカンフットボールは、オフェンスとディフェンスとキッキングというのがありますので、できれば3人雇いたい。OBを雇いたいのですが、京大を出ているので、それなりの金額は必要だろうということになります。

2)大学スポーツの課題

私が思っている日本のスポーツ界が抱える問題は大きく2つあります。
1つ目が指導者・マネジメントのアマチュアリズムというところです。やはりプロとアマは、厳しさが違います。自分自身がアマチュアでずっとやっていたので、アマチュアのプライドがすごくありましたが、実は途中でアメリカ人のプロコーチを1人だけ入れまして、彼を見ていて「なるほど厳しいなあ」と思いました。彼はディフェンスコーディネーターで、僕がオフェンスコーディネーターをやっていたのですが、彼は、ボーナス査定がある。私が査定するのですよね。「おまえ、これでこれだけ点数とられているやないか」と、「だから、ボーナスはやらない」みたいな話をするのですが、一方で私、同じ立場なのですけど、点数がとれていなくても、お給料は変わらない。つまり、もらっていないから。だから、どこまで行ってもやっぱり彼の厳しさには自分は勝てないなあと、正直思いました。
マネジメントについては、ほとんどの大学あるいは協会も、ほとんどの方々がアマチュアでやっています。アメリカンフットボールのXリーグもそうです。やっぱりプロでNFLのチェアマン(リーダー)が考えることとはレベルが違います。ここら辺の考えを変えていかないと、レベルは上がらないし不祥事も減らないのではと、正直私は、現場の人間としては思っています。
あともう1つ、一生続く強烈な条件があって、もう先輩後輩は絶対です。30代、40代の現場の監督がこうやりたいと思っても、先輩がノーと言ったらノーなんですよ。先輩の先輩の先輩の先輩の、大体60歳から70歳くらいの方々の価値観が、今の体育会を動かしている。鉄拳制裁ありでしたし、理不尽な「水飲むな」なんて当然でしたし、そういう時代が今も続いちゃっている。あと20年ぐらい続いちゃうかもしれないと思っています。

3)法人化によって達成できたこととできなかったこと  

法人化によって、大学を巻き込むことができました。法人格を取ったと言っても大したことはないです。だけど、京都大学がしっかりとオーソライズをしたというところが非常に大きかったと思います。大学から、一般社団法人の理事を招くことができました。この方はアメリカンフットボール部とは全く関係のない方です。一般社団法人の社員に、独立行政法人の京都大学からも入っていただいています。
財務リスクについては、今は法人名義で口座もつくれるようになりましたし、財務諸表は出さないといけなくなりましたので、リスクが減ってきたと思います。また、お金を稼ぐ土台ができました。いろんなCM契約もできまして、初年度で1,000万円を超える収入を得ることができました。
法人化で達成できなかったのは、人事のガバナンスです。後継者の指名権をこの社団法人が持てれば良かったのですが、OB会が許さなかった。OB会内に監督推薦委員会というのが発足しましたが大学との関係性はありません。委員の任命などは不透明で、“京大アメフト部GANGSTERS”のフィロソフィーをわかっている人たちが何となく集まって、「こいつがいいん違うか?」というふうに指名するという形になりましたが、私はやっぱり、お金を出す組織が指名権を持って、部と関係のない有識者なんかが入るべきなのではと思っております。
また、部そのものの法人化はできませんでした。京大アメリカンフットボール部の法人化ではなく、正確に言うと。部に入ってくるお金を一括管理して部を支援するスキームができたということです。ただこれも、“やらなかった”というのが正確で、なぜかというと、部を別組織にしてしまうと、大学からグランドを借りられなくなるのです。あるいは借りるときに、お金が発生してしまう。毎日毎日グランドをただで貸していただいているというのはものすごく大きくて、それができなくなるのだったら支援の法人をつくりましょうということになりました。

学生による学生のための育成試合開催の取り組み
─大学野球サマーリーグのケーススタディ─
松橋崇史│拓殖大学准教授

はじめに、大学野球サマーリーグの開催経緯です。 2013年にサマーリーグの本会場となっている三条市民球場を対象に、スタジアム経営がまちづくりにどのような効果を及ぼしているのか検証する研究を行いました。継続開催しているプロ野球のファーム戦が地域で評価されている中で、ぜひ大学野球でも何かしらの試合をやりたいという提案を頂きました。1・2年生主体の育成試合をやれば各大学非常に関心を持つのではないかということで、東京六大学野球連盟に所属する各大学野球部に説明をしながら、2015年8月に、慶應義塾大学、明治大学と、現地の新潟医療福祉大学に参加していただいて、第1回目を開催しました。今年が4回目で、関東からは、慶應義塾、明治、立教、東洋、筑波、早稲田が参加しています。
サマーリーグ開始時の問題意識は大きく3つありました。まずは、大学野球の部員数が増加していることに対して下級生の試合の機会を増やすなど何か改善策を考えなければいけないということ。次に、スポーツで地域を元気にするということに、大学野球も貢献すべきだということ。大学スポーツがコンテンツとして入っていって、色々なことができて地域を元気にする。今でいう地方創生に寄与するような形のものができたら面白いのではないか、と考えました。最後に、部員の中には、スポーツイベントの企画、経営、運営に関心がある部員がいます。そういう学生たちを誘って、彼らが活躍するようなフィールドをうまくつくろうしたことです。企画チームと名付けて募りました。
今年は、2月ごろにマネージャーを通じて参加チームの監督さん宛てに、サマーリーグの企画に関心のある学生に声をかけて頂きたいということをお願いしました。法政2名、立教2名、早稲田2名、明治1名、慶應義塾5名のメンバーが企画チームに参加しました。チームのレギュラーメンバーはこの中にはいませんが、主力候補として春のキャンプに行ったり、1軍メンバーに入っていたりするようなメンバーもいます。協賛班と地域貢献班と広報班にグループ分けをして、分かれて活動してもらいました。。  協賛班は、自分たちで協賛を募って、参加学生の費用負担を下げるという重要なミッションがあります。開催地となっている三条市から補助頂いておりますが、同時に、協賛金で地元の企業とか参加校OBから支援いただくことが非常に重要ですので、協賛班は非常に頑張って活動してもらいました。
地域貢献班は、地域貢献プログラムとして期間中に3回行われる野球教室の企画準備を担っていて、広報班は、 SNSを中心とした情報発信やメディア対応を行っています。この他、現地の地域おこし協力隊の方に、ポスター、パンフレット、チラシなどを作成して頂いています。企画チームのミーティングは2週間に1回程度の頻度で行いまして、6月には現地に事前視察に行きました。地元の小学校や中学校でのPR、協賛依頼、会場となる球場や宿泊施設の視察、地元の三条高校の吹奏楽団と調整に行くというようなことをやりました。
当日のプログラムですが、8月9~12日の4日間で18試合を行います。この中に、地域貢献プログラムを行って地元高校との交流試合や野球教室を行います。
大学野球は、春秋にリーグ戦があり、そこで良い成績を収めるために準備をしていくわけですが、そのルーティンだけでは、多くの試合は持ちにくい状況があります。非常に充実したグラウンドや室内練習場があり、ウェイトルームがあるようなチームもあります。それらを、学費や一定の部費を払って使っているような状態があるわけですが、そうしたハードの環境だけだと、100名を超える部員に対応した育成環境を、野球の場合だと生み出し切れないわけです。結局、何のために野球部に入ったのかと思う部員は増えていってもおかしくないです。もっと試合をたくさんして、その中からいろんな学びを得たほうがいいわけです。各大学野球連盟自体はマネージャーが運営するわけですけど、その他の試合環境を生み出すことについては、もっとみんながやってもいいよねと。それぞれの練習を試す場を新たにつくろうよという流れで、サマーリーグが生まれ、企画チームの活動につながっています。
チームが動くことによって、まだまだいろいろな試みができます。新潟で評価されて、2018年秋には、大学野球オータムフレッシュリーグin静岡が開催されます。大学生同士が試合を行うと共に、地元の高校と試合を行い、地元の子供たちとも交流する。それをOBや地元野球ファンが歓迎する。そうした形が良いということで、静岡でも挑戦しましょうということになりました。静岡での参加大学は地元の大学と、中京圏の大学にも声がけをして、地元高校も6校参加してもらいました。静岡大学の学生が、2018年サマーリーグ企画チームの活動にすごく刺激を受けて、静岡でのフレッシュリーグでは企画チームを主導してくれています。積極的で、学生主導で自立的にやってもらっているという雰囲気が、どんどんつながっていくといいなと思っています。まだ始まって4年目なのですが、継続・発展していけるように支援していきたいと思っています。

▶ 本稿は、2018年7月22日(日)に、明治大学駿河台キャンパスで開催された日本スポーツ産業学会27回大会シンポジウム「大学スポーツのオルタナティブを考える」の内容をまとめたものである。日本版NCAA構想の検討途上(UNIVAS発足以前)に開催されたものであるため本誌刊行時点(2019年4月1日)での認識と異なる可能性もあるが、編集者の責任で当時の議論をそのまま掲載したものである。
▶ 本報告は,平成29~32年度日本学術振興機構 学術研究助成基金助成金若手研究 (B:No. 17K18036)(研究代表者:束原文郎)の成果の一部である。

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