スポーツから音楽の世界へ-世界に轟く劇伴作家・林ゆうきの原点

たまたま始めた新体操が、音楽の世界への扉を開けた 

男子新体操とは体操競技の一つで、音楽に合わせ床やマットの上で跳躍や回転を行う。力強くも繊細で美しい体操動作を繰り広げ、技術や芸術性を競う日本発祥のスポーツである。劇伴作家・林ゆうきさん(40)は高校から大学にかけて男子新体操の選手として活躍していた。競技生活の始まりは自らの意志ではなく、高校時代に勧誘され入部した男子新体操部だった。「当初は正直、変な部活に入っちゃったなという気持ちでした」と当時を振り返る。

しかし、幼い頃からものづくりが好きだったという林さんは、新体操で披露する技の構成や振り付け、伴奏曲を考えるという側面から次第に競技に魅せられていった。

「演技構成、技、伴奏曲も全て自分たち学生が担当。スポーツをやっているというより、文化祭の実行委員のような、ものをつくる楽しさがありました」

曲にのせて技を披露する新体操は、音楽がないと成立しない。はじめに林さんは選手の動きに合わせ効果音を挿入する作業を手掛けた。編集で補えないと感じる部分にはメロディをつけ、そこから段々と音楽に興味を抱き始めたという。当時、音楽経験は無く、楽曲制作に関する初心者向けの本を参考にパソコンと向き合う日々。気が付けば、同じく新体操の選手であった友人や後輩から伴奏曲を依頼されるようになっていた。新体操の伴奏曲専門の作曲家や編曲家が国内に2、3人しかいなかったことも相まって、最盛期は新体操伴奏曲の8割以上を林さんが手掛けていたこともある。

一見、全く分野の異なるスポーツと音楽。けれども新体操に打ち込んでいた林さんが、気付けば音楽の世界に足を踏み入れていたのは、偶然のようで必然の成り行きだったように思う。

 「好き」と感じる事柄に飛び込む勇気の末、掴んだ第一歩

NHK連続テレビ小説「まれ」や、テレビアニメ「進撃の巨人」の劇伴を手掛けた作曲家・澤野弘之さんは、かつて「レジェンドア」に所属していた。2021年3月まで林さんが所属していた事務所である。あるとき澤野さんの楽曲を、男子新体操の選手が「伴奏曲にアレンジしてくれ」と自身のもとへ持ってきたことがきっかけで林さんは澤野さんの音楽に出会い、魅せられていった。偶然好きなものと巡り合うことは誰しもに起こり得るが、林さんの場合そこからが一味違った。思い切って自作の楽曲を澤野さん本人に送ったのだ。その後、澤野さんから連絡があり、テレビドラマ「トライアングル」の楽曲を共作するに至った。

新体操から始まった音楽活動。「好きだ」「惹かれる」と感じる事柄に素直に飛び込み続ける勇気の末に掴んだ、劇伴作家としてのキャリアの第一歩だった。

 

 新体操の経験が、音楽に反映されることもある

 

林さんが劇伴を手掛けたドラマやアニメ作品には弁護士、警察、医師、ヒーローものなど多様なジャンルがあるが、私が注目したいのはスポーツである。楽曲制作過程において、自身の新体操の経験を音楽に昇華している瞬間があるのではないかと思ったからだ。人がゼロからものを生み出す瞬間には、その人の過去の経験が反映されることがある。思いがけず音楽への扉を開けてくれたスポーツが、創作活動において糧になっていたら面白い。事実、林さんは「新体操の経験が音楽に反映されることもある」という。

例えば、テレビアニメの劇伴として林さんが手掛けた「欲」というタイトルの楽曲は、バレーボール選手が自分の最大の強みだった戦術を捨て、さらなる強さを求めて新しい戦術に手を伸ばそうともがくシーンで使われた。「新しいことをしたい。この時選手を動かすのは沸沸とした信念であり欲望。だからこの曲ではあまり躍動感を出さなかった」と、林さんは選手の心情を踏まえた曲調の意図を語った。

また、林さんの作品では「孤独」というタイトルがよく使われる。選手時代に孤独を感じた瞬間を尋ねると、「大会出場メンバーに選ばれなかった瞬間」という答えが返ってきた。しかし、その孤独は自分が生み出しているものでもあり、だからこそ孤独でさえ自分の「上を目指す原動力」にしていたそう。

選手の「欲」や「孤独」——。自らの新体操での経験が、曲作りの片鱗にあるのかもしれない 

駅伝の作品を担当。しかし自分に陸上経験は無い。だから、競技場に行って匂いを嗅いでみたり…

  歌手が自らの失恋体験を歌詞に投影するケースがあるように、時に過去の経験は表現活動につながる。いっぽうで、経験の無いことを表現する瞬間も勿論作り手にはある。例えば

林さんが手掛けた「走るということ」という楽曲は、箱根駅伝に挑む学生の物語を描いたアニメ「風が強く吹いている」の劇伴であるが、林さん自身に本格的な陸上の経験は無い。

 「陸上に関する資料を読んだり、走ることを自ら経験することで見えてくる音の色味がある。僕は競技場に行って、トラックの匂いを嗅いでみたり照明や周りの雰囲気を見たりしました。このアニメを手掛けた制作会社の方々は実際に箱根に行ってマラソンをしたようです。それくらいの情熱がある」

 「自分とは無縁な世界だ」と、毎年新年テレビに映る箱根ランナー達の姿を流し見るか、あるいは「何が彼らの足を動かし続けるのか」と彼らの物語を覗いてみるか。すると、自分にとって何でもなかったものが、かけがえのないものになる。なんてことない毎日の風景一つ一つがキラキラして見えてくる。そういう魔力が、ものづくりにはあると私は思う。

そして自分とは無縁な世界に手を伸すきっかけを与えてくれるのがものづくりの魅力ならば、作中の登場人物との出会いも魅力といえる。「このキャラクターが好き」「自分の価値観を変えた」という存在は誰にでもいるだろう。キャラクターは、音楽でどのように表現するのだろうか。

漫画雑誌・週刊少年ジャンプで幅広い年代から人気を誇る物語「僕のヒーローアカデミア」の劇伴である「君の力」という作品を例に挙げる。

この物語は、触れた物を宙に浮かせることができる、全身を硬化できる、放電できるなど登場人物たちが生まれ持った「個性」を武器に、悪と対峙するヒーローものだ。林さんの劇伴「君の力」は、かつて自分の母を傷つけた憎い父から譲り受けた個性から「解放されたい」と苦しむ轟という人物と、生まれつき個性に恵まれず個性が「欲しい」ともがいてきた緑谷という対照的な人物が正面衝突するシーンで使用されていた。

「劇伴の前半はピアノと女性のボーカルを取り入れることで、轟の母を表現。中盤では打楽器の音で父親の力強さを表現。そして終盤では両者を組み合わせた」と林さんは言う。そうすることで、父から譲り受けたものも母から譲り受けたものも、どちらかを忌み嫌うのではなく、両者共に「君の力」じゃないかと緑谷に体当たりで訴えられ、轟の考え方に変化が生まれるシーンを表現したという。「キャラクターの心情の変化」を音で表現する林さんの技法と、キャラクターへの愛情が感じられた作品だ。

 

周囲が「天才」と呼ぶことを当人はただ

「当たり前」のことだと思ってやっているだけ

 

点数や順位がつきまとう新体操の選手時代を経て、現在は劇伴作家として、第一線で活躍する林さんに聞きたいことがあった。

天才とはどのような人のことをいうのか。

「天才と呼ばれる人たちは自分のことを天才だとは思っていない。だからこそ、周囲に見えない努力を怠らない。そうした努力やそれまでの険しい道のりを理解することができない周囲が、その人を“天才”と名付けるだけだと思う。当人たちはただ“当たり前”のことだと思ってやっている」

音楽の世界への扉を開けてくれたのは、ものづくりとしての楽しさが魅力の新体操。林さんには、「好きだ」と感じる世界に飛び込んできたキラキラとしたイメージを抱く。同時に「沸沸とした欲や孤独さえも原動力」「周囲が“天才”と呼ぶことを、当人はただ“当たり前”のことだと思ってやっているだけ」といった数々の発言の傍らに、ある種のドライさも感じる。

私は林さんの楽曲を聴いていると、その時々に抱く自分の夢や憧れに心躍る。それでいて同時に、現実と向き合う覚悟が湧いてくる。林さんの劇伴音楽が、多くの人の心を打つ所以を垣間見た気がした。

「もっと劇伴作家を盛り上げたい」「海外作品に携わりたい」——。

インタビューの最後に、林さんの「欲」を聞いた。劇伴作家としての憧れと真っ向勝負する林さんの音楽が、さらに世界に轟く瞬間が待ち遠しい。

文:船冨紀帆

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