大学スポーツ再考─その2

大学スポーツ再考─その2
上田滋夢│追手門学院大学教授

3.中国の動向(戦略的アプローチ)

FISU(国際大学スポーツ連盟)第29回夏期ユニバーシアード台北大会2017、日本はフットボール男子が6回目の優勝、女子が4度目の準優勝であった。しかし、2019年のナポリ大会からフットボール競技は無くなり、2019年から2025年までの隔年、FISU University World Cup-Football(以後;UWCF)として、各大陸予選を勝ち抜いた男子16、女子8の単独大学チームによる決勝大会が、中国福建省の晋江市(Jinjiang)で開催されることとなった(FISU,2018.2.9公式発表)。このUWCFには、FISUの掲げる「大学スポーツの価値向上に対する寄与」以外に、中国政府の壮大な戦略が読み取れる。

フットボールの影響力

実質的な習近平体制となる2012年前後、フットボールは以前の各省を中心とした強化育成策から、プロクラブ(中国超級等)による強化育成策へと転換が図られた。しかしながら、各チームが勝利のための自己利益に傾倒し、国家代表、育成年代のどちらにおいても効果は現れなかった。2017年3月の全国人民代表大会において、フットボールの強化育成策のさらなる推進を表明し、現状のフットボール学校を5万校に増加させ、各省を中心とした体系化に再度着手することとなった(web;産経ニュース,2017.3.13配信)。
中国におけるスポーツは、国務院直轄の国家体育総局が管轄する政治的ツールである。オリンピックでは強い中国を誇示してきたが、近年のフットボール男子では2002年を除いてワールドカップに出場できていない。国家のプロパガンダだけでなく、1960〜70年代のアメリカのキッシンジャー外交にも見られたように、非公式トップ外交(国家首脳会談)の場を提供するのがワールドカップでもある。覇権思想を持つ習近平は、各国に影響力を及ぼし「国際社会のキャスティングボート」を握るため、フットボールが重要な政治的ツールであることを熟知している。スポーツによる緩やかな紐帯は、あるタイミングで大きく国際関係を転換させる戦略となることを、わが国では未だ議論されていない。

新たな市場

国家のガバナンスにおいて政治と経済は両輪である。 UWCFは政治的側面だけでなく、中国の「高等教育からもたらされる新たな市場の創成」を担っている(図)。

現状のアウトバウンドに偏向した高等教育を、インバウンド需要に転換させる経済政策でもある。それは「アメリカの高等教育の戦略」そのものであり、そのプロパガンダとしての大学スポーツである。UWCFの要件を単独大学にすることにより、外国人学生アスリート、指導者等に大きく市場が開かれる。同様に、既存の1万3千校のフットボール学校から、大学に選手(学生)を供給するシステムによる競争戦略(選手、大学)は、レベルの向上を生み出すだけでなく、海外への供給市場も生むこととなる。
また、フットボールによるグローバルネットワークを通じて、「高等教育支援による開かれた国家」と言う新たな中国のイメージを拡散させることが可能となる。その最終目的は、全世界の学術的に有能な学生、教育者・研究者を確保することであり、高等教育市場を独占するブロックバスターである。そして、中国全土の大学キャンパス周辺部に、新たな大学都市が形成され、市場が創成されることとなる。  多くの外国人留学生、教育者、研究者らが大学都市を闊歩する姿は、アメリカとなんら変わりはない。アメリカの高等教育、NCAAの戦略と同様に、全世界に「同窓」を「供給」し、絶大なる影響力を示していく覇権思想にもとづいた壮大な戦略である。

4.大学スポーツの可能性

わが国では、スポーツ産業の市場規模を2015年時の5.5兆円から2020年に10兆円、2025年には15兆円にする目標が提示された。大学スポーツは「スポーツ産業の未来開拓」の中の「スポーツコンテンツホルダーの経営力強化、新ビジネス創出の促進、①大学スポーツ振興に向けた国内体制の構築」(日本再興戦略,2016:106)に明記されたため「大学スポーツ=産業化」として世間に拡がった。

戦略と戦術  

ここで簡単に「戦略」の概念を整理をしたい。「戦略」とは「目的(政治目的)」を達成するための行為(計画)である。「戦術」は「戦略」の下位構造に位置し、計画に基づいた「手段(施策)」である。「戦術」が単体で存在して目的を遂行することはなく、単体の「戦術」は、「目的」の遂行からすると「手段」の一つでしかない。(上田,堀野,松山,「スポーツ戦略論」,2017)すなわち「大学スポーツ=産業化」は「手段」に着目した議論に過ぎない。「目的」に触れることなくこの是非を問うことは、この議論の「目的」自体が不毛となる。問うべきは「大学スポーツの目的」ではないだろうか。 アメリカ・中国の戦略の目的  前回と前述の「アメリカの大学教育」と「中国の動向」から戦略を比較してみたい。興味深いことに、アメリカではわが国の文部科学省やスポーツ庁にあたる中央省庁がないにも関わらず、個々の大学とNCAAが同じ概念空間を創っていることである。大学、NCAAともに「高等教育」を目的とした戦略である。この目的の遂行のためには「恒常的維持」の必要がある。その戦術(手段)の一つとして「再生産装置」の確立であり、このための資源確保に必要な戦術の一つが「高価値の商品化」である。
一方、中国では独自の共産主義体制の正統性を国内外に顕示することを目的とした戦略が見られる。「新たな市場創成」はそのための戦術の一つであり、UWCFという「新たな国際大会の主催」は、資本主義思想にもとづく「競争」とは異なった、グローバルネットワークの「支配」という戦術の一つでもある。
すなわち、アメリカ、中国共に「大学スポーツ」は、その目的(高等教育、正統性の顕示)を遂行するための戦術(手段)でしかなく、また「競争」であろうが「支配」であろうが、その戦術として共通に「競技」を選択している点に特徴がみられる。

わが国の大学スポーツ

昨今の諸問題を含め、わが国のスポーツに関わる議論では一元的視点から議論が発生し、その帰結は「スポーツ」と総括されてしまう場合が多くみられる。しかし、 R.カイヨワ(「遊びと人間」1958;1990)の静態的分類論やN.エリアス(「スポーツと文明化」1986;2010)の動態的形成論を範にすると、その行為の関係構造から「競技」「スポーツ」「レクリエーション」「アクティビティ」に分けて議論をする必要があるのではないだろうか。なぜなら目的によって戦略が異なるのは自明であり、戦術(規定、マネジメント、コーチング等)や行為者も全く異なる。つまり、ドメインを整理せずに同じ事業戦略を用いるビジネスは可能かなのかという問いと、わが国における「大学スポーツの目的」を問うことは同義であると言えよう。
「大学スポーツの産業化」は戦術(手段)の一つとして提示された。ただし、その目的は明示されておらず、同じ概念空間が形成されているわけでもない。アメリカや中国の戦術の模倣は、戦略(目的)のない形態的コピーでしかない。ましてや「大学スポーツ」は「大学」の存在が前提であるため、「大学」と「大学スポーツ」は不可分(不岐)とも言えよう。求められるのは、目的の達成から帰納的に構築される戦略、すなわちガバナンスでもある。
わが国の「大学スポーツ」への問いは、わが国の「大学の存在とはなにか」を、我々自身に問うことでもあることを自覚せねばなるまい。

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