sports scene
原宿駅から歩いて五分、国立代々木体育館の隣に白亜の建物が見える。岸記念体育会館だ。日本オリンピック委員会や日本体育協会、それに多くの競技団体の事務所がここにあり、スポーツの総本山と呼ばれることもある。岸記念の名称は、嘉納治五郎のあとを受けて体協の第二代会長となった岸清一の名を記念したものである。岸氏は貴族院議員にまでなった辣腕の弁護士だったが、同時に揺籃期の日本のスポーツの発展に大いに尽力した。日本ボート協会の初代会長や国際オリンピック委員会委員なども務めている。一九三三年に亡くなるまで大阪瓦斯の取締役であったが、その間に株取引などで得た百万円を惜しげもなく日本のスポーツのために遺したのである。今の価値なら数十億円にあたるだろう。
幻の東京オリンピックが行われるはずだった一九四〇年、この遺産をもとにお茶の水の聖橋の袂に初代岸記念体育会館が建設された。戦争を経て今度は本当に東京でオリンピックが開かれることになったのを機に、旧代々木練兵場の一角に建設される体育館の隣に引っ越してきた。竣工は開会式の七か月前であった。プレキャスト工法という当時では斬新な建築法で作られたこの建物は、その後モスクワオリンピック不参加を求める右翼の宣伝カーに取り囲まれたこともあった。
二〇二〇年東京オリンピックに向けて岸体育会館は再び移転する。今度は新国立競技場の近くに十四階建てのビルとして生まれ変わる。建築も移転も歴代の東京オリンピックと一緒という数奇な運命の建物だが、新会館は先覚者岸清一氏の名に恥じない気概のある日本のスポーツ界の拠点となってほしいものだ。 ▶藤原庸介