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「情報的健康」とは何か―ソーシャルメディア時代におけるスポーツ産業の課題と展望―

スポーツから情報的健康を、実装へ
「情報的健康」とは何か—ソーシャルメディア時代におけるスポーツ産業の課題と展望—

福山平成大学福祉健康学部准教授
河野洋

情報的健康とは

「情報的健康(Information Health)」は、慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート(KGRI)が2022年より提唱している、情報社会における新たな健康概念です。WHOのいう“complete well-being”を念頭に、肉体・精神・社会に加えて情報の観点から健康を実現しようとする試みです。私たちと情報との関わりは、ときに私的で自由なものとして語られることがあります。これに対し、「その情報は私の健康にどのような影響を及ぼすのか」という客観的視点から情報との関わりを捉えることが、情報的健康の発想であるといえます。

このとき、情報との関わり方は既存の健康管理の知見や比喩を通じて説明されます。たとえば、今日の生活では手元のスマートフォンを介して、欲しい情報を欲しいだけ得ることができますが、その状況は「情報の飽食」や「情報の偏食」につながる恐れがあります。大好きなお菓子を摂りすぎないように気をつけるのと同じように、ときには「前向きに情報を控える」ことが必要になるのです。また、情報の摂取をエビデンスに基づいて管理する「デジタル・ダイエット」や、食品表示法を参考にした「情報の成分表示」といったアイディアも提案されています。

情報的健康の概念はまだ萌芽的段階にありますが、世界的に見てもきわめて稀有な議論が日本で展開されているといえます。議論の進展や成果については、KGRIによる共同提言や関連書籍、総務省のウェブサイトなどで確認することができます。

なぜいま「情報的健康」なのか

情報的健康が提唱された背景には、ソーシャルメディア時代における言論空間の課題があります。具体的には「フェイクニュース」「誹謗中傷・炎上」「生成AIの利用」などが挙げられますが、これらの危険性が社会全体で十分に理解されているとは言い難いのが現状です。2023年の調査によれば、重大な課題のひとつである「アテンション・エコノミー」という用語を知っている日本の成人は、わずか4パーセントにとどまっています。

こうした課題はスポーツ界も例外ではありません。2021年のオリンピック東京大会ではアスリートへの誹謗中傷が大きな社会問題となり、第3期スポーツ基本計画でも重点施策のひとつに位置づけられました。また最近では、動画共有サービスで生成AIによるスポーツ動画がみられます。もしそれが、私たちの研究成果である「スポーツによる感動のメカニズム」を学習し、確実に満足を得られる短尺動画を生み出すようになれば、従来のスポーツ観戦・スポーツ視聴は今の姿を保てるのでしょうか。

このように多様な課題を抱えながらも、スポーツ界の取り組みは依然として十分とはいえません。この原稿を執筆している最中にも、夏の甲子園に関する出来事をめぐって、インターネット上では無数の誹謗中傷が飛び交っています。コロナ禍という未曽有の事態すら乗り越えてきたスポーツですが、インターネット空間で生じる問題には依然として「『特効薬』の不在」の中、なす術を欠いたまま時の経過に解決を委ねているのが現状です。

スポーツ産業と情報的健康の相互的展望

本連載では、スポーツに関わる方々に向けて情報的健康に関するトピックや研究動向を紹介します。これらの話題が、情報的健康がソーシャルメディア時代のスポーツ文化やスポーツ産業にどのような貢献をもたらすのか、さらにはスポーツがその社会実装にどう寄与できるのかを考える契機となることを目指しています。

スポーツはこれまでも人々の健康に大きく貢献してきました。情報的健康は新しい概念ですが、蓄積された知見やノウハウを背景に、スポーツはその実装に重要な役割を果たす可能性を持っています。また、アスリートをはじめ情報社会のリスクに悩む人々にとっても、情報的健康は有効な解決策となり得ます。受動的であったリスクへの向き合い方を、自らの健康を守る指針へと転換することで、スポーツは人々の健康に一層貢献する営みとなるでしょう。

さらに、情報的健康の議論をスポーツ産業の領域で行うことにも意義があります。情報的健康は理念にとどまらず、その実装こそが重要です。その実現には学際的議論が不可欠であり、方針決定から実装まで広く関与できるスポーツ産業は、リーダーシップを発揮できる立場にあります。また、日本スポーツ産業学会は「スポーツ産業の健全な発展に寄与」することをテーマに掲げています。ソーシャルメディア時代において、スポーツ産業自体も健全性の指針を必要としており、その基盤の上にこそ人々の健康に資する文化が生み出されます。情報的健康の議論は、この取り組みに不可欠だといえます。

【参考文献】
鳥海不二夫, 山本龍彦 (2024). 「健全な言論プラットフォームに向けてver2.1 — 情報的健康を、実装へ」. 慶應義塾大学グローバルリサーチインスティテュート.
鳥海不二夫, 山本龍彦 (2022). 『デジタル空間とどう向き合うか 情報的健康の実現をめざして』. 日本経済新聞出版.

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