• HOME
  • ブログ
  • SERIALIZATION
  • スポーツと人権問題に関する新たな論争 ──FIFAワールドカップカタール2022 なぜ欧州のチームが不調だったのか

スポーツと人権問題に関する新たな論争 ──FIFAワールドカップカタール2022 なぜ欧州のチームが不調だったのか

スポーツ法の新潮流
スポーツと人権問題に関する新たな論争 ──FIFAワールドカップカタール2022 なぜ欧州のチームが不調だったのか
松本泰介│早稲田大学スポーツ科学学術院教授・博士(スポーツ科学)/弁護士

本稿執筆時は、FIFAワールドカップカタール2022(カタールW杯)が開催されています。日本のドイツ戦、スペイン戦の歴史的勝利など大きなニュースもある一方で、多くの読者がご存じのとおり、今大会はカタールにおける労働問題、人権問題を背景に大きな批判が寄せられていました。
このような労働問題、人権問題は現代社会において極めて重大な問題なものの、現地に滞在しながらこの問題を考えていますと、スポーツイベントの開催にとって新たな論争が生まれていることも実感しています。そこで、今回は、このような問題に関して、改めて整理、検討してみたいと思います。

カタールの労働問題、人権問題

カタールは、全人口の9割程度が外国人労働者で、その経済発展をこのような外国人労働者に大きく依存してきたとされています。筆者は、グループステージ中、カタールの都市ドーハに滞在していました。街中を歩いていると、日常生活の中で、滞在先レジデンス、カフェなどの飲食店、スーパーマーケットや映画館、ショッピングモールなどの商業施設などのスタッフ、UBERの運転手などはほぼ外国人労働者で、カタール人と出会うことは滅多にありません。カタールW杯の観戦においても、ホスピタリティスタッフや警備スタッフ、ショップスタッフに、多くの外国人労働者が従事していることがわかりました。
そして、日本でも報道されているとおり、今回のカタールW杯に関しては、欧米の人権団体やメディアから大きな批判が寄せられています。主な批判は、カタールでは女性の性平等や性的マイノリティの権利がまだまだ認められていないこと、スタジアム建設などに従事する外国人労働者について、雇用主が保証人となるカファラ制度(2020年に撤廃)が強制労働、低賃金やパスポートの没収などの温床になっていたことや、酷暑の中での過酷な労働により多数の死亡者が出たことなどです。このような労働問題、人権問題が報道される中でのカタールW杯の開催は、このような問題への批判の目をそらすスポーツウォッシングではないか、という批判も寄せられていました。

FIFAやJFAのサッカー関係者の対応

このようなカタールの労働問題や、女性、性的マイノリティの人権問題に対する欧米メディアの批判について、国際サッカー連盟(FIFA)のインファンティーノ会長は、大会開幕前の会見で、欧米の「偽善」であることや「二重基準」であることを指摘し、異例の欧米批判を展開しました。
これに対しては、欧米メディアからさらに大きな非難が寄せられることになりました。この時まだ日本にいた弊職も、確かに欧米でも過去または現在でも少なからず労働問題や女性や性的マイノリティの人権問題が存在していますし、また、現代の中東の混乱に欧米が大きく関与した歴史からすれば、欧米がカタールを一方的に非難する点には疑問を持ちました。ただ、なぜFIFA会長の立場でこのような明確に非難を受けるような発言を行ったのかを理解することができませんでした。
日本サッカー協会(JFA)の田嶋幸三会長も、大会開幕後のメディア取材に対して、カタールでのこのような問題に対し、「今サッカー以外のことでいろいろ話題にすることは好ましくない」と話したと報道されています。このような発言に対しても、SNS上で、「そもそもカタールで開催されたこと自体が問題。人権を無視できない」などのコメントがなされるなど、非難されていました。

カタールW杯での欧州チームのアクション

カタールW杯では、イングランドとウェールズ、ベルギー、オランダ、スイス、ドイツ、デンマークなど、欧州の7チームの主将が、今回、ダイバーシティやインクルージョンを推進するため、「One Love」と書かれた腕章着用を予定していました。しかしながら、FIFAが着用した選手にイエローカードを出す方針を明確にしたことを受けて、全チームとも着用を取りやめざるを得なくなってしまいました。
これに対しては、例えば、ドイツサッカー連盟(DFB)が、公式ウェブサイトならびにソーシャルメディアにてFIFAに抗議の意志を示したり、日本戦の試合前の集合写真撮影時に、先発メンバーが手で口を覆うしぐさを見せたりしています。イングランド代表は、イラン戦キックオフ前に片膝を地面につけるポーズで女性差別反対の意思を示したりしていました。
このような欧州7チームの活動は、もちろんそれぞれの国のサッカー協会や選手自身の意向もあるでしょうが、やはりそれぞれの国のカタールW杯に対する国民意識を受けて行われています。
ただ、カタールW杯に対する批判的な国民意識を受けながら、一方で、試合においてダイバーシティやインクルージョンを推進する活動も禁止された、それぞれの代表チームの選手はどのような思いでプレーしていたのでしょうか。今回観戦をしていても、欧州の国民意識を反映してか、欧州のチームのサポーターは心なしか少なく思われます(南米のチームサポーターがスタジアムを埋め尽くしていることや、初のイスラム圏での開催もあり、イスラム圏のチームに対する応援に非常に熱がこもっていることと対照的です)。もちろん彼らも全員プロなのだから、そのようなことに左右されず最高のプレーを行うべきだという意見もあるでしょうが、チーム活動としてダイバーシティやインクルージョンを推進する活動を行うことでチームケミストリーを高めていたことからすれば、彼らも人間である以上、プレー上にも大きな影響が出たのではないかと想像されます。これはあくまで筆者の感覚ですが、実際、欧州の強豪国がイスラム圏のチームにアップセットされる試合を見ていると、欧州の選手たちは非常に複雑な状況の中でプレーしていたのではないかとも感じられました。

スポーツと人権に関する新たな論争

もちろん労働問題や人権問題は極めて重大な問題であり、社会性が極めて高まった現代のスポーツにおいてこのような問題をスポーツを通じて解決に向かわせることは、現代のスポーツ組織として取り組まなければならない必須の事項になっています。これまでは、オリンピック憲章第50条など、スポーツ組織がこのようなアクションを禁止することの是非が論点とされてきました。この論点については、スポーツの社会的価値の発揮の観点からも、もうスポーツ組織としても、選手がフィールド上で何らかのアクションを行うことも一定の範囲では認めていくことが必要でしょう。特に、これまでもBLACK LIVES MATTERなどの人権問題、ロシアのウクライナ侵攻などについては、アクションを認める必要が出ていました。
一方で、メガスポーツイベントを開催する地域で、このような労働問題や人権問題に対して、一方的に批判だけ行うことは簡単です。現代のメディア報道上あまりにも一方的な報道、価値観の提示であることも少なくありませんし、むしろそれが商業性につながっているように見える場面もあります。ソーシャルメディアによって一方的な報道、価値観が増幅されている点も見逃せないでしょう。このようなあまりにも度を超えた批判が国民意識を煽り、選手のプレーにまで影響が出てしまう場合、これはスポーツが本当に進むべき方向性なのでしょうか。スポーツが社会的価値を発揮する上で、そのスポーツを統轄するスポーツ組織としてどこまでスポーツ組織の対応や選手のアクションを認めるべきか、どのようにバランスをとっていくべきなのでしょうか。冒頭FIFAのインファンティーノ会長の会見も、その発言内容や表現には大きな課題があったものの、スポーツ組織としてどのような対応を採るべきか大きな苦悩があるようにも思えます。また、今後開催されるオリンピックパラリンピックや他競技のW杯などにおいても、スポーツ組織としてどのように対応するのか、どこまでこのような問題に対するアクションを認め、どこからアクションを制限するのかは非常に難しい問題になっています。
我々法曹でさえ、このような複雑な状況の中でバランスある解決が難しいと感じる中で、この新しい論争について、引き続き悩ましい検討が続いています。

関連記事一覧