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京2020オリンピックが終わった。

日本選手団の連日の健闘で、テレビから中々離れられない方も多かったのではないだろうか。中でも柔道の活躍は凄まじく、日本の五輪選手団で最多の12個のメダル(うち9個が金)を挙げ、東京の地で日本のお家芸としての矜持を示した。今や世界的スポーツとしての地位を確立している柔道。今回は、その礎を作るとともに日本スポーツの父と呼ばれた嘉納治五郎師範と、今話題のある偉人との関わりについて深掘ってみたい。

嘉納師範といえば、2019年の大河ドラマ『いだてん』で役所広司さんが熱演したことでスポーツに詳しくない人々からも知られるところとなった。このドラマでは嘉納師範が柔道の総本山・講道館を設立した後の姿が描かれているが、それ以前の若いころの彼に影響を与えたであろう人物には、現在放送中の大河ドラマ『青天を衝け』の主人公・渋沢栄一氏がいる。

二人の最初の接点は嘉納師範が東京帝国大学の学生だったころ。渋沢氏が教鞭をとる経済学の講義を受講していたのだという。その縁もあってか師範が20歳のころ、渋沢氏に請われ米国大統領グラント氏の歓迎会において柔術を披露した記録も残っている。

渋沢と嘉納が保存に携わった東京・神田の湯島聖堂。現在の建物は関東大震災後に渋沢の尽力により再建されたもの。

嘉納師範が東京高等師範学校長であったころには、同校が文部省から管理を委ねられていた湯島聖堂の扱い方に関して意気投合。博物館の一部として使われている状況から、孔子を祀る聖堂としての本来の役割に戻すという活動に二人で尽力したという。

渋沢氏は著作『論語と算盤』において「富は独占するものではなく、社会全体で共有するもの」と述べている。これは、嘉納師範が柔道の精神として掲げた「自他共栄」の精神と共通する考え方である。漢学という共通の基礎があった渋沢から、考え方のヒントを得たのかもしれない。

後年、嘉納師範は渋沢氏逝去に際し『柔道』誌上に追悼文を寄稿している。師範の評した渋沢像は、コロナ禍において様々な葛藤を抱えながら生きる私たちに一つの指針を与えてくれる。「普通大人物といへば、人は政治上その他、世に大なる変化を起した人をいふ。……さういふ人は、往々自分の目的を達せんが為に、多数の他の人を倒し、又は他人に損害を与へて居る。……併し渋沢子爵の如きは、それ等と類を異にして居る。人の為に尽し、国の為に尽しながら、平和的に自ら大を為した人である。」

東京・王子の飛鳥山公園内の渋沢邸跡(現・渋沢史料館)。明治12年、ここで嘉納は米国大統領グラント氏に柔術を披露した。

▶文・写真│伊勢采萌子

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