sports scene

▶写真:東京・丸の内仲通りにできた丸の内ラグビー神社

東京・丸の内仲通りに、ラグビーワールドカップ2023に合わせて「丸の内ラグビー神社」が期間限定で「鎮座」している。ラグビー日本代表のオフィシャルスポンサーである三菱地所が展開する「丸の内15丁目PROJECT.」の一環として、日本代表の勝利祈願のために建立された。祭神は京都・雑太社(さわたしゃ)の「神魂命(かんたまのみこと)」だ。雑太社は別名ラグビー神社と呼ばれる。明治43年に日本初のラグビーの試合が行われたのがこの神社の前であったこと、祭神の名にある「魂」が「玉(ボール)」に通じることがその由来だ。

別名がついたのはごく最近のことではあるが、雑太社のある下鴨神社では毎年蹴鞠が奉納されており、平安時代に神主を務めた賀茂成平は蹴鞠の流派の一つ「社家流」の開祖であるなど、もともと蹴鞠にゆかりの深い神社である。日本における蹴鞠の歴史を見てみると、いまの時代の蹴球にもご利益があるのは自然な流れのように感じる。

蹴鞠は「鞠をいかに落とさずに蹴り続けられるか」という貴族の遊びとして平安時代に流行が始まった。「名足」(名プレーヤー)と呼ばれる人物も登場し、その一人である藤原成通は、鞠の練習を7000日も行い清水寺の舞台の高欄を鞠を蹴りながら往復できるほどの技術を身に着けていたという。その後は武士から庶民へと人気が拡大。江戸時代になると「鞠目代」というライセンスを得た指導者が各地に置かれ愛好者に指導を行った。チーム対抗でラリーの数を競う「勝負鞠」が実施されたり、競技場である「鞠庭」も各地に誕生。戦術も編み出され、上がった鞠の高さなどを知らせるためのサインや、フォーメーションの約束事まであったという。蹴鞠の家元で行われる蹴鞠の会には観客が大勢訪れたといい、「する」「観る」両面でスポーツといえるほどに成長を遂げた。幕末〜明治期の激動の時代には一時下火となったものの、明治後期には天皇の呼びかけで京都市に蹴鞠保存会が発足する。サッカー・ラグビーが日本で本格的に発展し始めたのは、その後20年も経たない1920年代だ。こうしてみると、日本のフットボール文化は1000年以上の長きに渡りシームレスに続いてきたものと思える。

丸の内に鎮座するラグビー神社は、今月29日(日本時間)のワールドカップ決勝の日まで参拝できる。日本フットボールの歴史を感じられる場所へ、勇敢な桜の戦士たちの健闘を願いにぜひ訪れてみてはいかがだろうか。

▶文・写真│伊勢采萌子

関連記事一覧