2020年度日本スポーツ産業学会・奨励賞受賞論文》 サッカー競技者の複数対象追跡スキルレベルによる視覚探索方略の違い
2020年度日本スポーツ産業学会・奨励賞受賞論文》
サッカー競技者の複数対象追跡スキルレベルによる視覚探索方略の違い
古門良亮│九州工業大学大学院
磯貝浩久│九州産業大学
複数対象追跡(MOT)とは
人間の視野内には外界にある様々な情報が、眼や耳、皮膚などの感覚器を通して絶えず入力されています。特に、人間が感覚器から得る情報の約8割は、視覚からの入力とされており1)、膨大な量の情報をリアルタイムで精度良く処理するためには複数の対象の中から特定の情報に対して注意を向ける必要があります。
例えば、人ごみを歩くときは、様々な方向に歩く人にぶつからないように多くの対象に注意を向けます。また、車を運転するときは、右左折、歩行者の飛び出しなど運動対象の速度変化や方向変化を検出します。このように視野内を動く複数の対象を追跡することを複数対象追跡(Multiple Object Tracking、以下MOT)といい、この現象を解明するために多くの研究が行われています2)。
スポーツ場面におけるMOTスキルの重要性
前述したMOTは正確性および速さなどの要素を含んでおり、目的とする行動を達成する能力であるためスキルとして捉えることができます3)。例えば、サッカーで自分がゴールキーパーだと仮定してコーナーキックの場面を考えてみましょう。この時に、味方、相手、注意するべきスペース、ボールなど複数の対象の位置や動きを把握する必要があります。つまり、一つの対象を見ているだけでは正確で素早い判断が行えない可能性があるため、複数の対象に対して適切に注意を向けながらプレーを行うことが重要となります。そして、フィールド上の競技者は、90分間の試合の中で自らがボールに触れる時間は約50秒であり、ほとんどの時間ボールを持っていません。そのため、周りのゲーム状況に応じ、素早く適切な状況判断を繰り返してプレーし続けることが求められます。
また、先行研究によると超一流のスポーツ競技者はそれ以外の競技者に比べて、MOTスキルが高いことが判明しています4)。さらに、MOTスキルはサッカーやバスケットボールなどのオープンスキル系種目のパフォーマンスと関連が深いことが明らかにされています。
MOTスキルの測定・評価方法について
では、MOTスキルの良し悪しを測定・評価するためにはどうすればよいでしょうか。一般的にはMOT課題を利用します。Faubert and Sidebottom(2012)は、Neuro Tracker式MOT課題を開発し、研究を進めてきました4)(MOT課題のプロトコルは図1を参照)。その結果、MOTスキルが高い競技者は情報を処理するスピードやワーキングメモリー(作業記憶)が優れていることが分かりました。
また、MOT課題は複数の球の動きを眼で追跡するため、MOTスキルと関連する要因の一つに、視覚探索方略(視線をいつ、どこに、どのように動かすのか)が関連すると考えられます。しかしながら、MOTスキルと視覚探索方略の関係は、ほとんど検討されていません。
そして、MOT課題では複数の球がランダムに動き回りますが、サッカー場面において競技者は、ランダムに動かずチームの戦術および状況に応じてプレーをしています。また、オフェンス場面やディフェンス場面によっても競技者の動きは異なり、競技者同士が連携して構造化されたプレーをすることもあります。つまり、従来のMOT課題と実際のサッカー場面には複数の対象の動きの性質に違いがあるため、サッカーに種目を限定してより実践的な環境に近づけたサッカー用のMOT課題を開発する必要があります。そこで、本研究ではサッカー用のMOT課題を開発して、課題実施中の視覚探索方略(いつ、どこを、どのように見るのか)がMOTスキルレベルの違いによりどのように異なるかを検討しました。なお、 MOT課題実施時の視覚探索方略は、眼球運動測定装置を用いて測定しました。
新たに開発したサッカー用MOT課題について
サッカー用MOT課題は、撮影・編集したサッカー場面の映像を使用しました。また、ゴールライン後方からピッチ全体が画角に収まる位置にビデオカメラを設置し、実践場面の環境に近いサッカー競技者の目線の高さ(1.75m)から4対4場面の映像を撮影しました。フィールドは、4対4場面で一般的な広さである縦40 m×横20 mにしました。なお、サッカー用MOT課題は、Neuro Tracker式MOT課題(図1)と同様に、8人のサッカー選手の中から4人のサッカー選手の追跡を行わせるため1試行を約10secに編集し、合計20試行を作成しました。
サッカーのMOT場面で競技者はどこを見ているのか?
大学生サッカー競技者29名を対象に、テレビ画面から2.0m離れた位置から座位で2種類のMOT課題を行わせました。その結果、従来の一般的なMOT課題であるNeuro Tracker式MOT課題のスコアと新たに開発した複数対象がダイナミックに動き回るサッカー用MOT課題のスコアに強い正の相関が認められたため、サッカー用MOT課題の妥当性が認められました。
次に、実験参加者をMOTスキル高群と低群に群分けして、サッカー用MOT課題実施中の視覚探索方略を検討したところ、以下の結果が得られました。
● サッカー用MOT課題実施時に、MOTスキル高群は低群より視線の移動距離が長い傾向にありました。この結果は、複数の対象が存在し、多くの選択肢がある(5人以上の選手が関与する)プレー場面において熟練者の方が準熟練者よりも多くの対象を注視し、広範に視線を移動していると示した先行研究の結果を支持したと考えられます5)。よって、サッカーのMOT場面では、より多くの対象を見る方略が有効であると思われます。
● MOTスキル低群は、サッカーのプレー場面の中でも特にボールの動きに視線を向ける傾向がありました。また、サイドチェンジなどのプレー展開の変化が起きた後に、遅れて視線を動かす特徴が示されました。
● MOTスキル高群は次に起こるであろうプレーを予測して、パスの受け手となる競技者がいる場所へ先回りするように視線を動かす特徴がみられました。具体的には、センタリングが上がる場面において、先に中でボールを受ける選手の位置を確認していました。
つまり、多人数が動き回り、刻々と状況が変化し続けるサッカー場面において優れたMOTスキルを発揮するためには、視覚から入力される複雑な情報(相手、味方選手やボール、有効なスペースの位置)を素早く正確に把握することが重要と考えられます。また、 MOTスキルが状況の判断を伴う場面でのプレーの予測精度と関連する可能性が示唆されました。
まとめ
本稿では、はじめにMOTという現象について説明し、これがスポーツ場面においてどのように活用されているのかについて述べてきました。例えばサッカーでは、環境が複雑で複数の対象が動き回るMOT場面が試合時間の大半を占めています。また、従来のMOT場面とサッカーのMOT場面は複数対象の動き方が異なります。そこで、サッカーという種目に特化したサッカー用MOT課題実施中の視覚探索方略を明らかにしようとしました。開発したサッカー用MOT課題の妥当性が確保されたので、サッカー用課題実施中の視覚探索方略を検討しました。そして、 MOTスキルの高いサッカー競技者は、 MOTスキルの低いサッカー競技者と比べて視線の移動距離が長い傾向にある可能性が伺えました。さらに、 MOTスキルの高い競技者は、プレーを予測して視線を動かしている特徴がみられました。
以上より、複数の対象が動き、状況の判断を伴うダイナミックな環境で、MOTスキルレベルの違いにより視線探索方略が異なることが確認できました。今後は、 MOTスキルの向上が、実際の競技パフォーマンスにどのような影響を及ぼすのかについて、スポーツ現場・研究者の双方にとって解明していく必要があるでしょう。