スポーツ産業のイノベーション お金のいらない国のスポーツ

スポーツ産業のイノベーション
お金のいらない国のスポーツ
植田真司│大阪成蹊大学マネジメント学部教授

新型コロナ感染の影響で、私たちの生活が大きく変化しています。今まで当たり前であった日常生活にも様々な問題が見えてきました。
例えば、感染拡大を止めるために生活困窮を承知で店を閉めている人。一方、感染の影響で困っている企業を支えなければならないのに、自己の利益を確保するためにその企業の株を売る投機家など、人によって対応の仕方も様々です。
感染拡大で経済活動が減速し、世界恐慌に発展すると予測する評論家もいます。いずれにしても、お金に関連する問題が話題になっています。いっそ、お金がなければいいのにとも考えます。今回は、お金がいらない理想の社会について考察してみます。

お金のいらない国とは?

TV番組でZOZOの前澤元社長が、「お金がいらない国」をつくりたいと発言されていました。また、仕事を楽しむ労働者を増やし、労働生産性の高い国にしたいそうです。私も、人を幸せにする働き方について研究しているので非常に興味を持ちました。詳しく調べてみると、長島龍人さんの著書「お金のいらない国」が基になっていることが分かりました。このお金のいらない国とは、どのような世界なのか、少し説明しましょう。
例えば、喫茶店でコーヒーを飲んでも支払いがいりません。お金がないので、この国では全て無料で物やサービスが手に入るのです。だから貧困もないのです。お金がないので、お金に関連する銀行とか証券会社、保険会社もなく、税金もないので、税務署も、確定申告もありません。仕事をしても給料がないので、お金のためでなく、社会への奉仕のため、人の役に立つため、自分のために働くのです。自分で主体的に働くので、ストレスもなく、みんな仕事を楽しんでいます。
また、お金のいらない国では、所有という概念もないので、窃盗などの犯罪もなく、警察の仕事も少なく、人と人がお互いに助け合って生きていく理想の社会なのです。

お金のいらない国のスポーツとは?

では、お金のいらない国のスポーツはどのようになるのでしょうか、少し想像してみました。
自分の意志で働くので、忙しい、時間がないといった理由でスポーツや運動をしない人はいない。スポーツの参加率はほぼ100%です。
スポーツは、お金のいらない国で道徳・マナーを身につけるための最も大切な授業になっています。また、スポーツは、健康維持だけでなく、人と人をつなげるものなので、最も人気のある娯楽で、いつでも、どこでも、誰とでも実施できる環境が整っています。
スポーツ用具も、所有という概念がないので、基本はレンタル。みんなが同じ道具を使い、勝ち負けより、スポーツをすることそのものを楽しんでいます。 スポーツ観戦も、ストレスの発散が目的でなく、贔屓チームの勝ち負けより、高いレベルのプレーを求めます。良いプレーには敵味方関係なく、大きな拍手が送られ、ヤジを飛ばす人はいません。
また、賞金がないので、プロとアマの定義がなく、本当にスポーツで感動を与えたい人だけが、プロとして活躍しています。セカンドキャリアの心配もありません。まさに、お金のいらない国は、みんな好きに楽しんでいるスポーツ天国です。

お金にとらわれる社会

なぜ、我々はお金にとらわれるのか。物は時間とともに価値が減りますが、お金は時間とともに増やせます。また、我々を幸せにしてくれると思っています。しかし、本当に幸せにしてくれるでしょうか?
例えば、死を迎える時、多くのお金を持って一人で死ぬのと、お金はないが多くの人に囲まれて死ぬのとどちらがいいかと質問すると、ほとんどの人は、後者を選択します。我々が本当に望むものは、お金ではなく、人と人のつながりではないでしょうか。
経済の意味は「経世済民」、世を経(おさめ)民を済(すくう)ことですが、現在の経済活動は、GDPを大きくすることに偏っていて、民の幸福につながっているようには思えません。便利な世の中になっていますが、貧富の格差拡大や環境破壊に繋がっています。
経済学者のトマ・ピケティは、著書「21世紀の資本論」の中で、世界の経済成長率は平均1.6%増に対し、資本収益率は平均4〜5%増、つまり所得の成長率より財産の成長率の方が高く、格差は拡大しているといっています。まさに、一部の人だけが得する世の中になっています。
お金のいらない国なら、お金にとらわれることはありません。お金のいらない国を想像することで、お金の問題点に気づき、解決のヒントを与えてくれるでしょう。実現は難しいかもしれません(私は、実現できると考えています)が、我々の志向が、競争し、奪い合い、憎みあうから、共創し、与え合い、信頼しあうに変われば、理想の国に近づくのではないでしょうか。

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