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若手Jリーガーに聞く U-23日本代表・横浜F・マリノス 遠藤渓太(20歳)の現在地

Student’s Eye 若手Jリーガーに聞く
U-23日本代表・横浜F・マリノス 遠藤渓太(20歳)の現在地
藤井 匠│早稲田大学社会科学部3年

遠藤渓太選手 2017年11月28日筆者撮影

FIFAワールドカップ・ロシア大会が6月に開催される。日本代表の初戦は6月19日のコロンビア戦。現在、日本代表に招集されている最年少選手は、先日スペイン・リーグでデビューしたばかりの井手口陽介(21歳)だが、これからのサッカー界を担う若手は国内外でつねに厳しい競争環境の中にある。
J1横浜F・マリノス期待の若手ドリブラー遠藤渓太(20歳)も、そんな一人だ。ユース年代から注目されてきた遠藤のような若手は、今この瞬間をどう感じているのか。これまでのサッカー人生で何を目標とし、何を乗り越えてきたのか。20歳のJリーガーに心の内を聞いた(2017年11月)。
小刻みなボールタッチで素早くドリブルを仕掛け、颯爽とサイドを切り裂いていく。そんな遠藤のプレー・スタイル同様、その経歴は鮮やかである。1997年11月22日横浜生まれ、5歳の時にサッカーを始め、中学で数あるユースのチームの中でも評価の高い横浜F・マリノスジュニアユースに入団し、高校進学と同時に横浜F・マリノスユースに昇格した。F・マリノスユースは日本クラブユース大会で優勝し、遠藤はMVPを獲得した。そして、2016年には狭き門と言われるユース・チームからトップチームのメンバーにストレートで昇格を果たした。まさに順風満帆、「エリート街道」を一直線に走ってきた選手である。
「うーん、そういう感覚は全然ないんです」と遠藤は言う。
「ジュニアユースからユースに上がる際の評価が△で、余裕で上がれたわけではなかったし、ユースの時も周囲の人から『トップチームには受からない』と言われ、大学進学の準備もしていました。いつもギリギリで綱渡り状態だったと思っています」
だが、トップチーム昇格後、J1デビューするのに時間はかからなかった。2016年3月12日のJ1リーグ第3節、アルビレックス新潟戦で右サイドハーフとして先発出場し、後半38分までプレーした。
2017年のシーズンに入ってから、クラブでの遠藤の起用法は少し変化した。今まで本職としていたサイドハーフではなく、ディフェンス重視のサイドバック起用が多くなったのだ。
「最初は正直戸惑いを感じました。だけど2年目だから、とにかく試合に出ないと意味がないし、出させてくれるだけでも十分だと思いました。サイドバックで頑張れば、サイドハーフで出ることにもつながると……」
2017年4月26日、ルヴァンカップ、アルビレックス新潟戦。右サイドバックでスタメン出場した遠藤は、後半38分、ボールをもらうと、得意のスピードに乗ったドリブル突破から強引に相手をかわし、待望のプロ初得点をあげる。
そして2017年5月、U-20ワールドカップが開幕。
遠藤は代表招集メンバー22人の中に名を連ねた。第1戦は後半23分から途中出場、第2戦は出番なしに終わったものの、第3戦のイタリア戦で、遠藤は左サイドハーフでスタメンに名を連ねた。迎えた前半22分、0-2でリードされている中、左サイドでボールを受けた遠藤は、得意の右足で、キーパーが出られない絶妙の場所にピンポイントでクロスを蹴り入れる。このクロスにMF堂安が滑り込み、足裏で合わせる。このアシストもあって、日本は強豪国イタリアと引き分け、見事決勝トーナメント進出を果たした。  惜しくも次戦のベネズエラ戦で負けてしまったためベスト16敗退という形になってしまったが、本人にとって収穫は大きかった。
「相手は日本人とは違った感じがしたし、J1の選手よりも個で強い選手がたくさんいて、それを直接肌で感じられたのはよかったです。あとは、1対1やコンビネーションで抜ける場面はたくさんあった反面、フィジカルはまだまだ通用しないこともわかりました」
しかし、活躍したU-20ワールドカップが終わり、F・マリノスのチームに合流したときに、サッカー人生最大の試練が遠藤を待ち受けていた。ワールドカップから帰ってきた次の試合から6試合連続のベンチ外。これまで淡々と語っていた遠藤が少し語気を強めて、その時の心情を語る。
「この2年間でリーグ・カップ戦通して初めてメンバー外になってしまって……。チームの調子が良かったということもあったかもしれないですけど、代表でも結果を残していたので、正直理解できませんでした。得たものをどこで発散すればいいかもわからなかったし、サッカー人生的にも失うものが多かった時期だと感じています」  この時遠藤は、プロ生活において初めて「挫折」を経験したが、そんな状況でも移籍してチームを離れようとはしなかった。
「別のチームにレンタル移籍して簡単に試合に出場できるほど現実は甘くない。試合に出られないからチームを離れるのではなく、もし自分の実力が通用しないのなら離れようと思って練習を続けました」
この遠藤の確固たる信念が実を結んだのが、2017年9月30日のアウェーのガンバ大阪戦。前半20分に、この日先発で入っていた右サイドバックの松原が負傷し、急遽遠藤が途中交代で投入された。1-1で迎えた後半44分、味方選手のシュートを相手キーパーがはじき、そのこぼれ球を遠藤が押し込んだのだ。欲しかったJ1リーグ初得点だった。「たまたま入った点だけど、やっぱり自分の中で今までリーグ戦で得点がないことに対するプレッシャーはあったと思います。この得点でプレーの感触が変わりました」  1か月後のホームの鹿島アントラーズ戦では、持ち味の素早い切り返しから反転してシュート。昨季リーグ戦2得点目を挙げた。そしてこの試合以降、リーグ戦3試合中2試合に先発出場、1試合に途中出場と着実に出場機会を増やしていった。横浜F・マリノスは天皇杯で準優勝、シーズンを終えた。
一方、F・マリノスでのシーズン終了後も、遠藤は五輪世代となるU-21日本代表に招集され、2018年1月のAFC U-23選手権に出場、背番号11をつけて躍動した。チームも森保一監督のもと、グループリーグを突破、ウズベキスタンに敗れてベスト4は逃したものの、ベスト8まで進んだ。「何と言っても、東京五輪に出て活躍するという目標があります。まずF・マリノスでの出場機会を確保することが大事だし、そうすれば自然とA代表にも呼ばれるようにもなって、海外移籍への扉も開かれるかもしれない」 インタビューに冷静に答えてくれた遠藤だが、この話題に触れた時、視線の奥に熱いものを感じた。
今季からF・マリノスでも背番号11を纏う遠藤にとって、新たな戦いが始まっているのだ。  2020年の東京五輪は22歳で迎える。左サイドを駆け上がり、そのドリブルを世界中の人々に見せつけてほしいと願うのは私だけではないはずだ。

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