サッカー監督という仕事──② 良い監督とは何か

サッカー監督という仕事──②
良い監督とは何か
三浦俊也│サッカー解説者

Jリーグの監督

Jリーグの監督の仕事は、対外的、表向きにはステークホルダーを満足させる、楽しませること。結局のところ、プロは勝たないといけない。プロはお金も貰っていますし、スポンサーがお金を出していますし、チケットを買ってもらって来ていますから勝たないとダメなのです。勝たないとファンやスポンサーは離れる傾向にあります。試合に勝つと次節の入場者が2000人増え、負けると2000人減ると言う方もいます。スポーツビジネス的に言うと、ブンデスリーグやスペインリーガのように負けても試合に来てもらうようになると良いのですが。まだ日本はそこまでいっていないのが現状です。
Jリーグの監督になるにはライセンスが必要で、そのライセンスを下からすべて取っていかなくてはいけません。Jリーグの監督ができるS級ライセンスの保持者は、2016年時点で450人ですが、その中で、監督になれるのはJ1で18人、J2で22人。中には外国人監督もいますので、なろうと思ってなれるものではないですね。(図1)
次に一度監督になった場合、どのくらい監督をやれるのかというと、J1に限ると8割の監督は100試合未満しか指揮を取れない。その後はチャンスがないのです。J2まで含めた監督が指揮を執るチーム数についても、1チームだけしか経験しない人が7割、2チームを経験した人を含めて8割強です(図2)。

つまり、Jリーグのチームでは最初のチームで成功しないとほとんどチャンスがないということです。Jリーグでは、しょっちゅう監督が代わりますし、監督が責任を取らされます。ただ試合に負けたのは監督だけの責任でしょうか。実際には選手の人件費の高いチームの方が勝ちやすいのです(図3)。


いろんな論文が出ていますが、プレミアリーグもブンデスもセリエでも同じです。つまり、なかなかお金の入ってこないチームにはいい選手が入ってこないので勝つ確率は低くなる。そのような チームでは監督が成果をあげることが難しいので、結果として短命となる。それでもチャレンジをしますかということなのです。選手に限らず、監督も厳しい環境かつハイリスクな戦いなのかなと言えます。
では、なんで(監督を)やるのでしょうか。私もこのことを事前に知っていたらサッカーの監督をやっていなかったかもしれません。ただ、満員の観衆で、高い緊張状態で試合をやること、または、試合に勝つこと、それをアーセナルのベンゲルは「ドラッグだ」と言いますが、それが選手や監督のモチベーションに繋がっていることは確かだと思います。

キャリア

私のキャリアについてですが、私の場合、プロ選手経験がなくてプロ監督をやっているということではじめは注目されました。でも本当はプロになりたかったんです。
小学校の頃、いい指導者に出会い、全国大会に出ることができてサッカーにのめり込みました。中学高校は指導者がいないような部活でやっていました。それでも県で二位だったり、三位だったりと、県の代表にもなりました。中学校のときに靭帯断裂のケガを負いました。当時、靭帯断裂は復帰不可能のケガではありましたが、なんとか高校もケガを押しながらやっていました。
その後、やはり一番強いリーグでやりたいと思い、関東大学リーグのチームに入りました。そこでもまたケガをしてしまいました。その時は手術しましたし、復帰もしましたが、やはりレギュラーでは数試合しか出られず、4年間を終えました。ただやっぱりサッカーが好きで、長くサッカーに関わろうと思っていました。当時、サッカーに関わるためには高校サッカーの指導しかなかったので、その指導をやりたいと思い、大学のときは社会科の教職免許を取り、大学卒業後に体育の教職免許も取りました。そして、地元の岩手県の高校教員に受かりまして三年やりました。でも高校ではなく、養護学校だったのです。それは空きがそこしかなくてということです。
この時期は、自分の中で葛藤があり悶々としていました。当時、私がやりたかったのは高校サッカー部の指導なのですね。ただ教員というものは、社会なり体育なりの授業をすること、または、学生への指導がメインであり、そこからお金をもらうことで成り立つわけです。そうではなく、部活動という課外活動をやりたくて、先生になる自分も本末転倒だし、矛盾もあるし、自分が一番強い学校に行きたいと思ってもそれが叶うかどうかもわからないので行き詰まりを感じていたのです。
その時に色々と調べてみると、ドイツでは学校スポーツはなく、学校が終わるとそれぞれの地域に戻って、好きなクラブに入り、好きなスポーツをするということ。また、コーチングライセンス制度がしっかりとできていた。その二点に非常に興味を持ち、自分が責任を取れるような環境でコーチになりたいなと思いまして、学校の先生を辞めました。親には泣かれましたが、ドイツに行きました。
ドイツでプロのコーチになろうと思って行ったはいいのですが、絶望でした。まずは言葉が全くわかりませんでした。自分でちょっとやったつもりでしたが、全く通じず、路頭に迷いました。「失敗したな、学校の先生やっていればな」と思ったこともあります。その時には後戻りもできず、開き直ってドイツ語の勉強をしました。日本の大学を卒業していたので、外国人のためのドイツ語試験で受かれば、ドイツの大学には入れたからです。必死に勉強して、一年半でドイツの大学校に入りました。ただあくまでそれは試験に受かっただけですから、授業になると別物です。ドイツ人がドイツ人のために講義しているわけですから。それがわかるようになり、テストができるようになるまでに二年半~三年かかりました。そうやって自分から勉強して、単位が取れるようになり、言葉がわかり、友達ができるようになると、自然と生活も充実していきました。自分に力がついているなというのもわかりました。サッカーのコーチライセンスも取りに行くようになり、C級からA級まで取り終え、最後プロライセンスを残すのみとなっていました。その時に日本でプロリーグが始まり、今のようなコーチライセンス制度を初めて作ったのです。 今のサッカー協会の会長で田嶋さんという方が、トップに立ち、私に連絡をしてくれて「手伝ってくれないか」と言われました。そのため、ドイツ人講師の通訳兼受講者になり、日本のS級ライセンスを取りました。私からすると、ドイツ人が教えているため簡単でしたし、これが終わったら、ドイツに戻ろうと思っていました。そしたら、仙台からオファーがあり契約をしました。一年でクビになって、またドイツに戻ろうかなと思っていたら、水戸から話があり…と今に繋がります。 私のように無名の選手が実際、監督になれるかと言う と、Jリーグやプレミアリーグは優秀な選手が監督になる傾向が強いのですが、ブンデスリーガやセリエ、スペインではアマチュア選手だった人が監督になれる道があるのです(図4)。

3部リーグで活躍した監督が、2部に上がり1部に上がり、活躍するなんていうストーリーがあるのです。しかし、プレミアリーグとJリーグでは、それがありません。Jリーグは私が2012年に勉強した時にわかったことですが、J リーグではステップアップができないなと思いました。例えば、J2のチームでお金もないし、選手のクオリティーが低い中で頑張った監督をJ1のチームが取るかと言うと、取らないのです。ですから、自分がJ2の監督でJ1の監督をやりたいと思うなら、自分のチームをJ1に上げるしかないのです。セリエやブンデスリーガではあり得ることで、ベンゲルやモウリーニョが有名です。モウリーニョは優秀な監督の通訳をやっていましたが、今では世界的な監督になりました。ユルゲン・クロップは2部のチームを1部にあげ、12,13位の成績しかないのにもかかわらず、ドルトムントが取ったのです。そこで優勝し、今はリバプールにいます。レーブという監督もブンデスリーガ1部での経験はないですし、選手としてもそれほど優秀な選手ではなかったのですがドイツ代表の監督になりました。日本ではなかなか聞かない話です。
どうしたら良い監督になれますかとよく聞かれますが、私としては、人のまねごとではダメで自分独自のアイディアとか哲学とかが必要なのかなと思います。話がそれますが、各国リーグでの外国人監督の割合を見ると、Jリーグは少し多いかなと思えます。(了)

▶本稿は、早稲田大学で全学部生を対象として開講されている「トップスポーツビジネスの最前線」の授業で2016年12月18日に行われた講演内容をまとめたものである。

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