sports scene

夏の陽気に包まれたある日の茅ヶ崎。サーフボードを積んだ自転車を漕ぐドライスーツの人の後を追って海へ出ると、サーファーたちが輝く波の上を楽しげに滑る様子が目に飛び込んでくる。実に湘南らしい風景に胸が躍る。東京大会で初めてオリンピックの正式種目となり、余暇の楽しみとしてだけでなく競技としての注目度も高まるサーフィンと、この地域との繋がりはとても深い。
日本で近代サーフィンが流行し出したのは1960年頃と言われる。在日米軍の軍人が休日に湘南や千葉の海でサーフィンを始め、それを見ていた子どもや若者たちが自分たちでサーフボードを作ったのが起源らしい。その中にはかの若大将・加山雄三氏もいた。当時はまだ日本でサーフボードを扱う店はなく、氏は映画の仕事を終えると茅ヶ崎の自宅に飛んで帰ってボード作りに勤しんだ。昭和39年の日刊スポーツの取材では「サーフ・ボードは、僕のが日本製第一号でしょう」と答えるほど、熱を入れていた。氏のようなアイコンの存在も、湘南地域を始め日本でのサーフィン人気が拡大した一因だろう。1965年には日本サーフィン連盟が発足、その翌年には第1回の全日本選手権大会が開催されるほど、注目は一気に増していった。
サーフィンがこの国で受け入れられやすかったのには歴史的な背景もある。「板子乗り」という言葉を聞いたことはあるだろうか。「板子(いたこ)」とは、和船の舟底に敷く揚げ板のことだ。揚げ板は船底に物を入れるために固定されていないので、それを取り外し日本人は波乗り(といっても立って行うものではない)を行っていた。それが「板子乗り」だ。日本の波乗りに関する最も古い記述は文政4(1821)年で、その頃すでに各地で行われていたと考えられる。時代は下り、湘南では明治31(1898)年・茅ヶ崎駅の開設に伴い別荘地の開拓が始まる。海水浴場が賑わいを見せ、人々はそこで板子乗りに興じた。第二次世界大戦後、茅ヶ崎海岸が米軍に接収されたことで浜は活気を失ったときもあったが、米軍がもたらした近代サーフィンが今は街の特徴の一つになっている。
少なく見積もっても、もう120年は街の風景に波乗りという「スポーツ」が溶け込んでいる稀有な地域・湘南。コロナ禍にあって以前のような賑わいは今は見られずとも、この土地の人々が波に触れ合う楽しさを忘れることはないだろう。
▶文・写真│伊勢采萌子

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